ブログ『鍼道 一の会』

『鍼道 一の会』は、「福祉への貢献」を目的に、「伝統医学」を規範に、「鍼灸」を手段に、「大阪市」を本拠地に据え、活動を続けている団体です。

活動報告ー1月基礎講座

 歳が明け、新たな気持ちで今年最初の基礎講座を行いました。

 学生の皆さんは試験中ということもあり、今回は欠席者が目立ちましたが、新しい内容が盛りだくさんとなりました。

 

 まずは斬り込み隊長を買って出てくださる、副代表の永松周二先生による易学講義から。

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 今回は十干十二支と支合・干合について非常に示唆的な内容でした。

 十干と十二支を用いて、空間と時間を認識し、併せて時空的に人体を認識しようという試みです。

 また、かねてより筆者金澤が疑問として持ち続けていました、難経六十四難を理解する手がかりも頂きました。

 「陰井木.陽井金.・・・」という下りです。

 なぜ陰経の井穴が木で陽経の井穴が金なのか?という疑問です。

 これは易占では干合として明確になっていることだと教示して頂きました。

 まだまだ学ぶことがたくさん感じられるのは、幸せなことです。

 

 続きましては同じ易学の話題として、今年度入会されました高橋佑輔先生に特別講義をしていただきました。

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 ご自身が興味を持って勉強されてきた易学と心理学を併せて、温めて来られたことを開示してくださいました。

 

 導入部分では先天八卦と後天八卦、「河図・洛書」の成り立ちからその内容に至るまでを。

 そしてメインとなります「易の中で生きた心理学者」

 心理学の三大巨匠とされるフロイト、ユング、アドラーについて、名前は聞いたことがあっても、この三名の関係性や考え方の焦点などについては、知らない方がほとんどだと思います。そこを非常にわかりやすく解説してくださいました。

 

 そしてその中のユング氏と「易経」とのかかわりについて、非常に興味深いお話を聞かせていただくことが出来ました。

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 詳細は割愛させていただきますが、心と体は「ひとつ」であり、身体症状と七情の関係性を重視する「一の会」にとって、弾みがつくような講義をしていただき、高橋先生ありがとうございました!

 

 そして午後からは「奇經八脉について」

 江見木綿子先生(大阪医専 東洋医学部・鍼灸学科教員)による講義。

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 今回は、陰陽蹻脉および帯脉についてさらりと解説して頂きました。

 漢文の一字一字を丁寧に読み下すスタイルは、初学の方々には大変好評です。

 途中、金澤も講義に参加させて頂き、みなさまと一緒に考察を進めました。

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 「一の会」では、すでに常識とされていることに対して、なぜそうなんだろうかと考え、明らかにしていくことを大切にしています。

 奇經八脉でしたら、八宗穴。

 なぜこのペア穴なのか?その意味は?・・・と深く追及することで観えてくる「気」の構造があります。

 同じ経穴を扱うにも、術者にその認識があるのと無いのとでは、はっきりと結果の違いに現れてくることをお伝えしました。

 来月はいよいよ奇經八脉を時空的概念で捉えれば、どうなるのか?総まとめの講義となる予定です!

 

 そして最後は「陰陽と五行で病を考える」

 稻垣座長による講義です。

 資料作成に相当な時間をかけたのだろうと感じていたのですが、当日は資料をほとんど使わずディスカッション形式で講義を進められました。

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 (この写真、ナイスショットでしょう?)

 講義そのものを楽しんでいる感じがお伝えできればと思います。

 

 今回の山場は、鍼を施す際に何を認識するのか

 さらに、鍼が作用するのは、術者の意図(意念)よりもむしろ鍼を受ける側の身体の状態・状況こそが大きいのではないかと言った、鍼治療の根幹部分に関わる話題でした。

 

 金澤自身は意念を多用しますが、稻垣先生はむしろその意念が鍼を受ける側にとって、回復を妨げることになる場合もある、との持論を展開。

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 そしてまた金澤・永松先生の意見も交え、講義は一時混沌と?・・・なりかけましたが、最後はやはり稻垣座長がきっちりと締めくくってくれました!

 

 参加者の方からは、三者三様の在り方、各先生方の価値観に触れることが出来て、大変よかったとの声を頂いております。

 

 当「鍼道 一の会」においては、すべては太極陰陽の道に法ってさえいれば良いのです。その上で、皆様それぞれの個性が十分に発揮されることが、当会理念の大きな柱のひとつです。

 

 次回、『鍼道 一の会』臨床医学講座は1月28日(日)。大阪・南森町の大阪医療技術学園専門学校実技室をお借りして、開催させていただきます。

 
 『鍼道 一の会』は、随時入会を受け付けております。

 興味が湧いた、面白そう、ピン!と来た方、どうぞお問い合わせください。

 お問い合わせは

 『鍼道 一の会』 事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

 

人参について(1)

 薬用人参について調べてみると、なかなかこれが厄介だと気が付いたのはここ最近のことです。

 一口に人参といっても、竹節人参、御種人参、田七人参と、筆者が知りうるだけでも三種類あります。

 しかも修治(加工)も様々あり、どのように区別して用いていたのか迷うところであります。

 しかし、もっとも興味があるのは「傷寒論」に記載されている人参がどの種類のもので、どのような薬能を想定して方剤を構成しているのかという点です。

 しかも古来、キキョウ科のヒカゲノツルニンジンである党参は、古くは人参と区別されていない時代もあったようです。

 このあたりを追及すると、ややこしくなってしまいますので、これらの点は、ひとまず置いておいて、先ずは中医薬学で扱っているところから見て行くとします。

 

 <中薬学>神戸中医研究会編著では、人参は補益・補気薬に分類されていまして、オタネニンジンの根として紹介されています。

 気味は甘微苦、微温です。

 効能を列記してみます。

 補気固脱

 補脾気

 益肺

 生津止渇

 安神益智

 その他、血虚に対して補血薬と用いて益気生血、陽虚に対して補陽薬と用いて益気壮陽すると記されています。

 いまいちピンときません。

 総じて、方剤中の人参は、主薬というより佐薬的な役割なのでしょうか。

 そんな中で、独参湯という人参一味を濃く煎じた方剤があります。

 <中薬学>によりますと、

 「大病・久病・大出血・激しい吐瀉などで元気が虚衰して生じるショック状態で脈が微を呈する時に、単味を大量に濃煎して服用する」とあります。

 いわば失神・虚脱状態の気つけ薬といった感じでしょうか。

 単味ですから、即効的、シャープにその効能が現れる訳ですから、人参によって人体の気がどのように動くのだろうと、考えてみたいと思います。

つづきます・・・

23.太陽病(上)26条 白虎加人参湯 煩渇

【二六条】

服桂枝湯、大汗出後、大煩渴不解、脉洪大者、白虎加人參湯主之。方十三。

桂枝湯を服し、大いに汗出でたる後、大いに煩渴して解せず、脉洪大なる者は、白虎加人參湯(びゃっこかにんじんとう)之を主る。方十三。

 桂枝湯を服用して、大いに発汗しました。この後瘧(おこり)の症状が現れれば、23条の桂麻各半湯、もしくは24条の桂枝二麻黄一湯でした。

 ところが本条は脉洪大で、しかも激しい煩と口渇が現れています。

 ここで、陽明病位と判断いたします。

 陽明病位は、中医学的にはふたつの病型に分けられています。

 陽明経証=白虎湯類・・・腑実が無い。

 陽明腑実証ー承気湯類・・・腑実がある。

 つまり、口渇と大便の有無で先ずは鑑別します。

 飲水は、当然冷たいものを好みます。

 その他の鑑別は、陽明病で行いますので、まずはこの点を押さえておいてくだされ場と思います。

 口渇だけをみると、膀胱蓄水証の五苓散証や猪苓湯証にも現れます。

 鑑別要点は小便の減少です。

 太陽病からの変証、色々とややこしいです。

 白虎湯類は、温病学では気分清熱に用いられていますので、比較的浅い熱です。

 おそらくこの26条の病態でしたら、元々内熱傾向にあった人が桂枝湯証を服用して、比較的高い熱と共に、大量の発汗が見られたのだと思います。

 条文には津液不足による心下痞鞕が記載されていません。

 もし心下痞鞕が確認できないのでしたら、白虎湯証の可能性があります。

 薬徴には、人参は心下痞鞕を主治するとあるからです。

 このあたりのことは、薬能のカテゴリー人参で稿を立てたいと思います。

 

 太陽病が解けた後も、胃と肌肉に余熱が残っているのか、もしくは伏していた内熱が気分に浮いてきたのか、どちらにしても浅い熱が鬱して煩と口渇が現れているのでしょう。

 次回は、方剤の中身を見てみます。

〔白虎加人參湯方〕

知母(六兩)石膏(一斤碎綿裹)甘草(炙二兩)粳米(六合)人參(三兩)

右五味、以水一斗、煮米熟、湯成去滓、温服一升、日三服。

知母(ちも)(六兩)石膏(一斤、碎(くだ)き綿もて裹(つつ)む)甘草(二兩を炙る)粳米(こうべい)(六合)人參(三兩)

右五味、水一斗を以て、煮て米を熟し、湯成りて滓を去り、一升を温服し、日に三服す。

 

 

22.太陽病(上)25条 桂枝二麻黄一湯

【二五条】

服桂枝湯、大汗出、脉洪大者、與桂枝湯、如前法。若形似瘧、一日再發者、汗出必解、宜桂枝二麻黄一湯。方十二。

桂枝湯を服し、大いに汗出で、脉洪大なる者は、桂枝湯を與うること、前法の如くす。若し形瘧(おこり)に似て、一日に再發する者は、汗出ずれば必ず解(げ)す、桂枝二麻黄一湯(けいしにまおういっとう)に宜し。方十二。

 この条文は、23条・24条の続きとして読んでも良いと思います。

 桂枝湯を服用させたところ、たくさんの発汗がみられて、脈も洪大となった。

 ここで確認すべき点は、脉洪大ですので、陽明病を判断する口渇の有無です。

 口渇があれば陽明病に転属したと知ることが出来ます。

 この口渇が無く、大いに汗が出たにもかかわらなお太陽病証が確認できる場合は、さらに桂枝湯を服用させなさいということですね。

 ところが桂枝湯を服用して、大いに発汗した後、瘧(おこり、寒熱が交代して起伏する症状)に似た症状が現れたのなら、単純な桂枝湯証ではなく、少陽病でもない。

 そこで桂枝二麻黄一湯でもう少しだけ発汗させなさいということですね。

 「宜し」なので、よく様子を診て加減しなさいということでしょう。

 その際、23条で確認したように吐き気もなく、大便もちゃんと通じていることが条件となります。

 林億(11世紀)が解説している桂枝二麻黄一湯方をみると、桂枝湯5/12と麻黄湯2/9との合剤なので、23条の桂枝麻黄各半湯よりやや虚証に傾いた病証であることが分かります。

 やはり、大いに発汗した後だからでしょうね。

 鍼への応用も、桂麻各半湯に準じたもので良いと思います。

〔桂枝二麻黄一湯方〕

桂枝(一兩十七銖去皮)芍藥(一兩六銖)麻黄(十六銖去節)生薑(一兩六銖切)杏仁(十六箇去皮尖)甘草(一兩二銖炙)大棗(五枚擘)

右七味、以水五升、先煮麻黄一二沸、去上沫、内諸藥、煮取二升、去滓、温服一升、日再服。本云桂枝湯二分、麻黄湯一分、合為二升、分再服。今合為一方、將息如前法。

(臣億等謹按桂枝湯方、桂枝芍藥生薑各三兩、甘草二兩、大棗十二枚。麻黄湯方、麻黄三兩、桂枝二兩、甘草一兩、杏仁七十箇。今以算法約之、桂枝湯取十二分之五、即得桂枝芍藥生薑各一兩六銖、甘草二十銖、大棗五枚。麻黄湯取九分之二、即得麻黄十六銖、桂枝十銖三分銖之二、收之得十一銖、甘草五銖三分銖之一、收之得六銖、杏仁十五箇九分枚之四、收之得十六箇。二湯所取相合、即共得桂枝一兩十七銖、麻黄十六銖、生薑芍藥各一兩六銖、甘草一兩二銖、大棗五枚、杏仁十六箇、合方。)

桂枝(一兩十七銖(しゅ)、皮を去る)芍藥(一兩六銖)麻黄(十六銖、節を去る)生薑(一兩六銖、切る)杏仁(十六箇、皮尖を去る)甘草(一兩二銖、炙る)大棗(五枚、擘く)

右七味、水五升を以て、先ず麻黄を煮ること一、二沸、上沫を去り、諸藥を内れ、煮て二升を取り、滓を去り、一升を温服し、日に再服す。本(もと)云う桂枝湯二分、麻黄湯一分、合して二升と為し、分かちて再服すと。今合して一方と為す、將息は前法の如くす。

(臣億等謹んで桂枝湯方を按ずるに、桂枝、芍藥、生薑各三兩、甘草二兩、大棗十二枚。麻黄湯方、麻黄三兩、桂枝二兩、甘草一兩、杏仁七十箇。今算法を以て之を約するに、桂枝湯十二分の五を取り、即ち桂枝、芍藥、生薑各一兩六銖、甘草二十銖、大棗五枚を得。麻黄湯九分の二を取り、即ち麻黄十六銖、桂枝十銖三分銖の二を得、之を收めて十一銖を得、甘草五銖三分銖の一、之を收めて六銖を得、杏仁十五箇九分枚の四、之を收めて十六箇を得。二湯取る所は相合して、即ち共に桂枝一兩十七銖、麻黄十六銖、生薑、芍藥各一兩六銖、甘草一兩二銖、大棗五枚、杏仁十六箇を得、合方とす。)

 

 

21.太陽病(上)24条 桂枝湯と鍼

【二四条】

太陽病、初服桂枝湯、反煩、不解者、先刺風池、風府、却與桂枝湯則愈。十一(用前第一方)。

太陽病、初め桂枝湯を服し、反って煩し、解(げ)せざる者は、先ず風池、風府を刺し、却って桂枝湯を與(あた)うれば則ち愈ゆ。十一(前の第一方を用う)。

  この部分は、湯液と鍼を併用している有名なところです。

 湯液を治療手段のメインにして、鍼はその補助的な手段として用いているので、鍼灸師にはあまり参考にはならないかとは思いますが。

 

 さて、太陽病証で桂枝湯を服用したところ、意に反して「煩」が現れたのですね。

 煩というのは、胸の辺りがモヤモヤとして落ち着かない様子です。

 これらのことから、桂枝湯を服用してさらに発熱しても発汗がみられないのだと推測することができます。

 この場合、風池、風府を刺しなさいとあるのは、当然瀉法でしょう。

 筆者でしたら、手の要穴に引くか、百会を取って軽く寫します。

 発汗が始まることを、その兆しとして観ていれば良いですね。

 現代では、気滞が関係していることが多いと感じています。

 気滞が強いと、浮いてくるはずの脈が浮き切らないか、もしくは少陽病を思わせるような弦脉が現れることが多々あります。

 鑑別は、脉証も大切なのですが問診で太陽病証以外の病証が現れていないかを確認することが重要なポイントになります。

 表証に限らず、この気滞をどのように認識して解いていくのかということは、重要なポイントになります。

 このことに関しては、稿を新たにしていつかまた別に書きます。

 

 

 

20.太陽病(上)23条 (2)桂枝麻黄各半湯 読み飛ばし文の解説

 前回の続きです。

 前回読み飛ばした条文を解説します。

 以下にもう一度削った文を三つに分けて書き足してみますね。

太陽病、得之八九日、如瘧狀、發熱惡寒、熱多寒少、其人不嘔、清便欲自可、一日二三度發。

脉微緩者、為欲愈也。

脉微而惡寒者、此陰陽倶虛、不可更發汗、更下、更吐也。

面色反有熱色者、未欲解也

以其不能得小汗出、身必痒、宜桂枝麻黄各半湯。

太陽病、之を得て八、九日、瘧狀(ぎゃくじょう)の如く、發熱惡寒するも、熱多く寒少なく、其の人嘔せず、清便自可せんと欲し、一日二、三度發す。

①脉微緩なる者は、愈えんと欲すと為すなり。

②脉微にして惡寒する者は、此れ陰陽倶(とも)に虚す、更に發汗し、更に下し、更に吐すべからざるなり。

③面色反って熱色有る者は、未だ解せんと欲さざるなり。

其の小(すこ)しく汗出づるを得ること能わざるを以て、身必ず痒し。桂枝麻黄各半湯に宜し。

 

①<脉微緩なる者は、愈えんと欲すと為すなり>

 この①は前文の続きとして理解するのが妥当でしょう。

 この場合の脈微緩の微は、少陰病の脈微細ではなく、しかも桂枝湯証より弱いと解するのが妥当と思われます。

 太陽病を得て、八九日経ても他経に伝変していないことが確認でき、しかも脈が少し弱くとも浮緩であれば、自然治癒するので、このまま経過を観察すると良いということですね。

 

②<脉微にして惡寒する者は、此れ陰陽倶(とも)に虚す、更に發汗し、更に下し、更に吐すべからざるなり。>

 太陽病で発熱悪寒し、熱が多くて寒が少なく、脈が微弱なものは発汗させてはいけないとあります。

 ところが脈微で悪寒ですから、非常に陽気が失せた少陰病が思い浮かびます。

 脉微は、少陰病位ですので条文の通り発汗法、下法、吐法は不適応ですね。

 このような場合、どのように対処すればいいのか触れられていません。

 そこで、下記の27条桂枝二越婢一湯をみてください。

【二七条】

太陽病、發熱惡寒、熱多寒少、脉微弱者、此無陽也。不可發汗、宜桂枝二越婢一湯。

太陽病、發熱惡寒し、熱多く寒少なく、脉微弱なる者は、此れ陽無きなり。發汗すべからず、

桂枝二越婢一湯(けいしにえっぴいっとう)に宜し。

 脈も少陰病を思わせる微弱ですが、桂枝二越婢一湯方には附子が用いられていません。

 では、この脈の微弱は一体何を表現しようとしているのでしょう。

 おそらく、①の<脉微緩なる者は、愈えんと欲すと為すなり>よりは弱いということでしょう。

 脈微の意味合いが、言葉の表現の限界を示しているように思えるのです。

 経過を診ていても、脈だけで判断するのはかなり難しいのではないかと想像しています。

 そこを補うように、わざわざ外証である「悪寒」の有無を述べているのではないかと。

 ここは、推して知るべし、と思うのですがいかがでしょうか。

 

 ただ27条には、「熱多く寒少なし」とは言っていても、悪寒が記されていません。

 附子の証がないので、下肢はそんなに冷えていないのでしょう。

 では、越婢湯ってどういった証なのでしょうね。

 27条に至りましたら、再考いたします。

 

<面色反って熱色有る者は、未だ解せんと欲さざるなり>

 新古方薬嚢<荒木性次>をみると、桂麻各半湯を用いる目付処は、痒みが激しいためにぞくぞくと寒気立ち、熱が出る度に顔に紅味さす者に有効とあります。

 荒木性次は臨床家ですので、実際に用いて効果があったのだと思います。

 そうであるなら、「熱多く寒少なし」の寒は、意外と寒邪というより気滞なのかもしれませんね。

 このように発想を広げていくと、現代病であるアトピー性皮膚炎やその他の雑病に応用できると思いませんでしょうか。 

〔桂枝麻黄各半湯方〕

桂枝(一兩十六銖去皮)芍藥生薑(切)甘草(炙)麻黄(各一兩去節)大棗(四枚擘)杏仁(二十四枚湯浸去皮尖及兩仁者)

右七味、以水五升、先煮麻黄一二沸、去上沫、内諸藥、煮取一升八合、去滓、温服六合。本云桂枝湯三合、麻黄湯三合、併為六合、頓服、將息如上法。

(臣億等謹按桂枝湯方、桂枝芍藥生薑各三兩、甘草二兩、大棗十二枚。麻黄湯方、麻黄三兩、桂枝二兩、甘草一兩、杏仁七十箇。今以算法約之、二湯各取三分之一、即得桂枝一兩十六銖、芍藥生薑甘草各一兩、大棗四枚、杏仁二十三箇零三分枚之一、收之得二十四箇、合方。詳此方乃三分之一、非各半也、宜云合半湯。)

桂枝(一兩十六銖(しゅ)、皮を去る)芍藥生薑(切る)甘草(炙る)麻黄(各一兩、節を去る)大棗(四枚、擘く)杏仁(二十四枚、湯に浸け皮尖(ひせん)及び兩仁(りょうにん)の者を去る)

右七味、水五升を以て、先ず麻黄を煮ること一、二沸、上沫(じょうまつ)を去り、諸藥を内(い)れ、煮て一升八合を取り、滓を去り、六合を温服す。本(もと)云う桂枝湯三合、麻黄湯三合、併せて六合と為し、頓服(とんぷく)すと。將息(しょうそく)は上法の如くす。

(臣億等謹んで桂枝湯方を按ずるに、桂枝、芍藥、生薑各三兩、甘草二兩、大棗十二枚。麻黄湯方は、麻黄三兩、桂枝二兩、甘草一兩、杏仁七十箇。今算法を以て之を約するに、二湯各三分の一を取り、即ち桂枝一兩十六銖、芍藥、生薑、甘草各一兩、大棗四枚を得、杏仁二十三箇零三分枚の一、之を收めて二十四箇を得、合方とす。此の方を詳らかにすれば乃ち三分の一、各半に非ざるなり、合半湯と云うに宜し。)

 

19.太陽病(上)23条(1)桂枝麻黄各半湯 痒みと小発汗

【二三条】

太陽病、得之八九日、如瘧狀、發熱惡寒、熱多寒少、其人不嘔、清便欲自可、一日二三度發。脉微緩者、為欲愈也。脉微而惡寒者、此陰陽倶虛、不可更發汗、更下、更吐也。面色反有熱色者、未欲解也、以其不能得小汗出、身必痒、宜桂枝麻黄各半湯。方十。

太陽病、之を得て八、九日、瘧狀(ぎゃくじょう)の如く、發熱惡寒するも、熱多く寒少なく、其の人嘔せず、清便自可せんと欲し、一日二、三度發す。脉微緩なる者は、愈えんと欲すと為すなり。脉微にして惡寒する者は、此れ陰陽倶(とも)に虚す、更に發汗し、更に下し、更に吐(と)すべからざるなり。面色反って熱色有る者は、未だ解せんと欲さざるなり、其の小(すこ)しく汗出づるを得ること能わざるを以て、身必ず痒し。桂枝麻黄各半湯(けいしまおうかくはんとう)に宜し。方十。

  条文を意訳してみます。

 太陽表証となって8・9日が経過した現在、瘧(おこり)の状態のようになって発熱と悪寒が交互に現れる状態となった。その際、悪寒よりも発熱の期間が長い。

 この状態で、吐き気が無く、大便も通じている。

 だが瘧のような発作が、一日に二・三度起きる。

 脈が微緩であれば、もうすぐ治癒するであろう。

 脈が微で悪寒がする場合は、これは陰陽がともに虚している状態であるので、さらに発汗法、下法、吐法を用いるべきではない。

 しかしこれに反して面色に熱色がある場合は、まだ解けようとしている状態ではない。

 これはもう少しだけ発汗することが出来ないからで、この場合、正邪が肌表でうっ滞しているので身体が痒くなる。

 このような状態には、桂枝麻黄各半湯を考慮して少し発汗させるのがよい。

 

 意訳の部分を、いくつかに分けて詳しく見て参ります。

 この条文中に、おそらく後人の注釈が紛れ込んだのではないか、もしくは他の条文の錯簡があるのではないかと考えています。

 まずは、途中の文を削って単純にしてみます。

 

太陽病、得之八九日、如瘧狀、發熱惡寒、熱多寒少、其人不嘔、清便欲自可、一日二三度發。

以其不能得小汗出、身必痒、宜桂枝麻黄各半湯。

太陽病、之を得て八、九日、瘧狀(ぎゃくじょう)の如く、發熱惡寒するも、熱多く寒少なく、其の人嘔せず、清便自可せんと欲し、一日二、三度發す。

其の小(すこ)しく汗出づるを得ること能わざるを以て、身必ず痒し。桂枝麻黄各半湯に宜し。

 

 この文を分析してみます。

 太陽表証になって一週間以上も経過しているのですね。

 その間おそらく発熱発汗して大方解肌・解熱していて、治癒の手前にある段階だと思います。

 桂枝麻黄各半湯(以下、桂麻各半湯)の脈は浮で緊とまでは言えない、手当たりは落ち葉を按じるような枯れたような脈で、少し按じると緩脈だろうと思います。

 

 ここで問題となっているのは、瘧(おこり)の状の如しというところですね。

 いわゆるひとつ病位が落ちた、少陽病の往来寒熱に似た状態です。

 そこで吐き気がしないということで少陽病は否定されます。

 

 もうひとつは、瘧の状でのようで、熱が多くて寒が少ないことです。

 これは少陽病よりもう一段病位が落ちた、陽明病の潮熱の兆候かもしれないと思いますよね。

 そこで、大便が通じていることを述べて、陽明病ではないと言っています。

 「清便自可せんと欲し」とは、普通便がちゃんと通じていますよ、ということです。

 

 そして最後に、桂枝湯と麻黄湯の各半量を足して一剤として服用させ、少しだけ汗を取れば治癒すると言っています。

 方剤名は桂麻各半湯なので、桂枝湯と麻黄湯の各半量を合わせたものと思いがちですが、林億は方剤の量から桂枝湯1/3、麻黄湯1/3を併せて一剤としたものと解説しています。

 いわば、小剤なわけです。

 そしてこの桂麻各半湯の目標とすべき症状は、、身体が痒い症状だと言ってます。

 この痒みは、肌表での軽い気滞と捉えれば良いと思います。

 ここまで来ると、治療せずとも自ずと回復するのではないかと思うのですがどうでしょう。

 鍼を用いるのでしたら、補うことによって自然瀉法になるように持って行くか、軽く接触鍼程度で瀉法を施す程度で良いのではないでしょうか。

 桂麻各半湯方は、目を通して頂くだけで良いと思います。

 次回、今回読み飛ばした文との整合性を考えてみます。

〔桂枝麻黄各半湯方〕

桂枝(一兩十六銖去皮)芍藥生薑(切)甘草(炙)麻黄(各一兩去節)大棗(四枚擘)杏仁(二十四枚湯浸去皮尖及兩仁者)

右七味、以水五升、先煮麻黄一二沸、去上沫、内諸藥、煮取一升八合、去滓、温服六合。本云桂枝湯三合、麻黄湯三合、併為六合、頓服、將息如上法。

(臣億等謹按桂枝湯方、桂枝芍藥生薑各三兩、甘草二兩、大棗十二枚。麻黄湯方、麻黄三兩、桂枝二兩、甘草一兩、杏仁七十箇。今以算法約之、二湯各取三分之一、即得桂枝一兩十六銖、芍藥生薑甘草各一兩、大棗四枚、杏仁二十三箇零三分枚之一、收之得二十四箇、合方。詳此方乃三分之一、非各半也、宜云合半湯。)

桂枝(一兩十六銖(しゅ)、皮を去る)芍藥生薑(切る)甘草(炙る)麻黄(各一兩、節を去る)大棗(四枚、擘く)杏仁(二十四枚、湯に浸け皮尖(ひせん)及び兩仁(りょうにん)の者を去る)

右七味、水五升を以て、先ず麻黄を煮ること一、二沸、上沫(じょうまつ)を去り、諸藥を内(い)れ、煮て一升八合を取り、滓を去り、六合を温服す。本(もと)云う桂枝湯三合、麻黄湯三合、併せて六合と為し、頓服(とんぷく)すと。將息(しょうそく)は上法の如くす。

(臣億等謹んで桂枝湯方を按ずるに、桂枝、芍藥、生薑各三兩、甘草二兩、大棗十二枚。麻黄湯方は、麻黄三兩、桂枝二兩、甘草一兩、杏仁七十箇。今算法を以て之を約するに、二湯各三分の一を取り、即ち桂枝一兩十六銖、芍藥、生薑、甘草各一兩、大棗四枚を得、杏仁二十三箇零三分枚の一、之を收めて二十四箇を得、合方とす。此の方を詳らかにすれば乃ち三分の一、各半に非ざるなり、合半湯と云うに宜し。)

18.太陽病(上)22条 桂枝去芍薬加附子湯

【二二条】

若微寒者、桂枝去芍藥加附子湯主之。方九。

若し微寒する者は、桂枝去芍藥加附子湯(けいしきょしゃくやくかぶしとう)之を主る。方九。

 〔桂枝去芍藥加附子湯方〕

桂枝(三兩去皮)甘草(二兩炙)生薑(三兩切)大棗(十二枚擘)附子(一枚炮去皮破八片)

右五味、以水七升、煮取三升、去滓、温服一升。本云桂枝湯、今去芍藥、加附子、將息如前法。

桂枝(三兩、皮を去る)甘草(二兩、炙る)生薑(三兩、切る)大棗(十二枚、擘く)附子(一枚、炮(ほう)じて皮を去り八片に破る)

右五味、水七升を以て、煮て三升を取る、滓を去り、一升を温服す。本(もと)云う桂枝湯より、今芍藥を去り、附子を加うと。將息(しょうそく)は前法の如くす。

 

 この条文は、21条の続きとして読んでくださればと思います。

 太陽病で下すべき証があり、一旦下法をかけた後に現れた証でしたね。

 そして太陽表証がまだ残っており、脈が迫ってくるような数脈で、胸満がしている。

 その上さらに「微寒」する場合は、桂枝去芍薬加附子湯なのですよ、ということです。

 炮附子を加味していますので、脈力は弱く感じるはずですが、脈だけで桂枝去芍薬湯と噛み分けるのは、難しいですね。

 しかし条文中に「微寒」とあります。

 悪寒とは書いていませんので、実際に寒がるだけでなく、やはり切すると腰から下肢にかけて冷えていると思われます。

 この冷えの状態がひとつの目標として、鑑別できると思います。

 小便も、少し出難いかもしれませんね。

 

 鍼を用いる場合、桂枝去芍薬湯よりも虚証です。

 この場合の胸滿は、胸のうっ滞を押し出す力が不足していると考えますので、まず下に取穴して腎陽が高まる様に持っていくと良いのではないでしょうか。

 その結果として、身体が自然に瀉に働けばいいですね。

 しかし下に引いて補って、仮に脉力が出て来ても、胸滿が取れない、もしくは悪化するようでしたら、気滞が原因しているかも知れません。

 このような場合は、脉力が出ても浮き切らないかも知れません。

 また、脉が少し早くなるかも知れません。

 もしそうならば、上焦部位から経穴を選んで軽く瀉法を施すという手も良いかもしれませんね。

 このように、病理が理解できていると自由に取穴して頂けると思います。

 

 次回は、23条ですが少し複雑です。

 条文中に攙入があると思われるからです。

 あらかじめ目を通して頂き、ご自身なりの理解をしておいてくださればと思います。

17.太陽病(上)21条 桂枝去芍薬湯ー胸満

【二一条】

太陽病、下之後、脉促(促一作縱)、胸滿者、桂枝去芍藥湯主之。方八。

太陽病、之を下したる後、脉促(そく)(促を一つは縱と作す)、胸滿する者は、桂枝去芍藥湯(けいしきょしゃくやくとう)之を主る。方八。 

〔桂枝去芍藥湯方〕

桂枝(三兩去皮)甘草(二兩炙)生薑(三兩切)大棗(十二枚擘)

右四味、以水七升、煮取三升、去滓、温服一升。本云桂枝湯、今去芍藥、將息如前法。

桂枝(三兩、皮を去る)甘草(二兩、炙る)生薑(三兩、切る)大棗(十二枚、擘(つんざ)く)

右四味、水七升を以て、煮て三升を取り、滓を去り、一升を温服す。本(もと)云う桂枝湯より、今芍藥を去ると。將息(しょうそく)は前法の如くす。

 

 これも15条P47と同じく、下すべき証があったのでしょう。

 ところが15条には無かった「脈促」と「胸満」が現れています。

 促脈とは、不規則な脈だとする説もありますが、筆者は数脈で脈の去来が迫ってくるように感じる脈と捉えています。

 「胸満」でありますから、気が胸に充満して心神に迫っている状態です。

 おそらく、精神的にも追いつめられたかのような感覚がしているだろうと思います。

 ここに湿痰などの陰邪が関係してくると、不規則な脈になるだろうと考えます。

 これは、臨床で度々確認していることです。

 この証では、陰邪の存在よりもむしろ陽邪のうっ滞ですから不規則な脈にはならないだろうと考えます。

 桂枝去芍薬湯は、桂枝湯から芍薬を去ったものですから、病位が少し上になります。

 芍薬に関しては、すでに桂枝湯のところで述べていますので、ここでは触れません。

 この「胸満」は、気が上衝するためですので、やはり桂枝が有効なわけです。

 

 鍼だとやはり上焦部位に取穴するのが良いでしょうね。

 表証がまだ残っているので、そのまま手の陽経の経穴を使うのが良いと思いますし、内熱が勝っているようですと陰経に瀉法を加えるなど、脈を診ながら加減するとよいと思います。

 思い切って、百会に引いて瀉法でも良いと思います。

 その時の身体の虚実の程度と、どこに最も反応が出ているかですね。

 要は、胸満」している気をどのようにさばけば良いのか、どのように・どこへ逃がしてやるのかということさえ分かれば、あとは自由自在です。

 

 112条P81に、桂枝去芍薬加蜀漆牡蛎竜骨救逆湯という、長ったらしい名の方剤があります。

 また金匱要略の水気病31条P329に桂枝去芍薬加麻黄附子細辛湯という方剤があります。

 各方剤の冒頭に「桂枝去芍薬」とありますが、条文中に「胸満」の症状は記されていません。

 ですが胸に気が満ちて一杯になった、「胸満」の状態であることを書き加えて読むとさらに病態が具体的にイメージしやすくなるのではないでしょうか。

 このように、「傷寒論」の筆法は、省略に省略を重ねているので、まさに「尋ねる」ように読まないと、なかなか答えてくれない書物です。

 その分、得るものも大きいと感じています。

 ですからこの桂枝去芍薬湯を理解していると、先に進んで112条や水病31条に行き当たれば、さらに深い理解が得られると思います。

16.陽病(上)20条 桂枝加附子湯

 【二〇条】

太陽病、發汗、遂漏不止、其人惡風、小便難、四肢微急、難以屈伸者、桂枝加附子湯主之。方七。

太陽病、發汗し、遂に漏れ止まず、其の人惡風し、小便難、四肢微急(びきゅう)し、屈伸以て難き者は、桂枝加附子湯(けいしかぶしとう)之を主る。方七。

 条文を意訳してみます。

 太陽病証であったので、発汗法を用いました。

 ところが発汗が過ぎてしまい、遂には漏れが止まらなくなってしまった。

 今現在の証は、悪風がして小便が出難く、手足が少しひきつるようで曲げ伸ばしがし難い状態である。

 この証は、桂枝加附子湯である。

 

 桂枝湯証に麻黄湯を服用させたのか、もしくは桂枝湯を過度に服用させた結果なのか、とにかく太陽病で発汗法を用いた後、引き続き汗が出て止まらないことが分かります。

 もしそうであれば、16条の壊病です。

 いわゆる誤治の結果ですね。

 そうでなければ、太陽と少陰の併病であると考えられます。

 

 まだ自汗と悪風があるのでさらに桂枝湯を服用させたいところです。

 しかし、小便難と四肢微急、屈伸難が現れているので、これは単なる桂枝湯証の自汗ではなく、気が漏れて止まない姿であることを「遂に漏れ止まず」と表現しています。

 そしてわざわざ小便難と記しているのは、暗に腎陽の気化作用の低下を示している訳です。

 そうしたら、手足のひきつりと屈伸難は、陽気不足によって起きているわけですから、足に触れるとすでに厥冷が始まっているだろうと推測することが出来ますね。

 臨床では、実際に触れてみればすぐに分かることです。

 さらに推測を重ねて行けば、おそらく脈は浮大緩無力で、締まりが無く頼りなく感じる脈のはずです。 

 以上のことから壊病でなくても、太陽病と少陰病の併病もしくは合病としても理解出来ます。

  四肢微急、屈伸難に関して、29条に出てきます芍薬甘草湯証の脚攣急との鑑別が大切です。

 芍薬甘草湯の脚攣急は、いわゆるこむら返りのような状態で、はっきりと引きつります。

 それに反して桂枝加附子湯証の場合、何となく強ばったようで曲げ伸ばしがし難いといった感じです。

 また術者が少陰病位であることを察知して、問診で聞き出さないと分からない軽度な現れ方をすることがあります。

 仲景先生に、どんどん尋ねて参りましょうね。

 

 附子について解説します。

 附子の気味 大辛温大熱 有毒 (中医学)

 薬徴:水を逐うを主る。故に悪寒、身体四肢骨節疼痛或いは沈重、或いは不仁、厥冷を治す。傍ら腹痛、失精、下痢を治す。

 附子は、生をそのまま用いる場合、「生附子」として大辛温大熱の威力を発揮し、四逆湯類などの回陽救逆に働きます。

 また水でさらして毒を緩めるなどして炮製されたものは、「炮附子」として補陽益火、散寒止痛などの効能があります。

 以上は、中医薬学的な解釈になりますが、後に「薬能」として附子について別に論じたいと思います。

 附子は、少陰病の陽虚のバリエーションによって生附子と炮附子と使い分けられます。

 薬徴にありますように、附子は水を大きく動かす薬剤ですが、主に下焦の陽気を鼓舞します。

 温薬中では、

 上焦の水は麻黄

 中焦の水は白朮・茯苓ペア

 下焦の水は附子 といったイメージを筆者は持っていますので、参考になさってください。

 

 さて、桂枝加附子湯を鍼で行うのでしたらどのように考えますでしょうか。

 桂枝湯証は、上焦部位の陽経の経穴を用います。

 筆者は、附子を意識するなら、空間的に下に取りたいと考えます。

 手の親指側=任脈

 手の小指側=督脈

 ざっくりとこのように捉えますと、

 足の親指側=任脈 ・・・足少陰・足太陰

 足の小指側=督脈 ・・・足太陽

 と捉えることが出来ます。

 このように考えると、桂枝加附子湯証は、足太陽の申脈穴、京骨穴(ともに補法)などを候補に挙げることが出来ます。

 空間的に下に取穴することで、下焦に気を集めて陽気の回復狙うことが出来ます。

 陽気が回復すると、発汗の漏れは自ずと止まります。

 すると肌表のすぐ下に正気が充実しますので、自ずと駆邪に働いて回復すると考えますが、どうでしょう。

 ある程度の原理さえとらえれば、鍼は非常に便利で即効性があります。

 

〔桂枝加附子湯方〕

桂枝(三兩去皮)芍藥(三兩)甘草(三兩炙)生薑(三兩切)大棗(十二枚擘)附子(一枚炮去皮破八片)

右六味、以水七升、煮取三升、去滓、温服一升。本云桂枝湯、今加附子、將息如前法。

桂枝(三兩、皮を去る)芍藥(三兩)甘草(三兩、炙(あぶ)る)生薑(三兩、切る)大棗(十二枚、擘(つんざ)く)附子(一枚、炮(ほう)じて皮を去り八片に破る)

右六味、水七升を以て、煮て三升を取り、滓(かす)を去り、一升を温服す。本(もと)云う桂枝湯に、今附子を加うと。將息(しょうそく)は前法の如くす。