ブログ『鍼道 一の会』

『鍼道 一の会』は、「福祉への貢献」を目的に、「伝統医学」を規範に、「鍼灸」を手段に、「大阪市」を本拠地に据え、活動を続けている団体です。

活動報告―5月臨床講座

 5月28日の臨床講座、今回のテーマは『問診』。

 稻垣学術部長が終始座長を勤めました。

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 問診は、何を基準として問うていけばよいのかを解説し、八綱(陰陽・表裏・寒熱・虚実)を確定するために何をどのように意識的に問いかけていけば良いのかを解説。

 これ、なかなかな難しいのです。

 そして簡単な病因病理のモデルを示しながら、気滞が病邪を生むのか、病邪が気滞を生むのかという前後の鑑別まで説明。

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 そして今回、自分自身を弁証してみようということで、まずは参加者全員が自分自身について「一の会カルテ」を作成。

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 筆者も自分自身のカルテを、初めて作成してみました。

 

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 改めて自分のカルテを見直して感じたことは、やはりお酒を控えなければならないなということでした。(^-^;

 お昼の休憩をはさみまして、午後からは参加者相互で問診実技。

 

 そして稲垣、永松、金澤と講師3人でそれぞれ個別に指導。

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 筆者も加わりました。

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 病態把握のためには、何を意図的に問うていかなくてはならないのか。

 

 問診事項の矛盾点を見つけ出し、どのような思考でその矛盾を解いていくのか。

 例えば、運動をして汗をたくさんかくとすっきりとする。しかし入浴するとめまいと共にしんどくなるというこの矛盾.

  足腰が冷えるにもかかわらず、冬でもアイスなど冷たいものを好むなどの矛盾を、矛盾なく説明できる病理を知るために何をどのように問うていけば良いのかなどです。

 そして各問診事項間のつながりを意識しながら、問うていくに従って問診者の心内に確信が持てるようになってから切診に移ります。

 切診は、問診で得た病因病理が実際の身体が表現している象と矛盾していないか、虚実の程度、寒熱の真仮などを確認するために行うといっても過言ではありません。

 

 そして最後の締めくくりはこの人、永松先生による身体学。

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 今回は、これまで培ってきた抜力の感覚で身体に触れ、皮毛、血脈、肌肉、筋、骨を噛分ける練習テーマでした。

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 この感覚で切診を行うと、触れられる相手の気とうまく調和することができるので、互いの気の交流が円滑になります。

 刺鍼も同じ感覚で行うと、大きな結果を得ることができます。

 この感覚、言葉でお伝えするのができないのが残念です。

 次回『一の会』基礎講座は、6月11日。臨床講座は6月25日です。

 

 

『鍼道 一の会』は、常時入会を受け付けております。

 興味が湧いた、面白そう、ピン!と来た方、どうぞお問い合わせください。

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 『鍼道 一の会』 事務局 大上(おおがみ)まで

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三才思想③-霊性とは

三才思想①-理想と現実

三才思想②-神と生命

前回までのお話し

 前回では、宇宙の霊妙不可思議な働き=『神』について書きました。

 要約すると、『神』というのは、いくら頭で考えて理解しようとしても無駄ですよ、自ら『神』であることを自覚して、直観で感じ取るものなのですよということでした。

 そして東洋医学では、この『神』を候う事から始まるというところまで書きました。

 その『神』を候うには、自らに備わっている『霊性』を用います。

 霊性とは、万物と繋がっている感覚、関係性そのものと筆者は感じています。

 この霊性が備わっているからこそ、共感ということが生じるのですね。

 これ、思考ではなくって感覚・感性的なものです。

 『思考』を働かせ過ぎると、感覚・感性は隠れてしまいます。

 この『霊性』的感覚をフルに用いて治療を行うのが、東洋医学です。

 霊的感性を用いて初めて人と出会ったとき、とんでもなく多くの情報がもたらされます。

 これを後から整理するために、思考は有効です。

 治療所の場の空気が、患者さんが来院する前と入室後ではどのように違うか。

 相手の影の濃淡、印象の明暗、動作の遅速、声の調子・・・瞬時に入ってくる多くの情報を瞬時にまとめて、まずは治し易いか否かを判断します。

 このように書くと、特別なことのように思われるかもしれませんが、そうではありません。

 みなさまも、外出先から家に入ると、場の空気の違いを感じられると思います。

 また、ご家庭に来客があると、家庭内の気も変わりませんでしょうか?

 このような感覚は、誰でもが持ち合わせているものです。

 東洋医学では、このような感覚を治療に繋がる様に意識的に用いるだけなのです。

 

 

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三才思想②ー神と生命

三才思想①-理想と現実

前回までのお話し

 

 さて、この天人地=上中下の三才ですが、これに東西南北中央を当てはめると、空間の出来上がりです。

 さらに春夏秋冬の四季を加えますと、時系列で空間の変化を観察することが出来ます。

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 これを人体と相関させると下図になります。

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 自然界の天の部は、横隔膜の上で胸郭部から頭部に相当します。

 人の部は、横隔膜からおへそにかけてのお腹。

 地の部は、おへそから下半身に相当します。

 

 自然界の天の気は、人間のこころと同じように様々に変化して世界に影響を与えます。

 古代中国では、この宇宙の霊妙不可思議な作用を『神』と呼ぶのですが、人間にもこの『神』が備わっていると考えます。

 

 さてさて、この『神』、易経という大変古い書物には、

 「陰陽で測ることのできないもの、これを神という」

のだと記されています。

 <易経 繋辞上伝 陰陽不測之謂神>

 これ、何度読み返しても卓見だと思います。

 

 陰陽というのは理ですから、『神』とは人智を超えたものなのだと当時の人々は達観していたのですね。

 逆に観れば、『神』とは、直観的に感じ取るものであるということです。

 なぜなら、自らがすなわち『神』であるからです。

 

 このように思うと、我利我利の自我も、それを超える『神』を自覚するためにあるのかもしれませんね。

 そのように思うと、筆者は随分と心が楽になります。

  

 我々全員、いや草木も動物も、ありとあらゆるものに『神』は内在し、生命の表現するあらゆる現象は、『神』の顕れといえます。

 

 日本神道では、八百万の神と言いますよね。

 まさにこのことですね。

 東洋医学では、この『神』を候う事から始まります。

 

 

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三才思想①ー理想と現実

 東洋医学の基本的な考えに、天人合一思想というものがあります。

 天人合一の「天」とは大宇宙・大自然のことで、「人」とは小宇宙・小自然のこと。

 自然界の気の動きや変化の法則は、それはそのまま人間にも当てはまるという考えです。

 つまり人間をミクロコスモスと捉える思想です。

 これ、日本神道も同じように考えますよね。

 その天人合一思想を具体的に認識するために「三才」という捉え方があります。

 

 「三才」とは、まず自然界を上下・天地の2部に分けます。

 さらにその間に人を加え、天・人・地=上・中・下の3部にざっくり割って認識しようとする考えです。

 そして天の気は下り、地の気は上り、天地陰陽の気の交流によって、我々が生きている人の部に、様々な価値が創造されると考えるのです。(下図をご覧ください)

 

 この天人合一思想とは、実は易学の基本でもあるのです。

 東洋哲学は、一貫してこれを元に展開され構築されているといっても過言ではないと思います。

 

 ですから、医学だけでなく、養生学、処世術、帝王学(政治)、経済、天文地理と、あらゆる分野に応用されています。

 

 下図は、『一の会』の基礎講座で用いたものです。

 天は理想、地は現実。

 理想と現実をいかに調和させ、より高次の段階に発展していくかを示しています。

 人類は天地の間にあって、絶えず生成と消滅を繰り返しながら創造・変化・発展に向かっているのです。

 

 そして天は剛で高くて施し、地は柔で卑(ひく)くして生みだす。

 これ天道に適った政治が行われれば(=天)、庶民(=地)は施しを受けてしっかりと働き、実りを得て大いに喜び、為政者はますます安泰となり国は栄える。

 帝王学では、このように考えるようですね。

 自分自身を一国と見立てると、自分を治めることは国を治めることになりますね。

 筆者にとっては、なかなかむつかしい問題であります。

 

 空を見上げ、飛びたいと空想したことから飛行機は現実化し、早く移動したいと願ったから車として現実化したのですよね。電話などもそうですよね。

 そして現実化したものによってさらに新たな理想と空想が生まれ、それがまた現実化する・・・その流れは一貫して創造・変化・発展です。

 その間には多くの矛盾を生じますが、それがまた更なる進化へと繋がる。

 このように観ると、宇宙の働き、人類ってすごいですよね。

 さて、これを医学に応用するとすれば、どうしますかね・・・

 

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誇りについて

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 我々東洋医学をやってる人間は、中国や日本の古典に触れる機会が多いのですが、それらに触れていると、時折著者の『誇り』のようなものを感じるんです。

 誇りって、自慢じゃないですよね。

 これは、明確に別物です。

 誇りと優越感、優越感は劣等感の裏返しですから。

 相手の反応によって、仏と鬼の間を往ったり来たりになってしまいますから。天使と堕天使みたいになってしまいますよね。

  自尊心も同じですよね。人に何か言われて傷つくようなものは、自尊心とは呼べませんよね。

  さりとて、人に何か言われて傷つかないようでも、自尊心は容易に高慢と化してしまいます。

 高慢も優越感も、善悪で図れないものですが、ただ、自分自身を思い込みの中に閉じ込めてしまうので、実は息苦しいはずだと思います。

 まことに人のありようは、言葉では表現しきれないですね。

 

 筆者の感覚では、自ら『誇る』と発したら、もう『誇り』でないように思います。

 誇りとは、接した相手が感じるものであって、自ら意図的に発するものじゃないと思うのですよね。

 で、その『誇り』は、筆者の感覚では当たり前のことから外れない心の在り様だと、筆者は思ってます。

 この、当たり前のことから外れないというのが、筆者にとってはなかなか難しい。

 当たり前のことというのは、自然の道理、宇宙の原理のことです。

 大きくたとえれば太陽は、差別なく万物に作用して照らし温め施し、大地は天から降りてくる雨や陽光を受けて形ある万物を生み出すようなことです。

 これ、当たり前に作用して自ら主張しませんよね。

 

 人にあっては、例えば男女陰陽が相交流・協力して新しい人間をこの世に誕生させ育てること。

 男女入り乱れ共有した場や関係性の中で、対立・闘争⇔協調・平和を繰り返しながらつねに新しい価値を創造し化育する働きなどです。

 

 宇宙も地球も人類も、一貫してこの働きによって変化・発展して今現在があるのですから。

 

 さらに小さく人の日常は、太陽が昇れば起きて、日が沈めば寝る。腹が満たされたら幸せと感じて満足を楽しむ。

 あらゆるものとの関係性で自分が成っているのだから、当たり前のように自他の区別なく相互扶助の気持ちが起きるなどです。

 

 このように書いてましても、筆者はしょっちゅう我よしの心に囚われて、ついイラっとしたりカッとしてしまいますので、誇りならぬホコリ高き人間という程度ですな。

 

 話を元に戻しますと、素晴らしいなと筆者が感じる古典は、一つにはこの天地自然の道理に法って一貫して記されていること。

 もう一つは博愛、人間愛に溢れていることです。

 このような古典は、時代を超えて読み継がれています。

 その最たるものは、素問・霊枢・傷寒・金匱などをはじめとした古典の数々です。

 さらには、行動もまた一致している。

 医学書であれば、著者の処方を見れば、おおよそどんなこと考えてどんな事やっていたのかが見えてきます。

 いわゆる知行一致というやつです。

 すごいなって感じますし、この人、誇りを持って生きたんだなと感じます。

 憧れますよ、そのような生き方をした先達には。

 筆者は、吉益東洞(1702-1773)とか原南陽(1753-1820)の医書に目を落とすと、シビレます。

 湯液(漢方薬)も鍼灸も、医学原理は同じです。二人とも、見事に簡素にして高度な治療を行っています。

 鍼は1本でも、ぶれずに直に下す。簡素にして高度。

 このような鍼に集約されるような生き方を目指したいですね。

 

 草花は、静かにその、時を待つ。

 花が咲くまでには、準備が必要です。

 静かに淡々と根の基本を培う。

 時期が来れば自然と花咲いて、しかも誇らない。

 古典に触れてると、このような感覚になるんですよねぇ。

 初学の方々、志を高くしてじっくり根を養えば、時節は必ずやってくるのが天の道理というものです。

 

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なぜ漢字なのか

 5月14日、「一の会」基礎講座でお話しした内容の一部です。

 あちこちでセミナーをやっていて、いつも気になることがあります。

 いくつかあるうちのひとつに、漢文どころか漢字そのものが苦手という人が以外と多いことです。

 そこで「一の会」でちょっと実験を行いました。

 

 参加者の中から1名を募り、ホワイトボードの前の椅子に座ってもらいました。

 そしてホワイトボードに大きくと書いた矢印を見ながら立って頂きました。

 次に今度はと矢印を書いて立って頂きました。

 さて、どちらが立ちやすく感じたでしょう。

 

 被験者の方は、顕著に印が立ちやすく印が立ちにくいと感じたとのことでした。

 ここで申し上げたいことは、目に触れた対象からは無意識ではあっても、感覚的に影響を受けるということです。

 

 そして漢字です。

 漢字は、みなさまご存知のように象形文字です。

 象形というのは、古代人の文化的感性を基にして絵画的・イメージ的に作られたということを意味します。

 ですから漢字は、ぱっと見ただけで人の感性に訴える味わいがあるのですよね。

 

 その漢字は、おおよそ3300年前に成立したとされています。

 漢字は、私たちが共有している文化的感覚と密接に関わっており、民族性そのものということもできます。

 『常用字解 平凡社』の中で、著者の白川静は、

「漢字はもともとその時代の社会的儀礼・加入儀礼の実際に即して生まれたものである。」

「文字を通じて、その生活史や精神史的な理解にまで及ぶことができる。」と述べられています。

 漢字を専門的に掘り下げる必要までは無いにしても、漢字に慣れ親しむことは潜在的に文字を通じて古代人の息遣いが伝わってくるということです。

 我々は『気』を読み取り、本来あるべき姿に『気』を導くのが治療なのですから、このような感性を養うことがとても重要です。

 これは漢字の意味を理解する事も大事ですが、それ以上に大切なことであると考えています。

 たとえば『雨上がり』という言葉からなにか連想されるものがありませんでしょうか。

 雨が降った後のさわやかな空、まだ水滴を宿した木々の葉、やれやれ何となくうれしい・・・などなど。

 ところが同じ意味でも『after the rain』と書くとどうでしょう。

 欧米人がafter the rain』という言葉に触れた感覚は、僕には理解できません。

 しかし東洋人である筆者の感覚では、雨が降った後、それから?と続きを聞きたくなります。

 

 このように東洋医学を学ぶ上では、この漢字文化に内包されている古代人の「気」に触れることがとても大事なことになります。

 

 筆者も、漢文をスラスラ読んで意味がすぐに分かるレベルではありません。

 しかし、東洋医学は特に『温故知新』ということが重要です。

 ちなみに、『温故知新』とは、<故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る>と読みまして、意味はお分かりと思います。

 『温故知新』、東洋医学には、最も大切な精神です。

 漢字を覚えるというよりも、漢字は「むつかしい」という思い込みを外して頂いて、たくさん接するうちに、なんとなく分かるようになってきた・・・という入り方でいいと思います。

 「一の会」の参加者の皆様、会では漢文を多用していますが、ぜひとも馴染んでください!

 そして、

 古代人の心には、大自然がどのように映っていたんだろう。

 そして、人間もまたどのように見えていたんだろうって、心を馳せて楽しんでください。

 

 写真は、新進気鋭の川越凌太先生。

 経絡学を漢文を用いて解説して頂きました。

 ハキハキとした語り口調で講義をされ、先生の気がとても小切れよく伝わって分かりやすいと定評です。

 川越先生、慣れない漢文に対してものおじせず、果敢にチャレンジしておられます。

 すばらしい!!

 

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動画「表寒の証と局所治療」

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『鍼道 一の会』事務局スタッフの大上です。

 

先日 書かせていただいた活動報告

新年度 <臨床講座>スタート! - ブログ『鍼道 一の会』

の中で少し触れましたが・・・

 

外邪を考慮せずに局所治療を行うと、(たとえば)どのようなことが起きるのか?

 

ということについて。

 

⇒結論から言うと、局所は良くなったが全身状態は悪化した のです。

 

そのメカニズムについて、稻垣学術部長の講義から一部抜粋して動画を作成してみましたので、ぜひご覧ください。

 

ちなみに、ここに挙げたのはほんの一例であり、

他にもこのような症例は たくさんあるそうです!

 

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稻垣先生に魅力を感じられた方は、ブログ「とある針灸師の実情」の読者登録をお勧めします(*^^*)

 

 

 

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