ブログ『鍼道 一の会』

『鍼道 一の会』は、「福祉への貢献」を目的に、「伝統医学」を規範に、「鍼灸」を手段に、「大阪市」を本拠地に据え、活動を続けている団体です。

陰陽応象大論篇第五

 黄帝が申された。

  陰陽というものは、天地大自然の絶対的な法則である。

  この世に存在するあらゆるものは、この法則によらないものは無いのである。

  春に芽を出し生まれ、秋に死に枯れ生々流転する自然界のあらゆる変化は、目に見えない陰陽二気の消長・転化の法則がその根本にあるからである。

  反対にみれば、大自然は陰陽の働きの舞台であり、目に見えないこの働きによって草木は花を咲かせ、実をつけるのである。

 このように天地の間で、陰陽二気の神妙なる働きが繰り広げられ、草木1本、傍らの石ころ1個の中にさえ陰陽の法則を見出すことが出来るのである。

 人の病の治療に際しては、等しくこの陰陽の法則が働いているのであるから、これを熟知し、陰陽の法則を以て病因・病理を究めなければならないのである。

 これは、基本中の基本であり、これを「道に法る」というのである。

 であるから、人を深く理解するには、大自然をよく観察するがよい。

 陽気の性質は上に昇るのであるから、天は陽気が集積する無形の場であり、陰気は下に降りるのであるから大地は陰気が集積する有形の場である。

 陰は静かであり穏やかで動かない性質であり、陽は騒がしく猛々しく活動的である。

 陽は生じさせる働きであり、陰は成長を促す働きである。

 陽は発散して滅してしまい、陰は収斂して形を堅固にする。

 陽は変化を生じさせる気であり、陰は象(かたち)である。

 寒の性質は収斂=引き締めるのであるから、対極にある陽気は凝縮されて極まると一転して熱となり、熱の性質は発散・消耗、減であるから、対極にある陰気が長じて極まると一転して寒となるのである。

 

 大好きが極まると大嫌いに転化し、大嫌いが極まると大好きに転化する。

 大好きはすなわち大嫌いであり、大嫌いはすなわち大好きなのである。

 

 静かなる鬱積が極まれば爆発し、発散が極まればおとなしい静に転化する。

 爆発は静けさであり、静けさは爆発なのである。

 

 手を氷水の入った洗面器に漬けて出すと一転して火照りという熱の症状が現れ、身体が発熱して発汗が過ぎると一転して身体が冷え切って死に至るという現象も同じである。

 

 このように、物事は極点に達すると陰陽の逆転=転化が起きることは、自然の大法則なのである。

 

 陰である寒気は、下に降りて凝り固まるので目に見える濁を生じる。

 陽である熱気は、上に昇って拡がって行くものであるから、目に見えない澄んだ清を生じる。

 本来昇るべき清気が昇らず、下に留まれば猛々しく動の性質である陽気は、出口を肛門に求めて下痢を起こすのである。

 この場合、熱気が下るのであるから便の臭いはきつく、肛門も熱く感じるのである。

 また、本来降りるべき濁気が降りず、上に留まればおとなしく静の性格である陰気は、動くことが出来ないので全身の気が停滞し、胸が詰まったかのようになり、さらにお腹も膨れて張って来るのである。

 上から降りて来ることが出来ないので、下から上に昇ることも出来ないからである。

 これら相反する陰陽の働きが、本来の動きをし、法則に従っておれば順であるので病とならないのである。

 ところが本来の動きが出来なくなり、この法則に適っていなければ逆であるので病となるのである。

 要するに、自然の法則に従っているか、逆らっているか。こんな単純なことで病気になるかどうかが決まるのである。

  

 天は清陽が昇った無形の場であり、地は濁陰が集まった有形の場である。同じことを繰り返し述べるのは、これが重要であるからだ。

 まずは誰にでも分かるように、大自然を大雑把に捉えてみよう。

 濁なる地気から生じた清陽の気は、天の気の作用が極まってくる兆しとして雲となり、天の気が極まれば物質化して雨となって濁陰なる大地に下るのである。

 雨は天から降りて来るといっても、元々は地気が極まって上昇したものである。

 その地気が昇って姿を現す天の雲は、天気の働きによるのである。

 このように陰陽・清濁は、天地の間を姿を変えながら生々流転するのである。

これを小自然である人体に応用して説いてみる。

 清陽は、上に昇るのであるから人体の天である頭部の耳目口鼻の孔より出入りし、濁陰は下降するのであるから人体の地である尿道と肛門の穴より出て行くのである。

 飲食物に含まれる清陽の気は、摂取すると体表に赴き、皮膚より発して全身を陽気で包み、飲食物に含まれる濁陰の気は、栄養物としてすばやく五臓に入るのである。

 さらに清陽の気は、手足を充実させて労働を可能にし、濁陰の気は、六腑の消化作用を行う上での物質的基盤になるのである。

 万事このように、大自然の気の動きに照らし合わせて人体の気の変化を捉えて行くのである。

 

 象徴としての水は陰であり、火は陽である。火である陽は、人体においては気であり、陰は5つの味の作用を有している飲食物である。

 五味を有する飲食物によって肉体は形成され、飲食物によって充実した肉体からは元気が生じる。

 元気は物質的に最も尊い人体の物質的基盤である精を作ることが出来、その精は五臓六腑の消化作用を強固にし、飲食物をまったく異なる気血に化する作用を生みだすのである。

 

 精を作り出すには気を消費し、肉体は飲食物を消費することで成り立っているのである。

 そして消化という言葉通り、消えて別物になることを化といい動きを変というのである。

 この化の作用によって精は生まれるのであり、気によって肉体を育て個体として維持するのである。

 

 これを裏返せば、飲食物の不摂生は肉体を傷害し、肉体が傷害されると気が弱って精も傷害され、精は気を生み出すのであるから、結局は飲食物によって気は傷害されると言うことになる。

 要約すれば、過不足なく清潔で正しいものを食べていると、肉体的にも気が充実して精をたくさん作ることが出来、精が充実してくると身体の気血が充実して来る。

 

 反対に、飲食の不摂生をしていると、肉体が弱り気も不足して来るので精を作り出すことが出来なくなってくるということである。

 気は精をその根にしているので、結局のところ気は、飲食の不摂生によって傷害されるのである。

 飲食物は有形であるから陰であり、水である。水は陽気を内包している。

 飲食物は有形であるために下降して、尿道と肛門から排泄される。

 飲食物の陽気は、無形であるために頭部にある鼻・口・耳・目などの穴から排泄されるのである。このように、飲食物には、陰陽の二気が内包されているのである。

 その内の陰気に焦点を当てると、味の厚い濃厚な飲食物は、陰中の陰であり、味の薄い飲食物は陰中の陽である。

 

 次に陽気についてみると、気の厚い酒や熱いものなどは陽中の陽であり、気の薄い薬味や適度な温かさのものは陽中の陰である。

 さて、味の厚い濃厚な飲食物は陰中の陰であるがゆえに、下降・停滞の性質が強いので泄瀉を起こし、薄いものは陰中の陽であるがゆえに、上昇・活発の性質が強まるので全身の気血がよく回って通じるのである。

 そして陽気の薄い飲食物は、発汗する程度であるが、陽気の厚い飲食物は、当然のことながら発熱するのである。

 体温が異常に高い壮火であると気は衰え、正常である少火は、気を壮んにする。

 壮火は気を消耗させ、気は少火に養われる。

 壮火というのは陽気過剰であるから気を発散させてしまい、少火は気を益々充実させるのである。

 さて、酸・苦・甘・辛・鹹の五味の働きを気味というのであるが、それらを陰陽に分類すると、辛は舌を刺してピリピリとして熱を生じ、甘は柔らかく緩めて気を停滞させるので熱を生じ、共に熱は発散の作用があるので陽である。

 酸はツーンとした刺激で引き締める作用があり、苦は苦痛を生じて我慢するので固める作用があり、共に気を内に閉じ込める作用があるので陰である。内に閉じ込められた気は口・肛門から出て行くので涌泄、つまり吐下の作用があるのである。

 

 正常無病の人は、陰陽二気が上手くバランスを保っているが、陰陽二気が大きくどちらかに偏在する時には病気となるのである。

 陰が盛んであると陽が病み、陽が盛んであると陰が病む。

 その姿は、陽は火の性質なので陰に勝って盛んになり過ぎると熱を生じ、陰は水の性質なので陽に勝って盛んになり過ぎると寒を生じるのである。

 寒によって陽気が内に閉じ込められ、極点に達すると熱するようになる。

 熱によって陽気が外に発散し、極点に達すると寒するようになる。これを陰陽の転化法則という。

 寒は収斂の働きがあるので肉体を傷害し、熱は発散の働きがあるので気を傷害する。

 寒は肉体を傷害し、熱は気を傷害する。

 

 気が傷害されると通じさせる力がないので痛みを生じ、肉体が寒に傷害されると寒によって閉じ込められた内部の熱がせめぎ合って停滞するので腫れを生じる。

 したがって、まず初めに痛みがあった後に腫れて来るものは、気の傷害が肉体に及んだものであり、反対にまず腫れを生じてから後に痛んでくるのは、肉体の傷害が気に及んだものである。

 風気が過ぎると突然倒れたり震え・痙攣が生じ、熱気が過剰であると出口が渋滞して赤く腫れ、燥気が過ぎると血不足のように乾き、寒が過剰であると体液が動かなくなるので浮腫が生じ、陰邪である湿気が過ぎると胃腸を傷害されて下痢を起こすのである。

 

 天には春夏秋冬の四季と木火土金水の五行がある。

 春は生じ、夏は長じ、秋は収め、冬は蔵する。

 この天の四季の変化に伴って木火土金水の五気が生じ風寒暑湿燥の五気が生じる。

 春は木で風、夏は火で暑、長夏(中国では湿気の多い季節)は土で湿、秋は金で燥、冬は水で寒といった具合である。

 人においては、この自然界の天の働きによって生じた五気が五臓の働きに相当する。この五臓の気によって喜怒悲憂恐の感情が生じるのである。

 人体の天の気である喜怒が過ぎると気が障害され、自然界の寒暑が過ぎると肉体を傷害するのである。

 精神情緒の面から見ると、激しい怒気は、熱化して上昇するので血(けつ)を激しく消耗するので、陰血を傷害することとなる。

 喜びという感情は、緩める作用があるので、激しく喜びが過ぎると気が散ってしまい陽気を傷害することになる。

 気が滞り下降すべきものが上に一気に上に上ってくると、脈がいっぱいになって詰まって動かなくなり、神気は肉体を去ることになるので意識障害か死亡に至るのである。

 喜怒に節度が無くほしいままにし、自然界の寒暑が度を過ぎていたり処し方を誤ると、生命そのものが危うくなるのである。

 一方、肉体面に目を向けると、極まると転化する陰陽の法則のとおり、陰を重ねると必ず陽に転化し、陽を重ねると必ず陰となる。

 

 従って、冬に寒に傷害されると春に温病となり、春に風に傷害されると夏に消化不良の下痢を起こし、夏に暑に傷害されると秋に寒熱が往来する瘧(おこり)となり、秋に湿に傷害されると、冬に咳嗽を生じるようになるのである。

 

 黄帝が申される。

 余が聞くところでは、上古の聖人が人の形(臧)を論じて整理し、蔵府を分類して列挙し、端に経脈を関連づけた。これは六合(陰=臓腑)に相通じ、それぞれの蔵府が各経脈に従っている。

 さらにそれぞれの経には、体内の気が体表に発する穴があり、それぞれに名称がある。

 大きな肉の合わさるところは谷、小さな肉の合わさるところは谿であるが、それらはすべて骨に連なっているが、すべて始まるところがあり、身体の部分がどこに従属するかは、それぞれ条理がある。

 四時陰陽の変化には、すべて法則があるのと同様に、自分と外界である自然界の対応変化は、全て身体の表裏の気の変化に見て取れると言う。これらは、信じて良いのだろうか。

 

 岐伯が問いに対して以下のように答えた。

 東方は日が昇り、陽気が上昇して空気が動き始めるので東方は風を生じるのである。

 風が動き始めることによって、他の気も動き始めるので木は育ち、木は酸味の果実を生じる。

 酸は肝の陰気を補いそれによって筋を養う。日の出からやがて日中がやってくるように、筋が十分に補養されていると心を生じるのである。そして肝は神気が現れる目を主る。

 これらのことは、天にあっては霊妙な萬物発生の作用である玄であり、人においてはこれが法則となる道なのである。

 大地は、何もないように映るところに万物を生じさせる働きがあり、これを「化」と言う。

 この化の作用によって酸・苦・甘・辛・鹹の五味が生じ、自然界の法則を認識することができる人間には、智慧が生じ、玄である天の霊妙な働きは、陰陽の法則で測り知ることのできない「神」を生じるのである。

 この陰陽の法則で測り知ることのできない変化は、天にあっては風であり、地にあっては木である。

 これを人体にあてはめると筋であり、臓においては肝であり、色では蒼の青色であり、音階では角、声の調子は呼、肝の大きな変動は握、九竅では目、肝に入る味は酸、気が向かう方向である志は怒となるのである。

 怒は激しく陰血を消耗して肝を傷るが、悲は肝を制御する。激しい変動である風は、肝を傷るが、燥気は風を制御する。過剰な酸味は収斂するので肝気が伸びず障害されるが、発散の辛味は、酸を制御するのである。

 

 南方は、昇った朝日の陽気が最も盛んで熱化するので、熱を生じるのである。熱せられると燃えやすくなるので火を生じ、火は苦味の灰土を生じる。

 苦味は心に入って心の陰気を養って血を生じ、血は脾気を生じるのである。そして心は脾気の状態が現れる舌を主る。

 これらのことは、天にあっては熱であり、地においては火であり、これを人体にあてはめると常に気血が流れている脈であり、臓においては拍動を自覚できるくらい陽気の強い心であり、色では火熱の赤色であり、音階では徴、声の調子は笑、心の大きな変動は憂、九竅では舌、心に入る味は苦、気が向かう方向である志は喜である。

 喜は激しく気がのぼり陽気を発散して心を傷るが、恐れは気を鎮め降し、冷静にさせるので心を制御する。

 激しく変動する熱は、気を傷るが、寒気は熱気を制御する。

 過剰な苦味は固める作用があるので心気が伸びず障害されるが、潤し柔らかくする鹹味は、苦味を制御するのである。

 

 四方の中央は湿気を生み、日中から黄昏までは、最も湿気の多い時期である。湿は大地である土を育成し、大地から生じた食物はすべて甘味を含んでいるので、甘味は土より生じるのである。

 甘味は脾の陰気を養い、脾は肉体を養う。充実した肉体によって肺気が生じ、脾は、肺気の状態が現れる口を主る。

 これらのことは、天にあっては湿であり、地においては土であり、これを人体にあてはめると肉付きの状態であり、臓においては脾であり、色では黄色であり、音階では宮、声の調子は歌、心の大きな変動は噦(えつ=しゃっくり)、九竅では口、脾に入る味は甘、気が向かう方向である志は思である。

 思は気が一ヶ所に停滞して脾を傷るが、怒は激しく気を動かして上昇させるので脾を制御する。

 湿はベトベトして気を停滞させるので肉体を傷害するが、風気の動かし・運ぶ働きによって乾かされるので、風は湿を制御する。

 甘味は緩める作用があるので肉体はだらりとして重くなるが、酸味の収斂作用によって引き締めるので、酸は甘を制御するのである。

 

 西方は、一日の内では落陽の時期であり、陽気が衰え空気も乾いて来るので燥を生じるのである。

 乾燥すると形が固まるので、燥は金を生じる。辛は、取手のついた大きな鍼であり、辛い味は、鍼で刺すようでつらい感覚を生じる。そこで金は辛を生じるのである。

 辛味は気の滞りを発散させ巡らせるので肺を生じ、肺は、発散と固摂の両方の作用を併せ持つ皮毛を生じる。

 この皮毛の働きによって水の流れは正常に機能し、腎は正常に機能するので皮毛は水を主る腎を生じるのである。そして肺気の状態は、鼻に現れるので肺は鼻を主るのである。

 これらのことは、天にあっては燥であり、地においては金であり、これを人体にあてはめると皮毛は人体の形を維持する袋であり、また直接外気に触れる体表の皮毛であり、臓にあっては、直接外気が出入りする肺である。

 色では白、音階では商、声の調子は哭、肺の大きな変動は咳、九竅では鼻、肺に入る味は辛、気が向かう方向である志は憂である。

 憂は、気が鬱するので肺を傷るが、気を緩めて発散する喜は、憂を制御する。

 過剰な熱気は皮毛を傷るが、寒気は熱気を制御する。過剰な辛味は発散の作用が強いため、皮毛の機能を傷るが、固める作用のある苦味は辛味を制御するのである。

 

 北方は、一日の内では最も陰気が盛んになる時期であり、陽気が衰えて寒気を生じるのである。

 寒気は空気中の湿気を水滴に変化させるので、寒は水を生じるのである。塩は水を煮詰めて生成するので水は鹹(かん=塩からい)を生じる。

 鹹味は、物の乾きを抑制するので、鹹は潤す作用がある。

 鹹味は水臓である腎を潤すので、鹹は腎を生じ、腎は骨の深いところの骨髄を生じるのである。

 この最も陰気の盛んな髄から肝が生じ、腎気の状態は耳に現れるので、腎は耳を主るのである。

 これらのことは、天にあっては寒であり、地においては水である。

 これを人体にあてはめると、人体の空間を形成する骨であり、臓にあっては、人体の最も下部で奥に位置する陰臓たる腎である。

 色は黒、音階では羽、声の調子は呻、腎の大きな変動は慄、九竅では耳、腎に入る味は鹹、気が向かう方向である志は恐である。

 恐は、気が下降して腰が抜けるようになるので腎を傷るが、気を一ヶ所に留める思は、恐を制御する。

 過剰な寒は水を溢れさせて骨を傷るが、水に比べて陽気の強い湿は寒を制御する。

 過剰な鹹味は、潤し柔らかくする作用があるので骨を傷るが、気を緩め熱を生じさせ散じて腎水を乾かす作用のある甘味は、鹹味を制御するのである。

 

 天は高くして尊く、万物を覆い、地は卑(ひ)くくして万物を載せる。

 天気は下り、地気は上り、天地陰陽の気の変化・交流で万物は生じるのである。

 万物にとって天地は生み出す元である父母であり、上下である。

 

 陰陽なるものは、たとえば働いて養う男性と、生み出す女性のように、血は気を生み出し、気は血を導くようなものである。

 陰である血と陽である気は、男女の関係と同様なのである。

 人が南面して立てば、左は東で陽気が生じ始め、右は西で陽気は没する。

 このように、陰陽の消長は左右という場に、その変化が現れるのであるから、左右は陰陽の道路というのである。

 天の気である風・寒・暑・湿・燥は、無形であって直接目で見ることはできない。

 しかしながら天の気を受けた大地の気は、木・火・土・金・水に象徴され、有形であってしかも具体的に確認できる。

 これらの内、人体にあって水火は気・血であり、神気・精であり、最も陰陽の変化の兆しを察知することができる、目付どころである。

 天地陰陽の二気によってすべての現象が始まる。これを大前提とする。

 人体においては、先天の水火である神気・精がこれに相当する。

 陰気は、身体内部にあって陽気を養い、さらに陽気が散逸してしまわないようにしっかりと守っているのである。

 体外に現れた陽気は、体内が外邪に侵されないように働くのであるから、陽は陰の使いなのである。

 陰気は求心性であり、陽気は遠心性である。

 陽気の活動は、陰気が手綱を握っているのである。

 男女もまた然りである。

 

 黄帝が申されるには「陰陽に法るとは、どのようなことなのか」と。

 岐伯が、以下のようにお答えした。

 陽が盛んになり、身体が熱せられると、本来であれば毛穴が開いて熱を体外に逃がすのであるが、もし毛穴が閉じてしまった場合、熱が体内に籠ってしまうのである。

 そうなってしまうと、走ってもいないのに粗い喘ぎが現れて、うつ伏せになったり仰向けになったりして苦しむことになる。

 毛穴が閉じているので、汗が出なくてさらに鬱して発熱すれば、歯も乾いてしまって悶え苦しむ。

 陽気である熱が出口を無くしているので、腹が満ちて死に至るのである。

 寒気の盛んな冬であれば、なんとか持ち堪えるかもしれないが、陽気の盛んな夏であれば堪えることはできないものである。

 今度は反対に、陰が盛んになり、身体が寒くなると、本来であれば毛穴を閉じて陽気を漏さないのですが、もし毛穴が開いたままになると陽気が出てしまい、身体は常に水が清んでいるかのように静かになってしまう。

 そうなってしまうと、しばしば戦慄して寒気を覚え、寒が甚だしくなると手足に陽気が巡らず、手足が冷え上がってくる厥という状態になる。

 厥ともなれば、陰気である寒が気血を停滞させ、腹に満ちて死に至るのである。

 陽気の盛んな夏には持ち堪えることができるかもしれないが、陰気の盛んな冬であれば堪えることができないものである。

 これら病の形態は、陰陽のいずれかに大きく傾いた時に、この法則にかなっていない場合に起きる基本形である。

 

 黄帝が申されるには、「それでは、これら陰陽の二気を調和させるには、どのようなことが肝要であるのか」と。

 

 岐伯が申し上げた。

 男女の盛衰は、天寿を全うする(4)素問-上古天真論で、すでに述べております。

 女子は七の倍数、男子は八の倍数でそれぞれ盛衰すると以前申し上げましたが、ここで改めて整理いたします。

 七損とは、女子=五七、六七、七七の三段階。男子=五八、六八、七八、八八の四段階。合わせて七段階で衰える。

 八益とは、女子=一七、二七、三七、四七の四段階。男子=一八、二八、三八、四八の四段階。合わせて八段階で充実するということであります。

 この七損八益の各段階における各臓腑の生理機能の盛衰を、熟知して養生することが肝要であります。

 このことを知らず、天道に背くような身勝手な生活を送っていれば、七損の下り坂を一気に早めて、老い衰えるのであります。

 四十歳では、陰気である精は自然と半分程度になるので、起居も衰えてくるものであります。

 五十歳になれば、さらに身体が重く感じ、耳目もはっきりとしなくなってくる。

 六十歳ともなれば、性器は萎え、臓腑の気も大いに衰えてしまうので、耳目鼻口前後の二陰全ての機能が、ままならなくなるのであります。

 そして、下半身の陽気は昇らず、上半身の陰気は下りない、いわゆる上実下虚の状態となり、涙もろくなるのである。

 

 ゆえに、七損八益の理を踏まえて養生すれば強盛を保つが、これを知らずにいい加減に過ごしていると、早く衰えるのである。

 等しくこの世に生を受けた者同士であっても、理に適った養生によって、強ともなり、早老ともなるだけのことである。

 智者は、自然の変化を察して自ずと適い、愚者は目先のものを察して天道と異にするのである

 従って愚者の精血は不足し、智者は有余しているので、耳目は聡明で身体も軽く強壮であり、老いてなお壮んで、益々天道に適うので強壮となるのである。

 天地陰陽の法則と一体となっていた、聖人と称される人物は、事を意識しなくして行動しても、自ずと理に適った無為の境地にあるのである。

 そのような聖人は、物事にこだわらず、何があってもさらりと受け流し、心穏やかで平和な状態を楽しむのである。

 そして自ら欲するまま行動するが、自然の法則に適った、こだわりの無い自由な心を守ることを、心地好しとしていたのである。

 従って寿命は窮まることなく、天地の終わるまで続くのである。

 これが聖人の身を治める養生法である。

 

 天の気は、北西に不足するので、西北方は陰である。

 そして人の右の耳目は、左ほどはっきりとしていない。

 地の気は、東南に満ちることが無いので、東南方は陽である。

 そして人の左の手足は、右のように強くないのが常人であると言う。

 帝は、「何を根拠にこのようなことを述べているのであろうか」と申された。

 

 そこで岐伯は、以下のようにお答えした。

 東方は陽気が昇り始めるので、人体の精は陽気と相まって上に集まるのである。

 上に集まるところは、明らかとしてはっきりとし、その下は虚ろとなるのが道理であります。

 したがって、天の気である神気が出入りする感覚器=左の耳目は聡明になるが、地気の濁氣を受けて機能する運動器=下方の左の手足はあまり利かないものである。

 西方は陰気が盛んになり始めるので、人体の精は陰気と相まって下に集まるのである。

 下に集まるところが盛んとなるので、上は虚ろとなるのが道理であります。

 したがって、右の耳目は聡明でなく、右の手足は都合よく利いてくれるのである。

 このようにして、天の気の偏在が、そのまま一般的な人間の利き目・耳、利き手・足を生じさせるのである。

 したがって、邪気が左右に等しく襲ったとしても、その邪が上にあれば右の耳目が甚だしく症状が現れ、邪が下にあると左の手足が甚だしく症状が現れるのである。

 これらは、天地の空間的場において、陰陽が消長(偏在)するために、完全に等しいということが存在しえないからである。

 そして邪は、その精気が虚ろなところに居つくのである。

 

 天には無形の精があり、地には形として存在する。

 天には四季八節があり、天気が下る地には五行がある。

 この天地の交流によって万物は生まれるのであるから、天地は父母のようなものである。

 無形の清陽は天に昇り、有形の濁陰は地に帰るのであった。

 そして天地の動静は、直接目には見えないが、明らかにそれと分かる神が、しめくくり、主っているのである。

 この神によって、天地の間に四季の変化が生まれ、生長収蔵の変化の循環が、延々と繰り広げられるのである。

 巷では、ただ賢人と称される人のみが、上は天にならって頭を養い、下は大地の在りようにならって足を養い、上下の中は、人間としてなすべきことに従って五臓を養うのである。

 天の気は肺に通じており、地の気は食道に通じている。

 風の気は肝に通じ、雷の気は心に通じ、穀の気は脾に通じ、雨の気は腎に通じ、それぞれ天地の気と臓の気は相応じているのである。

 三陰三陽の六経は川であり、腸胃は海である。

 水の清なるものは、頭部の上竅に通じ、水の濁なるものは下部の下竅に通じている。

 天地を以て、これを陰陽と為すのであった。

 であるから、人体の体液が熱せられると、上に昇って汗として発せられる。これを天地になぞらえれば雨である。

 人体の陽気は、全身を素早く巡っているので、天地になぞらえると疾風である。

 暴気は雷の現象であり、逆気は立ち上る陽気の現象にかたどるのである。

 このように、人体の生理は自然界の陰陽法則と相応じているのである。

 したがって、天の気の移り変わりの変化法則に法り、天に従って変化する地の条理を用いて治療すべきである。

 もし、これらに背くような治療を施せば、当然治らないどころか災害に至らせることになるのである。

 

 人を害する邪を伴った風が至る様は、矢のように早く、しかも激しいもので、まるで風雨の如きである。

 したがって、治療に秀でた者は、邪気が皮毛を犯した段階で治めてしまうのである。

 邪気は、皮毛→皮膚→筋脈→六腑→五臓と侵入するのであるから、治療者は、邪気がどの部位に居るのか見定めてから治療するのが肝要である。

 ところが五臓に邪気の侵入を許してしまってから治療すれば、もう手遅れとなってしまい、半分程度しか助からないのである。

 このように、外邪としての天の邪気を感受すれば、最終的には人の五臓を害し、死に至ることが多いのである。

 飲食物の寒熱が、その度を越えて大きく偏っていれば、水穀の海であり、直接飲食物が納まる六腑が障害され嘔吐・下痢などを生じる。これは内因である。

 また外邪としての地の陰邪である湿気を感受すれば、陽気が阻まれて皮膚病が生じたり、筋脈が思うように動かなくなる病を生じるのである。

 

 『陰は内にあり、陽の守なり。陽は外にあり、陰の使なり。』 

 

 体外に現れた陽気は、体内が外邪に侵されないように働くのであるから、陽は陰の使いなのであり、陰気は求心性であり、陽気は遠心性ということであった。

 さらに『左右は陰陽の道路』

 陰陽の消長は左右という場に、その変化が現れるということであった。

 鍼を用いるのに巧みな者は、これらのことを熟知して自然の法則=道に法った治療を行うのである。

 つまり、内外・表裏の陰陽関係の虚実をよく見極め、陰に邪があれば正邪抗争の場を陽に移動させるのが得策である。

 反対に、正邪抗争の場が陽にあれば、陽の守りである陰を鼓舞するのが道理に適っているのである。

 さらにこれを、上下と読み替えることも可能である。

 左右も同様である。

 相対的に、左に気が偏在しているのなら右に鍼をし、右に気が偏在しているのなら左に鍼をして、陰陽の平衡を一旦整え、自ずと陰陽が消長するよう導けば、治癒するのである。

 そして治療者は、自分を基準として患者の状態を把握するのであるから、自分を正常な、良い状態にしておかなくてはならないのである。

 このような熟達した治療者は、陽である表の状態を診て、陰である裏の状態を察知し、陰陽の過と不及。

 つまり陰陽の有余・不足、平衡・虚実を見定めるのである。

 そして、かすかな雲行きから天気の大きな崩れを予測するように、微かな兆候から有余・不足を的確に把握し得た後に治療するのであるから、鍼を用いて誤るということがないのである。

 すぐれた医師は、患者の現す顔の気色や肌の色から、体内で何が起きているのかを察し、脈が表現している気の状態をじっくりと味わうように診る。

 そうしてから、先ず患者の病が、陰陽のいずれに属するのかを判断するのである。

 そこからさらに、上下清濁を審らかにし、全体の状態を把握しながら、病んでいる部分を理解する。

 喘ぎや息づかいを意識的に視、患者の発する声の強弱や清濁に耳を傾け、苦しむところがどこにあるのかを知るのである。

 觀權衡規矩(けんこうきく=四季の脈状、脈要精微論に記載)、つまり四季の脈を基準にして、今現在患者の脈が四季の脈と反していることの意味を読み取り、病の根本がどこにあるのかを知る。

 つまり夏は体表の浅いところを脈拍つべきであるのに沈んでいたり、冬は深いところを脈拍つべきであるのに浅いところに浮いていたり、といったことである。

 脈の寸口・尺中を按じて、搏動部位の深浅、脈の去来が滑らかであるか渋っているかを観て、病の生じたところを知って、治療を施せば、過ちはない。

 つまり、まずは目で視、耳で聞き、指先の感覚を以て、陰陽の偏在をはっきりとさせることである。

 このように診察・診断を行えば、患者の精気を失うような失敗は無いのである。

 

 病が起こったばかりの初期においては、刺法を施せば直ちに癒えるものである。

 病勢が盛んになってしまってからでは、刺法を施しつつ次第に病勢が衰えるのを観察しながら治癒に導くのである。

 病邪の侵入が浅く程度が軽いようであれば、発揚して散じ、邪気の重さと正気の兼ね合いを計りながら病邪を減じ、病勢が衰えてくると、鍼の効果がはっきりと彰(あきら)かとなるのである。

 身体の気が虚しているものには、温めて気虚を補い、精血が不足しているものには、飲食物の五味でこれを補うようにする。

 

 病が上焦にあるものは、さらに上方へ発揚させ、下焦にあるものは、さらに下に引いて邪が尽きるようにする。中焦に邪気が充満するものは、直接臓腑に瀉法を加える。

 その邪気が比較的深い場合は、薬湯に体を漬けて発汗させ、邪気が比較的浅い皮にあれば、発汗法を用いて発散させるのである。

 その病状の進展が速く、病勢が激しいものであっても、症状に動揺することなく落ち着いてじっくりと対峙して考え、間違いのないように収めるのである。

 正気はまだ傷害されておらず、邪気が盛んであるものは、散じることでこれを瀉すのである。

 

 その際には、陰陽をはっきりと審らかにし、その上で剛柔・虚実を別け、陽病は陰を治療し、陰病は陽を治療する。

 そして血気の状態が安定してくれば、正気はそれぞれ本来の臓腑・経絡をしっかりと守るようになる。

 血が充満して苦しむようであれば、あふれる寸前の川の堤を切るように瀉血し、気が虚していれば、気が漏れたり散じてしまわないように、補法を加えて引き締めるのである。

活動報告ー9月 臨床医学講座

 爽やかな秋晴れとなりました9月23日、いつもの大阪医療技術学園専門学校 の教室をお借りして、今期第6回目の「鍼道 一の会」臨床医学講座を開催いたしました。

 

 今回は、かねてより予告しておりました通り、副代表の永松周二先生による「永松流」診断と治療。

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 膨大な知識と豊富な経験をお持ちの先生。これまでの講座においても、それを惜しみなく出してくださっておりましたが、この度は その全貌をあらわにしていただこう!という特別企画です。

 まずは参加者のみなさまが飲み込みやすいように、考え方の要点を解説下さいました。

 

 デモンストレーションのモデルを募る際、すかさず筆者金澤が名乗りを上げました。

 永松先生に触れて頂くと、とにもかくにも気持ち良い!(^.^)

 気持ちの良い触れ方、これは本当に大切です。

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 その後、参加者の方にも順次触れて頂きましたが、たくさんの人に触れて頂くのは、幸せな気持ちになります。

 4月からの臨床講座で四診実技は一通り行っており、受講生の皆さんの触れ方も格段に良くなっておられます。

 

 東洋医学の触診は、「切診(せっしん)」と呼ばれます。

 「切」には、隙間なくぴったりと接するという意味があるのです。

 親切という言葉があるように、親が子に寄り添うが如くの触れ方です。

 親を切るのではありませんね(笑)

 

 そして切診は、相手の気を読み取る術でもあります。

 如何に自分の力を抜いて、相手の気を感じられるか

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 人体は常に膨張と収縮を繰り返している。この微かな変化を捉える術を、ひとりひとり手ほどきされました。
 また、変化の中に在る、変化しないもの。「易」の考え方がここでも生きてきます。

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 ここで詳しくは論じませんが、永松先生の治療スタイルは、手技が用いられることが多いです。

 気を動かす道具として、鍼灸だけに限らず、手技、精油などのツール、術者の意識にいたるまで、ありとあらゆる技が存在するのです。

 

 さらに、相手と出会った瞬間から 互いの気は動いていますので、すでに治療は始まっています。

 出会ったとたん、ホッとして何やら元気が出て来たという体験、みなさまにもおありだと思います。

 そして次第に距離を縮め、いよいよ互いに触れ合うのですね。

 とりわけ 肌を接する切診において、そのアプローチや手の当て方などは、大胆でありながらも細心の心持で、しかもリラックスしていることが大切です。

 こちらが緊張していると、相手も緊張しますのでね。 

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 坊主頭の三人衆。向かって左から永松副代表、学生の稲垣君、そして筆者。

 たまたま三人が並んだショットです。和みますでしょう?(^.^)

 ※「鍼道 一の会」は剃髪しなくても入会できます! 念のため(笑)

 

 次回10月の臨床講座は、筆者金澤が「奇経八脈と空間論」を論じまして、実際に参加者のみなさまに実技で立証・確認していただく予定です。

 

 永松先生、参加者の皆様、お疲れさまでした。

 そしていつも会場をお貸しくださってます 大阪医療技術学園専門学校 関係者の皆様、本日もありがとうございました。

 

 次回『鍼道 一の会』東洋基礎医学講座は10月14日、臨床医学講座は10月28日です。

 

 

 『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、高度なプロ鍼灸師を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

活動報告ー9月基礎医学講座

 あれほどの猛暑はすっかり影を潜め、台風に地震と自然界は大きく荒れていますね。

 被災された方々には一日も早い復興を願うばかりです。

 ここ大阪も、あちらこちらで台風の爪痕が残っておりますが、こうしていつも通りの生活を送れることに感謝しつつ、しっかりと、自分達の為すべきことをして参りましょう。

 

 9月9日、雨の降る中「鍼道 一の会」基礎医学講座を開催させていただきました。

 

 冒頭は、永松副代表による「易学」講義。

 こんな時こそ この方の元気さ、そして声の大きさに救われる思いがいたします。

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 これまでに、混沌→太極→四象…と解説をされました。

 この「四象」を先ず日常で応用する方法として、人間関係を例にとり、解説してくださいました。

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 さらに、これら四象を臨床に応用すると、どのようなことが見えてくるのかを、腹診を用いて解説して頂きました。

 

 「鍼道 一の会」では、理論の講義はもちろん行いますが、受講者の方々には、これらを踏まえて自分の個性が生きる自分流を築き上げていただくことを目指しております。

 いわゆる「紋切り型」の人材育成でないのが当会の理念のひとつです。

 

 難解な易学、金澤自身も苦戦して参りました。が、いつしか点だったものが線となり、面となり、ルービックキューブの反対側がどうなっているかが見える...そんな日が来ることを楽しみに、みなさま励みましょう。

 

 続きましては、江見木綿子先生による「臓象学」

 今回は、歴代の医家による諸説が入り乱れた「心包」と「三焦」です。

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 心包と三焦の概念を、陽維脉・陰維脉とも関連させ、練りに練った江見先生独自の考えを披露。

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 なかなかひとつにまとまらないもどかしさ。

 しかし最終的には、その時々の臨床像に最もフィットする概念を用いるとすれば、なにも概念はひとつでなくても良いのではないか、という結論に至りました。

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 臓腑の太極という視点に立ち、気・血・水と病邪の兼ね合いによって表現されているその時々の病証に、最も適した概念を用いて認識し、治療するのです。

 

 どちらも「名ありて形無し」と言われる心包と三焦。

 歴代の医家たちが紛糾したほどの難しい領域に、江見先生、良く取り組んでくださいました。参加者の皆様もそれぞれに何かを持ち帰っていただけたのではないかと思います。

 

 そしてお昼の休憩と、気持ちを切り替えるためのリフレッシュ。

 永松副代表による身体学「六字訣」を皆で実践した後、午後からは江見先生と新妻先生によります「経絡学」。

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 デビュー当初は表情も硬く、どことなくぎこちない感じがしていました新妻先生。次第にお顔もほころんで肩の力も抜けて来た感じです。

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 経絡流注は漢文そのまま、参加者のみなさまお一人お一人に、順次声に出して読み下して頂きます。(江見先生が付き添ってくださいますので、安心です)

 学生の方も、よどむことなくスラスラと読み下せるようになっておられましたね。

 素晴らしいです。

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 実は、現代解剖学に基づく経絡流注よりも、曖昧な表現がなされた漢文流注の方がイメージが拡がり、自由な発想が生まれる余地が大きいのです。

 ですから、「鍼道 一の会」では、遠回りなようですが、それぞれが感じたことや発想がドンドン広がっていく漢文流注を採用しています。

 

 そして本日の講座もいよいよ大詰め、稻垣座長による「一の会式・東医理論」。

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 今回は、「五臓」概念についての講義でした。

 中医学では、年を追うごとに詳しく精密な記述が書き加えられているが、それによって反って本来の五臓の本質が見えにくくなるという弊害を生じていると。

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 要は、ひとつの臓に関しては、この一点さえ押さえておけば良い。あとは気の動きを軸にイメージしていけば、臓の本質をとらえた上で十分臨床に応用することが出来ると、従来からの主張を力説。

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 さらに、気・血・水について。

 血を外して「気」「水」概念だけを用いても、病理機序さえ明らかに出来れば、瘀血を除くすべての「血」概念は後から導き出されると。

 鍼灸師は、「気」を扱うのですから、例えば血虚であっても、気を動かして生体が自ずと血を生み出すように気を動かすことこそが主眼となるはずであると。

 湯液治療が得意とする「補血」も、結局は同じ事が言えると、生薬の効能を交えながら解説されました。

 例えば、補血剤の代表格である地黄も、結局は漏れている血を止めることにより、結果として補血になっているに過ぎないのであると。

 

 このような視点で人体の生理を説いている医家は、恐らく他には居ないのではないでしょうか。

 「目からうろこが落ちたよう」と表現される臨床家の先生もいらっしゃいました。  

 

 予定時間いっぱいとなり、最後の身体学はお預けとなりましたが、

 次回の臨床医学講座では、永松副代表による「永松流」を開示していただきます。

 かつて筆者金澤は、永松副代表と出会い、その「触れ方」に非常に感銘を受けたのです。触れ方ひとつで、相手の反応も変わりますし、伝わってくる情報の質と量が大きく変わります。

 参加者全員、永松先生の手ほどきをうけます。

 さてさて、次回もまた盛りだくさんの一日になりそうです。^^

  

 

 次回、『鍼道 一の会』東洋臨床医学講座は9月23日(日)です。

(大阪・南森町の大阪医療技術学園専門学校実技室をお借りして、開催させていただきます。)

 

 『鍼道 一の会』は、随時入会を受け付けております。

 興味が湧いた、面白そう、ピン!と来た方、どうぞお問い合わせください。

 お問い合わせは

 『鍼道 一の会』 事務局 大上(おおがみ)まで

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活動報告ー8月 臨床医学講座

 暦の上ではすでに秋。

 とはいえ、お盆を過ぎても続くこの暑さに食傷気味の今日この頃ですが、それでもようやく明け方などに秋の気配を感じられるようになって参りましたね。夏の発散から一転、物事は収斂し、実を結び、冬の準備へと向かう季節です。

 

 さて8/26に行いました「鍼道 一の会」臨床医学講座レポートです。

 今回は特別ゲストをお招きいたしました。

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 日本のどこの宗派にも属さない仏法僧、草薙龍瞬(くさなぎ りゅうしゅん)先生に「こころが澄み切った境地に至る」道を、全くの素人でも分るように講義して頂きました。

 草薙先生は、興道の里(こうどうのさと)代表を務められ、毎年恒例の「夏の全国行脚」の途中にお立ち寄りくださいました。

 

 まずは目を閉じて広がる 五感の世界 と こころ・意識との関係を、体験を通じて説いてくださいました。

 いきなり瞑想体験・禅的世界にいざなってくださった訳です。

 これは、説得力ありましたねぇ~。

 参加者のみなさま、一気にググッと引き込まれたと感じました。

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 我々が歩もうとしている「道」。その道の妨げとなるものの正体は何なのか。何故、どのようにして心のエネルギーが漏れてしまうのか、あるいは妄想が生じるのか。

 90分という限られた時間ではありましたが、心が澄み切った境地に至るための仏教の教えが、まるで宝石のように散りばめられた内容をお伝えくださいました。

 

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 参加者のみなさまからは、自分自身についてしっかりと理解することが、患者さんへの理解にもつながるのだと気づいたとの声も届いています。

 筆者は、個人的にも是非またお話をお伺いしたいと思いました。

 

 午後からは、「稻垣流脈診術とその治療」。

 今回は具体的に脈診から取経・取穴へと至る臨床実習を行いました。

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 金澤も稻垣流脈診術の手ほどきを受けましたが、見事に理論と治療が整然と、繋がっています。

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 (手前の坊主頭が筆者ですが、六十の手習いさながら、初心に戻ったかのようでした。)

 

 まだまだ手探りの方も、慣れてきた方も、皆それぞれに何かを掴まれたであろうと思います。

 いつものように真剣かつ和やかに実技の時間は終了し、本日はお開き。

 9月の臨床講座では「永松流」を披露していただく予定です。

 

 暑い中、お集まりいただきました皆様、お疲れさまでした!

 そして会場をお貸しくださいました大阪医療技術学園専門学校 関係者の皆様、本日もありがとうございました。

 

 次回『鍼道 一の会』東洋基礎医学講座は9月9日、臨床医学講座は9月23日です。

 

 『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、高度なプロ鍼灸師を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

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活動報告ー8月基礎医学講座

 猛暑が続いている今年の夏。

 8月5日、この日も酷暑という表現が相応しいほどの暑さの中、開催させていただきました「鍼道 一の会」東洋基礎医学講座のレポートです。

 

  まずは、この暑さもなんのその、元気いっぱいの永松副代表による「易学」講義から

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 前回は、「混沌」から「太極」の立て方。そして両儀、四象、八卦までの流れを講義して頂きました。もうすでに八卦と五臓だけでなく、日常の現象においてイメージできる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 今回は、すでに説かれた太極の立て方を、実際の日常にどのように応用していけばいいのか講義下さいました。

 参加者のみなさま全員に 実際に太極を立てていただき、両儀から四象まで陰陽を分割し、終始・循環の考えを織り交ぜて変化を捉えることに主眼を置いての講義となりました。

 

 参加者の方が抱えている日常の諸問題を題材として、筆者もちょこっと参加させて頂きました。 

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  筆者、頭を丸めて座禅着を初披露。なんちゃって僧侶ですが…先ずは形から。

 

 太極を定めた後は、天地・南北が定まり、左右・東西が自然と定まります。

 天地の間、上下左右で昇降の気が動くのですから、これに法り問題解決を図れば良い訳です。

 筆者は、六十四卦のすべてに通じるところまでは程遠いのですが、四象レベルの単純なモデルでも十分、複雑な問題解決の糸口が見つけられると感じました。

 

 続きましては、江見木綿子先生による「臓象学」

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  江見先生、この酷暑にもかかわらず、パッと花咲くような華やいだイメージがしました。実はつい先日、誕生日を迎えたばかり。何かご自身の中で、ひらめくものでもあったのでしょうか。

 

 今回は、腎・膀胱の臓象でしたが、「一の会」教科書を予習してきていることを前提に、押さえておくべき要点と江見先生独自の臓象イメージを披露してくださいました。

 

 

 そして午後の休憩をはさんで、永松先生による「身体学」

 (参加者に混じって、筆者も楽しくやってましたので、うっかり写真を撮り忘れてしまいました。)

 

 今回感じたことは、身体の動作・所作と呼吸を意識することの重要性です。

 呼吸と動作、なかなか文字で表現することが難しいですが、会場はエアコンが効いている中、皆さんの熱気で熱く盛り上がりました。

 

 そして続くはこのお二人。

 江見木綿子先生と新妻裕希先生による「経絡学」

 新妻先生は「鍼道 一の会」2年目。新進気鋭かつフレッシュで、これから伸びようとする肝気盛んな気を十分に感じさせてくれます。

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 経絡流注の漢文は、参加者のみなさまに順次 読み下して頂きました。

 緊張感漂う、いい感じになりました。

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 永濱先生と高橋先生。両先生の真剣なまなざし。

 和やかさの中に真剣さを漂わせながら、経絡学は終了。

 

 江見先生と新妻先生のナイスペア。

 お二人ともいいお顔なさってます。

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 筆者は、お二人に講義をお任せして後ろから見ておりましたが、「経絡学」は古典の踏襲はもちろん、それを前提にしながらまだまだ臨床に基づいて発展させることが出来る余地が大いにあると感じさせられました。

 

 それを具体化するかのように、続いては稻垣座長による「稻垣流鍼灸医学臨床論」

 

 通常行っております「一の会式・東医理論」の番外編と銘打って、座長が半生をかけて培って来た「稻垣流脈診術とその治療」に至るまでの経緯を精密に講義。

 次回8/26に行います臨床医学講座の事前講義として行いました。

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 稻垣座長はとにかく写真が撮りにくいのです。

 と、言いますのは、講義中 目を閉じて内面世界と常に照合しているので、「目が開いている」瞬間が少ないのです。

 一見、理論派でありながら、常に心中の感覚と照らし合わせながら言語化しているのです。

 頭脳派に見えて、実は感覚派なのですね、稻垣座長は。

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 詳細をここに記すことは致しませんが、「難経」で言わんとする 五臓の脈 と 三才 の組み合わせ理論、またその臨床などは、おそらくこれまで誰も気付かなかったところではないでしょうか。
 

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 病を治すことが出来てこその理論。

 ここに至るまで紆余曲折はあったにしても、一定の治療成果を実感として手に入れた稻垣座長の喜びは、参加者のみなさまにも十分に伝わったと筆者は感じています。

 実際、参加者のアンケートからは、もっと古典に触れたいという感想が多数寄せられています。

 

 次回、8月26日の臨床医学講座では、午後より稻垣流臨床の実際を。

 また、その日の午前中には ご縁により草薙龍瞬先生をお迎えし、ご講演をしていただく予定です。

 さてさて盛りだくさんの一日になりそうです。^^

 

 

 

 次回、『鍼道 一の会』東洋臨床医学講座は8月26日(日)です。

(大阪・南森町の大阪医療技術学園専門学校実技室をお借りして、開催させていただきます。)

 

 『鍼道 一の会』は、随時入会を受け付けております。

 興味が湧いた、面白そう、ピン!と来た方、どうぞお問い合わせください。

 お問い合わせは

 『鍼道 一の会』 事務局 大上(おおがみ)まで

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仏教・禅・瞑想

仏 教

 仏教は、今を去ること約2600年前、インドで釈迦が説いた宗教です。

 その後は、みなさまもご存知の通り時代を経るごとに、また各地に伝播した先で変貌を遂げ、様々な部派・宗派が生まれました。

 日本でも、数多くの宗派がありますが、人々が平和を願い、この人生において「心の平安・安心」を実現したいという点では共通しています。

 ここに東洋医学の共通点を見出すことも、大切なことです。

 身体の充実は、心の充実に繋がります。

 心の安心とやすらぎは、心の自由な創造を実現します。

 心身がこのようでありますと、自由闊達として人生を大いに楽しむことが出来ます。

 そんな手掛かりとなる著書を集めてみました。

 

【ヴィッパッサナー瞑想】

 草薙 龍瞬

 専門用語をほとんど使わずに、誰にでも理解できる仏陀の教えを説いてます。

 また、坐って行う瞑想だけでなく、日常生活の中で「いま・ここ」の自分に気づきながら生活する方法なども、平易に説いておられます。

 

 

ティックナットハン

 

 

アルボムッレ・スマナサーラ

 

 

 

【禅】

 原田 祖岳

 

  

 

大森 曹玄

 

    

 

その他

 

易学

易経講座

安岡 正篤(著)
難解で狭き門となっている易経。
易の始まりは、認識論に乏しかった古代においては、卜占から始まったようである。
その後、認識論の高まりにつれて、自然界の変化をあらゆる分野に応用されるようになった。
鍼灸医学、とりわけ黄帝内経の世界観にも、易の認識論は色濃く反映されている。
現代では、易は売占的イメージがある一方、これを人生哲学に応用し、より人生を豊かに充実したものにしようとした人たちがいる。
まったくの素人でも、売占的でない、易本来のなんたるかを知ることのできる良書である。
志高く、これから易に挑もうとする初学の人には、是非ともお薦めしたい。

東洋医学書

*書名を直接クリック・タップすると、amazon.co.jpへのリンクが開きます。

【入門編】

やさしい中医学入門  

関口 善太 (著)  東洋学術出版社
初学の方には、とっつきがよく、しかも3日で読めると帯に記されている通り、短時間で中医学全体を把握するのに適しています。
丁寧に、何度も読み返しながら、『東洋医学基礎講座-中医学から学ぶ東洋医学用語 』を受講すると、より深く理解することが出来ます。

 

陰陽五行説―その発生と展開

 根本 幸夫 (著), 根井 養智 (著)

代表・金澤が、陰陽論と五行論の成り立ちが別であったことを知ったきっかけになった書籍です。
総論としてこれが一番だと今も考えています。是非ご一読を!

 
中国傷寒論解説

劉渡舟 (著), 勝田正泰 (著)  東洋学術出版社
必須の課題と理解していても、鍼灸師にとってはとっつきにくく感じる「傷寒論」。
六経概念を理論的に把握するだけでは、鍼灸師にとっては不足です。実際に切診を通じて、六経の変化を捉えることが必要だからです。
「一の会」では、中医学的解釈を踏まえながらも、具体的に気を捉えて臨床を行った日本漢方古方派を中心に講義を行っています。
まず理論的に「傷寒論」の中医学的解釈のスタンダードを把握すると、講義内容の理解が一段と深まります。

 
基礎中医学

神戸中医学研究会(著)
本書の内容に則して「一の会」の講義を進めています。
基礎とはいえ、内容は豊富で充実しています。
「やさしい中医学」が十分手の中のものとすることが出来ましたら、手元において丹念に読み進めると、臨床力がつきます。

 
中国漢方医語辞典

中医研究院 (編集), 中医学基本用語邦訳委員会

ぜひとも手元に一冊置いておきたい必須書籍です。単に「用語」だけでなく、科目別に疾患とその病機なども記されています。

 

 

【応用編】 

傷寒雑病論―『傷寒論』『金匱要略』
日本漢方協会学術部 (編集)
現在、もっともスタンダードとされている宋本の傷寒雑病論。
8月から新たに開始する「一の塾」のテキストです。
内容はすべて漢文ですが、傷寒雑病論の漢文は、比較的平易です。まず読めるようになること。そして条文を通じて何を伝えようとしているのかを、謎解きのように紐解いて行くことができるようになると、とても面白く、鍼灸臨床になくてはならない書であることが実感できます。
何度も読み込み、臨床に照らし合わせていくと、条文中の錯簡にも気がつくようになります。
 
中医臨床のための中薬学

神戸中医学研究会 (著)
「基礎中医学」をある程度読んで理解できるようになった後、証と方剤をより深く理解するために必携の書です。
古典に記されている薬種から、現代中医学で用いられているものまで、幅広く扱っています。

 

 

中医臨床のための方剤学

神戸中医学研究会 (著)
「基礎中医学」に記載されている方剤の方意、対象となる証の病機などが記載されており、「中医学基礎」をより精密に学び、また弁証力を向上させるに役立つ内容です。

活動報告ー7月 臨床医学講座

 猛暑が続いていますね。

 7月23日は、二十四節気では一年中で最も暑い頃とされている「大暑」でした。

 先日7月22日の「鍼道 一の会」東洋臨床医学講座も、暑いというより「熱い」がぴったりくるような気候の中、開催させていただきました。

 大阪・南森町にあります大阪医療技術学園専門学校の教室をお借りしての臨床医学講座レポートです。

  暑さを吹き飛ばすような気合で、今月も参ります!

 

 まずは稻垣座長から、本日の講座内容の流れを説明。

 その中で、前回の臨床医学講座でハル&ゼッキーこと、健志堂の尾関先生と古賀先生に講義して頂いた「ペップトーク」の骨子について触れています。

 動画は、約6分です。

 

 すでにお伝えいたしましたように、『鍼道 一の会』の今年のテーマは、 

 「祝由」

 「移精変気」

 「言霊」  です。

 

 そしてこのペップトーク。『鍼道 一の会』では、筆者をはじめとしまして、ちょっとしたブームとなっております。

  

 今回は、フィジカルヴァンガード、藤田実優先生によるペップトークをご紹介します。       

 藤田先生によるペップトーク動画。(約6分30秒)

 

 

 藤田先生からのエールを受けて、緊張しながらも、まるで挑戦者のような静かな闘志を感じさせる永濱先生にバトンタッチ。

 今回は、脈診以外の切診(腹診・背診・原穴診)について。

 なかなか脈診のようなはっきりしたマニュアルがない分野にもかかわらず、体当たりで挑んでくださいました永濱先生。

 ご自身がこれまで学んできた中で印象に残っていることを、いつもの愛らしい(?)口調で語って下さいました。

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 そしてお昼の休憩をはさみまして、永松先生による身体学。

 今回は、永松流の呼吸瞑想です。どのように自分の意識を拡げていくのかを説明してくださいました。

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 そして六字訣の中のひとつを使って、実際に応用してみました。

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 身体学で気を整えた後、実技に入ります。

 今回は腹診・背診・原穴診です。

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 立ち位置や手の持って行き方、触れ方、みなさまもれなく上達されています。

 これは何といっても身体学の成果だと、筆者はひとり合点しております!

 

 そして最後は、きっちりと稻垣座長が締めてくれました。

 今回も、非常に有意義な内容となったのではないでしょうか。

 以下の動画は、稻垣座長による、本日のまとめと今後の方針および予定です。(約7分)

 

  本日も、暑い中お集まりいただきました皆様、お疲れさまでした!

 そして会場をお貸しくださいました大阪医療技術学園専門学校の関係者の皆様、本日もありがとうございました。

 

 

 次回『鍼道 一の会』東洋基礎医学講座は8月5日、臨床医学講座は8月26日です。

 

 『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、高度なプロ鍼灸師を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

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199.厥陰病 374条~381条 最終章

【三七五条】

下利後更煩、按之心下濡者、為虛煩也、宜梔子豉湯。方十六。

下利したる後更に煩し、之を按じて心下濡(なん)の者は、虛煩(きょはん)と為すなり、梔子豉湯に宜し。方十六。

  374条で、大承気湯もしくは小承気湯を服用した後、実邪が除かれて現れた証候だと思います。

 梔子豉湯に関しては、すでに述べています。

 62.太陽病(中)76条 心中懊憹(1)梔子豉湯

 63.太陽病(中)76条 心中懊憹(2)催吐薬?

 64.太陽病(中)77条~78条 心中懊憹(3)

 

【三七六条】

嘔家有癰膿者、不可治嘔、膿盡自愈。

嘔家(おうか)、癰膿(ようのう)有る者は、嘔(おう)治すべからず。膿(のう)盡(つ)きれば自ら愈ゆ。

  この条文は、解説いたしません。

【三七七条】

嘔而脉弱、小便復利、身有微熱、見厥者、難治、四逆湯主之。十七(用前第五方)。

嘔(おう)して脉弱、小便復た利し、身に微熱有りて、厥(けつ)を見(あら)わす者は、治し難(がた)し。四逆湯之を主る。十七(前の第五方を用う)。

  四逆湯に関しては、これまで何度も触れてきましたので、解説いたしません。

【三七八条】

乾嘔吐涎沫、頭痛者、呉茱萸湯主之。方十八。

乾嘔(かんおう)し、涎沫(えんまつ)を吐し、頭痛する者は、呉茱萸湯之を主る。方十八。

 呉茱萸湯もまた、以下のブログに詳述していますので、ご覧頂けたらと思います。

153.陽明病 243条 呉茱萸湯

【三七九条】

嘔而發熱者、小柴胡湯主之。方十九。

嘔して發熱する者は、小柴胡湯之を主る。方十九。

  ここでは、症候が簡述されていますが、前条の呉茱萸湯との鑑別のために並べていると考えています。

 少陰病・小柴胡湯証も、これまで何度も登場していますので、小柴胡湯証の正証を押さえて老いて頂けたらと思います。

 70.太陽病(中)96条 小柴胡湯

 

 以下、380条と381条は、原文と読み下し文のみの掲載です。

 これで「傷寒論」最終章とさせていただきます。

 みなさま、これまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

 

 【三八〇条】

傷寒、大吐、大下之、極虛、復極汗者、其人外氣怫鬱、復與之水以發其汗、因得噦。所以然者、胃中寒冷故也。

傷寒、大いに吐し、大いに之を下し、極めて虛し、復た極めて汗する者は、其の人外氣(がいき)怫鬱(ふつうつ)す。復た之に水を與(あた)え、以て其の汗を發し、因(よ)りて噦(えつ)を得る。。然(しか)る所以(ゆえん)の者は、胃中寒冷するが故なり。

 

【三八一条】

傷寒噦而腹滿、視其前後、知何部不利、利之即愈。

傷寒噦(えつ)して腹滿するは、其の前後を視て、何れの部の利せざるかを知り、之を利すれば即ち愈ゆ。

198.厥陰病 374条 讝語・燥屎 宜小承気湯

【三七四条】

下利讝語者、有燥屎也、宜小承氣湯。方十五。

下利して讝語する者は、燥屎(そうし)有るなり、小承氣湯に宜し。方十五。

 下利をして讝語するのですから、この下痢も熱痢の範疇に入りますね。

 208条に「若腹大満して通ぜざる者は、小承気湯を与えるべし」とありますが、今回は下利をしています。

 陽明病の正証は、以下で復習して頂けたらと思います。

 131.陽明病 208条 大承気湯と小承気湯

 しかも大承気湯と小承気湯の鑑別のひとつに、大承気湯には燥屎が有り、小承気湯には無いはずでした。

 ですので、この条文そのものに錯簡なり誤りがあるように思われます。

 小承気湯を与えるべき人は、讝語して大便通ぜざる者。

 大承気湯は便秘して燥屎有りが一般的ですが、協熱下利や熱結傍流の下利がみられることもありました。

 ですので宜小承気湯を改め、宜大承気湯がしっくりとくるように思うのですが、どうでしょう。

 

 

197.厥陰病 373条 欲飲水 白頭翁湯

【三七三条】

下利欲飲水者、以有熱故也、白頭翁湯主之。十四(用前第十二方)。

下利し水を飲まんと欲する者は、熱有るを以ての故なり。白頭翁湯を之を主る。十四(前の第十二方を用う)。

 この場合の下利は、熱痢でした。そして口渇が現れたのですから、やはり熱の存在を示していると思います。

 しかしながら、少陰病・四逆湯証で、あまりに下利がひどくて津液を失ってしまった場合にも欲飲水が現れます。

 白頭翁湯証は熱痢ですが、あまりに下利が続くと津液不足で口渇する側面も現れるのかもしれません。

 このような場合、先ず小便不利という状態が現れるだろうと推測されます。

 白頭翁湯に関しては、すでに371条に記していますので、振り返りをして頂けたらと思います。

 195.厥陰病 370・371条 白頭翁湯

 

196.厥陰病 327条 先裏後表 桂枝湯 四逆湯

【三七二条】

下利腹脹滿、身體疼痛者、先温其裏、乃攻其表。温裏宜四逆湯、攻表宜桂枝湯。十三(四逆湯用前第五方)。

下利し、腹脹滿し、身體(しんたい)疼痛する者は、先ず其の裏を温め、乃ち其の表を攻む。裏を温むるは四逆湯に宜しく、表を攻むるは桂枝湯に宜し。十三(四逆湯は前の第五方を用う)。

 元々は表証があったのでしょう。

 その後、下利が現れお腹が脹滿するようになって、しかも身体疼痛するようになってきたのですね。

 陽明病などですと腹満でしかも鞕満。

 脹滿となりますと陰証・虚証です。

 ここは、あまり間違わないだろうと思います。

 脹滿は、なんとなくお腹の輪郭がぼんやりとした感じであまり力を感じません。

 脈も微細で四肢の厥冷なども現れているのでしょう。

 この場合は、まず裏を救うべく四逆湯類で水を排いて陽気の回復を図り、脈が浮緩でそこそこ有力となってきたら、桂枝湯で解肌しなさいと言う事ですね。

 先表後裏の原則の逆です。

 

 

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四逆湯

 

 

 

195.厥陰病 370・371条 白頭翁湯

【三七〇条】

下利清穀、裏寒外熱、汗出而厥者、通脉四逆湯主之。方十一。

下利清穀、裏寒外熱し、汗出で厥する者は、通脉四逆湯(つうみゃくしぎゃくとう)之を主る。方十一。

 通脈四逆湯に関しては、すでに317条で詳しく解説していますので、ここでは省略いたします。

180.少陰病 316・317条 真武湯・通脈四逆湯

 

三七一条】

熱利下重者、白頭翁湯主之。方十二。

熱利(ねつり)して下重(げじゅう)する者は、白頭翁湯(はくとうおうとう)之を主る。方十二。

 冒頭にいきなり熱痢と記されています。<中国漢方医語辞典>では熱瀉で記載がありますのでそのまま記します。

 「熱迫大腸(熱が大腸に迫る)によって引き起こされる❝火瀉❞ともいう。

 主要な症状は、粥(かゆ)のような黄と白のまざったものを下す、あるいは粘り気を帯び悪臭を放つ、腸がゴロゴロ鳴り腹が痛み、ひとしきり痛むとひとしきり下し、下した後には後重感がある。

 肛門は灼(やけ)るように熱く、小便は短くて赤い、口は渇き、舌苔は黄色、脈象は数などである。」

 下利には軽重バリエーションがありますので、熱の性質を考慮して下痢の状態を想像できると、日常の臨床で遭遇する単純な下利も、寒熱・虚実の鑑別が容易になります。

 熱ですから、便臭はきつく感じるでしょうし、肛門も熱く感じます。

 また下した後に気が抜けたようになるのは虚、すっきりとするのは実です。

 ここは、生体の正気の状態によってあいまいなグレーゾーンもありますので、その場合は他の証候と参伍して決定します。

 さて、白頭翁湯の下利ですね。

 例によって方剤をみてみます。

白頭翁 気味 苦寒
中薬学:清熱解毒・涼血止痢
薬徴:熱痢下重を主治するなり。若し熱痢、渇して心悸すれば、則ち白頭翁湯を用ふるなり。
新古方薬嚢:味苦温熱性の下利を治す。熱ありて腹しぶる者、腹脹る者、或は便血する者等を治す。本薬には解熱収斂性あるものの如し。

秦皮 気味 苦渋寒
中薬学:清熱燥湿 渋腸止痢 清肝明目
本草綱目:秦皮味苦微寒、風寒濕痺洗洗として寒気するを主り熱と目中の青翳白膜を除く、久服すれば頭白からず身を軽くす。
新古方薬嚢:微寒は熱を冷やし、苦は充血を去る。故に白頭翁に入りて諸薬に合して熱利下重を治す。

黄檗 気味 苦寒
中薬学:清熱燥湿 清熱瀉火 清熱解毒
新古方薬嚢:血熱を去り、下痢を止め、腹痛を治す。又黄疸を治す。何れも熱を除くが本薬の主る所なり。金匱要略にては黄蘗を自死せる六畜の肉を喰らひ其の毒に中りたる者を治するに用ゆ。

 黄連 気味 苦寒 燥湿清熱

薬徴:心中煩悸を主るなり。

 白頭翁をみると、血便とありますので営分や血分の深い熱を清する働きがあるように思えます。

 また黄蘗は、腸内の糞便の腐敗が進んだ湿熱を清する働きとも考えられます。

 意外なのは心熱を清する黄連が配されているので、熱痢下重に心中煩悸の症状があってもおかしくないですね。

 そして今ひとつはっきりと分からないのが秦皮です。

 どうも目・白髪など、上焦の症状が記されていますので、黄連とペアとも考えられます。

 <類聚方広義>をみますと、「熱利下重して心悸する者を治す」とあります。

 やはり、心悸症状を伴っているのですね。

 そしてその傍注に「貉丘岑(みなかくきゅう)先生曰く、かつて甲斐に在りし時、痢疾流行す。患いに嬰(ふれ)ざらぬ者無し。

 その症、大便毎に肛門灼熱すること火の如し。この方を用いて多く効有り。」

 「眼目鬱熱を治す。赤く腫れ陣痛風にて涙止まらざる者、また洗蒸剤を為すもまた効有り」と記されています。

 これらから、白頭翁湯の熱痢は、かなり熱の厳しい下利で、その熱は心神にまで影響していることが分かります。

 また白頭翁湯を外用剤として用いて効を取っているのも、発想としてすばらしいものを感じます。

 湿熱タイプの皮膚炎などに、黄連解毒湯などを外用剤にしてみたら・八味地黄丸を命門や神厥・関元に貼り付ければどうだろうという発想にもつながりますね。

 面白いですね。

 それはそうとして、白頭翁湯がなぜ厥陰病に入れられているのか・・・謎です。

 

〔白頭翁湯方〕

白頭翁(二兩) 黄檗(三兩) 黄連(三兩) 秦皮(三兩)

右四味、以水七升、煮取二升、去滓、温服一升。不愈、更服一升。

白頭翁(はくとうおう)(二兩) 黄檗(三兩) 黄連(三兩) 秦皮(しんぴ)(三兩)

右四味、水七升を以て、煮て二升を取り、滓を去り、一升を温服す。愈えざれば、更に一升を服す。

 

194.厥陰病 359条 乾姜黄連黄芩人参湯

【三五九条】

傷寒本自寒下、醫復吐下之、寒格、更逆吐下。若食入口即吐、乾薑黄芩黄連人參湯主之。方十。

傷寒本(もと)自と寒下(かんげ)するに、醫復た之を吐下して、寒格(かんかく)し、更に逆して吐下す。若し食口に入らば即吐するは、乾薑黄芩黄連人參湯(かんきょうおうごんおうれんにんじんとう)之を主る。方十。

  傷寒に罹ってから、どのような経過をたどったのかは不明ですが、とにかく寒性下利をするようになったのですね。

 寒痢ですので、希薄であまり便臭がしない下利です。

 それをどういう訳か医師が吐き下しをかけたところ、寒格となったところにさらに逆治を加えたのですね。

 ここは、医師がどこを見て吐下の法を用いたのかは、不明です。

 

 寒格とは、陰陽が交流しない状態の事でした。

 そうしたところ、食べ物を口にしただけで吐くようになってしまった場合は、乾姜黄芩黄連人参湯証と言う事です。

 寒格ということですので、どこで上下・寒熱が交わらないのかが、配剤から見えてきます。

 人参は心下痞鞕、黄芩は心下痞を主冶するのですから、心下~中焦で陰陽の交流が阻まれていることが分かります。

 黄連は、心中煩悸を治すのですから、胸部に鬱熱が存在しています。

 そして乾姜は、結滞水毒を主冶するのですから、中焦に水邪が存在していることが分かります。

 これらから、気逆によって水邪が心下を塞ぎ、上実下虚・上熱下寒となってロックがかかったかのようになっていることが見えてきます。

 黄連・黄芩のペアは、149条の半夏瀉心湯や155条の附子瀉心湯などが思い浮かびますね。

 またこの条文中の寒痢は、下焦に水があって陽気を抑え込んだ附子の寒痢とは病位が異なります。

 ですから、同じ寒痢であっても、厥陰病の寒痢より少陰病の寒痢の方がより重篤ですので、陰証の病位の順序を、太陰→厥陰→少陰とする根拠とすることが出来ると考えています。

 360条から369条までは、原文と読み下し文のみ記載しています。

 

〔乾薑黄芩黄連人參湯方〕

乾薑 黄芩 黄連 人參(各三兩)

右四味、以水六升、煮取二升、去滓、分温再服。

乾薑 黄芩 黄連 人參(各三兩)

右四味、水六升を以て、煮て二升を取り、滓を去り、分かち温め再服す。

 

【三六〇条】

下利有微熱而渴、脉弱者、今自愈。

下利し微熱(びねつ)有りて渴し、脉弱の者は、今自(おのずか)ら愈ゆ。

 

【三六一条】

下利脉數、有微熱汗出、今自愈。設復緊(一云設脉浮復緊)、為未解。

下利し、脉數(さく)、微熱有りて汗出ずるは、今自ら愈ゆ。設(も)し復た緊なれば、未だ解せずと為(な)す。

 

【三六二条】

下利、手足厥冷、無脉者、灸之不温、若脉不還、反微喘者、死。少陰負趺陽者、為順也。

下利、手足厥冷し、脉無き者は、之に灸す。温まらず、若し脉還(かえ)らず、反って微喘(びぜん)する者は、死す。少陰、趺陽(ふよう)より負の者は、順と為(な)すなり。

 

【三六三条】

下利、寸脉反浮數、尺中自濇者、必清膿血。

下利し、寸脉反って浮數(さく)。尺中自ら濇(しょく)の者は、必ず膿血(のうけつ)を清す。

 

【三六四条】

下利清穀、不可攻表。汗出必脹滿。

下利清穀(せいこく)するは、表を攻むべからず。汗出ずれば、必ず脹滿す。

 

【三六五条】

下利、脉沈弦者、下重也。脉大者、為未止。脉微弱數者、為欲自止、雖發熱不死。

下利し、脉沈弦の者は、下重(げじゅう)するなり。脉大の者は、未(いま)だ止まずと為す。脉微弱數の者は、自ら止まんと欲すと為す。發熱すると雖も死せず。

 

【三六六条】

下利脉沈而遲、其人面少赤、身有微熱、下利清穀者、必鬱冒汗出而解、病人必微厥、所以然者、其面戴陽、下虛故也。

下利し、脉沈にして遲、其の人面少しく赤く、身に微熱有り。下利清穀する者は、必ず鬱冒(うつぼう)し汗出でて解す。病人必ず微厥(びけつ)す。然る所以(ゆえん)の者は、其の面戴陽(たいよう)して、下虛するが故なり。

 

【三六七条】

下利脉數而渴者、今自愈。設不差、必清膿血、以有熱故也。

下利し、脉數にして渴する者は、今自ら愈ゆ。設(も)し差(い)えざれば、必ず膿血を清す。熱有るを以ての故なり。

 

【三六八条】

下利後、脉絶、手足厥冷、晬時脉還、手足温者生。脉不還者死。

下利の後、脉絶(ぜつ)し、手足厥冷するも、晬時(さいじ)にして脉還(かえ)り、手足温なる者は生く。脉還らざる者は死す。

 

【三六九条】

傷寒下利日十餘行、脉反實者、死。

傷寒、下利すること日に十餘行(こう)、脉反って實する者は死す。