ブログ『鍼道 一の会』

『鍼道 一の会』は、「福祉への貢献」を目的に、「伝統医学」を規範に、「鍼灸」を手段に、「大阪市」を本拠地に据え、活動を続けている団体です。

閑話 - 漢方は毒?(4)

閑話ー漢方は毒?(1)

閑話ー漢方は毒?(2)

閑話ー漢方は毒?(3)

 ↑ 前回の続きです。

 

 今回は、戦争で邪気に勝てると確信を持ち、一気に勝負に出でるとどうなるの?といういうところまでお話ししました。

 

 一見悪化したかのような、激しい症状が起きます。

 俗に好転反応、と言われている現象です。

 東洋医学用語ではこれを『瞑眩(めんげん)』と称します。

 この瞑眩現象は、比較的短期間で終了するのが一般的です。

 術者は、あらかじめ意図して導きますので、どのようなことが起きるかと時期は、おおよその予測が付きます。

 激しければ激しいほど、台風一過の後のように身体はすっきり晴れ渡るかのように爽快に回復いたします。

 負け戦から、いかにして瞑眩を起こさせるところまで持っていくか。

 吐かせたり、下したり、発汗させたり、発熱させたりと、名医と呼ばれている医師は、やはりこのあたりの工夫というか作戦が上手いです。

 

                     つづく

 

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閑話 - 漢方は毒?(3)

 閑話 - 漢方は毒?(1)

閑話 - 漢方は毒?(2)

 ↑ 前回の続きです。

 

 漢方は、じっくりじんわり効いてくる?

 長く服用しないと効果が現れない?

 まことしやかに、広く世間で流布している漢方薬のイメージについて書いて参りました。

 結論から言えば、確かに、そういった漢方薬もありますし使い方もあります。

 が、的を得た答えでもないのです。

 バチ!って、超短期、単発で効かせる漢方も、実は数多くあるのです。

 

 ところで、鍼と漢方(湯液)の治療って、治療家はよく戦争に例えます。

 臨床で、『邪を攻める』なんて言葉も、よく使います。

 敵をやっつけろ! って感じ。

 戦争とは何やら恐ろしげですが、戦争の情勢を色々と連想してみてくださいな。

 戦う相手は多勢で味方は無勢。しかも逃げられないとしたらどうしますか?

 

 ちょっとの間でも戦いを避け、時間稼ぎしながら味方の勢力の増強を計りませんでしょうか。

 このような場合、邪気と戦わないようにじっくりと時間をかけて邪気と戦う準備に治療を費やすのですよ。

 反対に、もう明らかに負け戦と知ったら、いかに引き際をきれいにと考えません?

 治療だと、いかに苦しまずに人として本来の在り様に沿って死を迎えるかという点に注力します。

 東洋医学は、助かるか助からないか、生死の判別にとても優れた医学なんですよ、実は。

 古代では治療を施して患者が亡くなると、治療者の命もなくなる場合が多かったことに由来しているからです。

 今じゃ、考えられないことですよね。

 

 話を元に戻します。

 治療の過程では、時に小さな小競り合いというか、ゲリラ戦法のようになることもあります。

 まっ、なんにしろこんな時は、じんわり元気を養う・効かせるような治療を行います。

 ですので、漢方は、

 じっくりじんわり効いてくる?

 長く服用しないと効果が現れない?

 っていうのも、まんざら間違いではないのです。

 このような場合、術者と患者の双方ともに、なかなかいい結果が出ないので、焦ったりあきらめかけり・・・、ちょっと根くらべみたいな感じになりがちです。

 お薬も、一気に邪気と対戦しないようにジワジワと元気をつけますが、いずれ決戦の時はやってきます。

 それを身体にできるだけ負担を掛けないで、どのような形に持っていくかはやはり術者の考えと技量、そしてその時の状況が決めます。

 ところがですよ、互いに多勢同士で明らかに味方が勝っている。

 多方面から情報得て、勝算あり!と踏んだら、一気に勝負に出ません?

 一気に勝負に出ると、いったいどのようなことが身体に起きるのでしょうか?

                          つづき・・・ます。

 

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易学って・・

『鍼道 一の会』事務局スタッフの大上です。

 

今日は、当会の副代表であります永松周二先生の投稿をシェアしたいと思います!

 

永松先生は『鍼道 一の会』東洋医学講座において、《易学》講義を担当してくださっています。

 

易学って・・・

難しいですよね?

ややこしいですよね?

八卦とか、ましてや六十四卦なんて覚えられないですよね??^^;

 

私、前々から易学には興味を持っていたのですが、いざ勉強しようとすれども、あまりのややこしさに…敢無く挫折💦してきました!

 

そして永松先生の易学講義を受け始めて約2年・・・細かい枝葉はさておき、根幹の部分については少し理解できるようになってきたかな?と感じています。

 

東洋医学を志す方にとって、この「根幹」の部分がまさに必須です

 

ブログタイトルは、環の端無きが如し(たまきのはしなきがごとし)と読みます。
タイトルの意味するものは・・記事の中に答えがあります(*^^*)
↓↓↓

nagamatsu.ichinokai.info

 

 

閑話 - 漢方は毒?(2)

前回のブログで、漢方薬は毒だと古典に記されていることをお伝えいたしました。

   ↓

閑話 - 漢方は毒?(1)

 

 大半の方は漢方薬は「身体にやさしい」あるいは「副作用が無い」というイメージをお持ちじゃないでしょうか。

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閑話 - 漢方は毒?(1)

f:id:ichinokai-kanazawa:20170220163840j:plain山茶花

 本日より、Hatena Blog に引っ越して参りました。

 少々勝手が違うので戸惑い気味ですが、まあ、その内に慣れますでしょう。

 前回、「鍼は危険・有害」だからこそ効くのだと申し上げました。

  ↓

 『鍼ってなぜ効くの?』

 

 今回も少々過激な表題ですが、いわゆる漢方についても書いてみたいと思います。

 漢方は本来、湯液(とうえき)と称されていまして、漢方というのは幕末に盛んとなった蘭方(オランダ医学)に対する呼称として作られたものなんです。

 ですから中国に旅行して、「漢方薬下さい」って言っても、通じないんですよね。

 

 さてさてその漢方薬ですが、黄帝内経などの古典には、はっきりと毒薬と記されているんですよ、これが。

 

 漢方って副作用が無い、ってことおっしゃる方もおられますが、副作用が無いということは、作用もないということになりますよね。これ、簡単な物理ですよね。

                              つづく・・・

 

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閑話 - 鍼ってなぜ効くの?

 

立春も過ぎ、公園に子供達も帰ってくる頃


 『鍼はなぜ効くか』

 単純で素朴な問いですが、調べてみると意外と明確にスパッと答えられているものが見当たらないんですよね。

 答えは、単純明快。

 鍼は、危険で有害だからです。

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春の気?

 「鍼道 一の会」事務局スタッフの大上です。

梅の花

 立春を過ぎましたね。まだまだ寒い日が多いですが、これから温かい春がやってくると思うと、気持ちがワクワクしますね!

 うちの娘は立春過ぎから3日連続、おねしょをしました^^;(この出来事自体はワクワクしませんが 笑)

 これ、どうやら毎年恒例です。何気なく、過去の院長ブログを見ていたら出てきました。↓↓


 娘のおねしょを理解できる解説がされてますので、ぜひご覧ください。

 単純に言うと、上の方に気が集まって、下の方の気が不足してしまったんですね~

 春の気は肝の気。

 そういえばこのところ、寝言も多かったです!

 ちなみに、娘の名誉のために(?)申し上げると、今回は三日坊主で終わりました(*^^*)

 本格的な春が待ち遠しいです。



 4月からの新講座の募集要項が完成しました↓↓

▶▶『鍼道 一の会』東洋医学講座 2017年度 募集要項


鍼道 一の会

閑話 - こころの形と五臓の形

 お昼に温かいお蕎麦を頂いて、暖かい書斎でつらつらと執筆してると、な~んとなくボ~としてきますね。

 で、信号のない泉北1号線をバイクでひとっ走り。

 頭がキーンと痛くなりましたが、強制的にリフレッシュ。

 さてさて、唐突ですが「こころ」に形って無いですよね。

 「こころ」を、気持ちを目の前の「ここに」出せって言われても、気持ちを何らかの形で表現するしかないですよね。

 また話が、ちょっと飛びます。ついてきてくださいね。 (*^^)v

 「ほとけ」を具体的に表現したものに、観音像とか阿弥陀仏像とか色々ありますが、いずれも誰しもが心の中に既に持っている仏性、様々な現れ方をする仏性をそれぞれに表現したものですよね。

 形は無くても、確かに存在する仏性。

 何が言いたいかと申しますと、東洋医学の五臓概念も仏像と同じということなのです。

 命が表現するものを、5つの要素でつかもうとして、五臓が想定されたのです。

 我々現代人の頭の中には、医学と言えば西洋医学がびっちり入り込んでいますので、五臓といえば、いわゆる実体のある臓器を思い浮かべてしまいますよね。

 実は筆者も、初学の頃はそうでした。

 東洋医学には、五臓という実体は無いんですよ。

 びっくりぽん! じゃないです?

 実際に解剖して、臓象図とのあまりの違いに驚いたと言われている「解体新書」の杉田玄白くん、ちょっと惜しかったね。

 臓象図とは、臓器の絵じゃなかったんですよ (^_-)-☆

 いわゆる臓器とは全く別のもの、世界観が全く異なるので接点は無いと考えるのが正解なんですよね。

 とはいってもね、それではとらえどころが無い、頼りない。

 そこで解剖的・写実的な臓器の形を元にして、なんとか『気の働き』を表現しようとしたのが、あの奇妙な『臓象図』と呼ばれるものなんですね。

 唯一、接点というならこの点だけですね。

 

『十四経発揮』本間祥伯著 より

上の図は、肝の臓と胆の腑の臓象図です。

 
 筆者から見ると、よくもまあこれだけ意味深長な図に仕上げたものだと感嘆してしまいますが、分からない人は子供の絵の方がまだ上手いと笑われるかもしれませんね。
 
 五臓には、実体がない?
 
 では、五臓に連なるとされてる、経絡の存在はどうなるの・・・!?
 
 経絡の実在が危うい?
 
 じゃあ、経絡上に在るって言われてる、経穴(つぼ)はいったいどうなるの?
 
 当然、そうなりますよねぇ (^^)/
 
 おぉ~、急に吹雪いてきました!
 
 
 鍼道 一の会
 


閑話 ー 経絡ってね・・・?

 本日は全国的に休日ですね。

 今日、天気は良いのですが、あまりの寒さにひるんで書斎にこもってます。

 暖かい部屋、しあわせですねぇ~。

 で、来年度「一の会」臓腑経絡学の教科書を執筆中であります。

 ちょっと休憩、閑話。

 ところで、針灸家の常識であります『経絡』というもの。

 これって、ほんまに経絡流注に沿って気血が秩序立って流れているんだろうか。

 下図は、足少陽胆経の顔面部流注です。

経絡学 中医薬大学全国共通教科書 浅野周翻訳
  素直に見て、図のように気血が流れてるって、自分自身の体感的に実感できるでしょうか?

実はね、これってずーっと自分の中でくすぶっていた疑問なんですが、やっぱり違うと思うんですよね。

 かといって、現代医学的な血管や神経の走行とも違いますしね。

 
 こんなこと、どうでもいいと言われれば、確かにそうなんですけれど・・・
 
 それにこんなこと書くと、初学者は勉強の意欲を無くすかもしれませんが・・・
 
 でもまれに、経絡現象を感じる方もいらっしゃいます。
 
 筆者も、足三里からお湯のような熱いものが胃経に沿って下に流れていく感覚がする時が、たまにあります。
 
 大体、このような現象の後は体調が良いです♪
 
 が、経絡現象を単に経絡に気血が流れているからと理由付けするのも、やはりなんとなく安易な感じがするんですよね。
 
 他にも常識とされてる理論に、疑問はいっぱいあります。
 
 例えば衛気と栄気は調和して、常に内外同時に流れているというのも、ほんとかな?って思うのですよね。
 
 衛気は日中は体表を循り、夜は体内に入るというのも同じです。
 
 単に気の流れが切り替わるだけだと思うのですが・・・
 
 恐れ多くも、黄帝内経に反した考えではありますが・・・
 
 インド医学にチャクラがあって、経絡がないのはどうしてなのだろうとかもね。
 
 それに湯液家は、経絡概念がなくても治療できますしね。
 
 おそらく、人間を認識する視点が異なるからなのでしょうけど、ある視点では存在しているのに、違う視点からは存在していない。
 
 それでも共通認識は、頭はひとつで手足はよっつ。
 
 やはり、人間って面白いですね。
 
 で、ここに来て鍼灸家にとって、経絡概念はやはり必須ですね。
 
 ただ、概念を再度はっきりさせる必要があると。
 
 筆者は、肉体に重なっているもう一つの身体が存在すると想定すると、なんとなくすっきりしそうなのですが・・・
 
 読者諸氏は、どのようにお考えでしょうか。
 
 
 鍼道 一の会
 
 
 

親切・・・「一の会」特別講座に際して

 親切って、親を切ること?

 切とは、ぴったりと相手に寄り添うことの字義があります。

 親が子を思う気持ちと、子の思いとを一にして、ぴったりと寄り添うことを親切というのですね。

 東洋医学では、患者に直接触れて候うことを切診と申します。

 切診とは、実際に相手に触れた手から伝わってくるものを、心を平らかにして察知する診察法です。

 このあたりの消息は、素問<平人気象論十八>
「常以不病調病人.醫不病.故爲病人平息.以調之爲法」
 常に病ざるを以て病人を調う。醫は病まず。故に病人の爲に息を平らかにし、以て之を調うを法と爲す。
 
 に、如実に語られている通りです。これって、あまり注目されていませんが、極意と言えば極意です。


 2月5日の「一の会」では、稲垣学術部長の実技披露にモデルを買って出たのですが、参加者の切診を通じて伝わってくるものを、実は観察していました。

 結果は、素晴らしいものでした。

 みなさん、学術が自分のものになっておられると感じました。

 「触れる」という行為には、互いの気の交流が行われています。

 触れて触れられて、快に感じるか不快に感じるか。

 これが答えであり結果です。

 お互いの総体としての在り様が、直接肌を切っする接点において、瞬時にやり取りされるのが、実際に触れ合うということの意味合いです。

 筆者は、目を閉じて唯々触れられる手から伝わってくるものを受け取っていたのですが、一年目の方、二年目の方、それぞれに個性を感じつつ、それぞれに出来上がりつつあるものを感じ取れて、とてもうれしく思えました。

 触れることから、何を読み取ろうとするのか。

 それぞれの人間理解の視点と学んだ学理がどれだけ心になじんでいるかが、如実に伝わってくるものです。

 どれだけ学理を積んだとしても、最後には切して刺鍼し、切して抜鍼します。

 この点は湯液の世界とは大きく異なります。

 鍼灸医学は、最後の最後まで術者の在り様がそのまま結果につながる医学です。

 この最初から最後までのアプローチの在り様は、永松先生による『身体学』が多くの示唆を与えてくれます。

 4月からの新講座に向けて、我々講師陣も区々精進中であります。

 鍼道 一の会