ブログ『鍼道 一の会』

『鍼道 一の会』は、「福祉への貢献」を目的に、「伝統医学」を規範に、「鍼灸」を手段に、「大阪市」を本拠地に据え、活動を続けている団体です。

性を養う(1)大體第一②



 ここからは幾つかに分けて訳します。今回は文子、養生要集(その中で引用されている中経)、少有経、彭祖の引用です。

 文子の引用では、養生の順番、基本を唱え、養生と欲望との関係性をはっきりとさせています。

 養生要集では、養生の具体的な方法、人によって養生法にも機微があることを示してくれています。この辺りの引用の順序はさすがに丹波康頼の心配り、考えて練り込んだ部分が現れています。

 少有経では、十二少と十二多として定義づけることで分かりにくい、神の養生部分について理解しやすく記載してくれています。

 しかしながらこのような定義を覚えようとするなら、すぐにマニュアルの弊害に陥りやすいので、あくまでも目を通す程度で良いように思います。

 彭祖という人は、黃帝の話でもちょこちょこ出て来ますが、三皇五帝の舜の代(夏王朝直前辺りです)から、春秋時代までを生きたと言われる伝説の道の体現者です。

 集約すると四時に適った生活ですが、更に具体的に表現しながら、戒めや過不足による未病から病への変遷、病から乱禍への発展を書いています。

 そして最後に水火既済を失ってはいけないというところ等は、彭祖の養生から黃帝の内経への移り変わりが徐々に進んでいる、最中を見せていただいているようで面白く感じます。

 まだまだ続きますが、読み出すと古典は物語のようで、良く練り込まれ誘われてしまうので、今回はここまでにしておきます。


原文と書き下し

 文子云、太上養神、其次養形、神清意平百節皆寧養生之本也。

肥肌膚、充腹腸、開嗜欲養生末也。
 文子が云わく、太上は神を養い、その次は形を養う。神清みて意平らかに、百節皆寧きは養生の本なり。肌膚を肥やし、腹腸を充たし、嗜欲を開くは、養生の末なるなり、と。



養生要集云、神仙図云、夫為長生之術常当存之行止、坐起、飲食、臥息諸便思晝夜不忘保全、精気神不離身則長生。

 養生要集に云う。神仙図が云うに、それ長生を為すの術、常に当にこれ行止、坐起、飲食、臥息に存すべし。諸便を皆思いて昼夜忘れず、精気を保全し、神、身を離れざるは則ち長生なり、と。



又云、中経云、夫稟五常之氣有靖躁剛柔之性不可易也。静者不可令躁、躁者不可令静、静躁各有其性違之則失其氣。欲之則害。其生故。靖之弊在不開通、躁之弊在不精密。治生之道順其性、回其分、使抑別随宜損益、以漸則各得其適矣。
静者壽、躁者夭、静而不能養減壽、躁而能養延年然。静易御、躁難将順、養之宜者静亦可養躁亦可養也。

 又云う、中経に云わく、それ五常の気を稟くるに靖躁剛柔の性ありて易うべからざるなり。

 静かなる者を躁がしくせしむるべからず。躁しき者を静かならしむるべからず。

 静躁各々その性ありて、これに違えば則ちその分を失い、これを欲しいままにすれば、則ちその生を害なす。

 故より靖の弊は開通せざるにあり。

 躁の弊は精密ならざるにあり。

 生を治むるの道は、その性に順い、その分に因り、抑引宜しきに随って損益、漸を以てし、則ち各々その適を得せしむるべし。

 静かなる者は寿、躁なる者は夭。

 静かなるも能く養わざれば寿を減じ、躁なるも能く養えば年を延ぶ。

 然して静は御し易く、躁は将順ずるに難し。

 養う事の宜しきは、静も亦た養うべく、躁も亦た養うべきなり、と。



又云、大計奢嬾者壽、慳勤者夭、放散拘[勆]之異也。佃夫壽、膏梁夭、嗜欲少多之験也。処士少疾、遊子多患、事務煩簡之殊也。故俗人覓利、道人罕營。

 又云う。大計奢り嬾うきなる者は寿あり。

 慳み勤む者は夭す。

 放散と劬吝との異なるなり。

 佃夫は寿にして膏梁は夭なるは、嗜欲の少なきと多きとの験なり。

 処子は少疾にして、遊子の多患なるは、事務煩簡の殊なるなり。故に俗人は利を覓むるも、道人は営うこと罕なり、と。



又云、少有経云、少思、少念、少欲、少事、少語、少笑、少愁、少楽、少怒、少好、少惡、行此十二少養生之都契也。多思即神殆、多念則志散、多欲則損智、多事則形疲、多語則氣争、多笑則傷藏、多愁則心摂、多楽則意溢、多喜則志錯昏乱、多怒則百脉不災、多好則専迷不治、多惡則焦煎無歓。此十二多不除喪生之本無少無多者幾于真人也。

 又云う。少有経に云く、少思、少念、少欲、少事、少語、少笑、少愁、少楽、少喜、少怒、少好、少惡、この十二の少なきを行うは、養生の都契なり。

 多思なれば則ち神殆うく、

 多念なれば則ち志散じ、

 多欲なれば則ち智を損し、

 多事なれば則ち形疲れ、

 多語なれば則ち気争い、

 多笑なれば則ち藏を傷り、

 多愁なれば則ち神懾れ、

 多楽なれば則ち意溢れ、

 多喜なれば則ち忘錯昏乱し、

 多怒なれば則ち百脉定まらず、

 多好なれば則ち専ら迷いて治まらず、

 多惡なれば則ち憔煎して歓びなし。

 この十二の多を除かざれば生の本を喪う。少にてもなく、多にてもなき者は真人に幾きか、と。



又云、彭祖曰、養壽之法但莫傷之而己。夫冬温夏涼、不失四時之和、所以適身也。美色姿幽閑娯楽不致思欲之感、所以通神也。車馬威儀知之無求、所以一志也。八音五色以玩視聴之歓、所以導心也。凡此皆所以養壽而不能酙酌之者及以迷患、故至人欲流遁不及乃絶其源、故言上士別床、中士別被服藥百果不如獨臥色使目盲、声使耳聾、味令口爽此荀能節、宣其適抑揚其通塞者不以滅耳而得其益。

 又云う。彭祖曰わく、寿を養うの法は、但だこれを傷ること莫きのみ。

 それ冬温かくし、夏涼しくし、四時の和を失わざるは身を適うる所以なり。

 美色、淑姿に幽閑、娯楽して思欲の感を致さざるは神に通ずる所以なり。

 車馬の威儀は足れるを知りて求むるなきは、志を一にする所以なり。

 八音五色、以て視聴の歓を玩ぶは心を導く所以なり。

 凡そこれ皆、寿を養うも、これを酙酌する能わざる者は、反って以て迷患する所以なり。

 故に至人流遁して反らざるを恐れなば、乃ちその源を絶つ。

 故に言わく、上士は床を別にし、中士は被を別にす、と。

 藥百裏を服するも。独り臥するには如かず。

 色には目を盲ならしめ、声には耳を聾ならしめ、味には口をしてこれを爽わしむ。

 荀に能くその適を節宣し、その通塞を抑揚する者なれば、以て減せずしてその益を得るなり、と。




又云、彭祖曰、重衣厚褥、躰不堪若、以致風寒之疾。厚味、脯腊、醉飽、厭飫、以致疝結之病。美色、妖麗、媚妾、盈房、以致虚損之禍。淫声、哀音、移心、悦耳、以致荒耽之感。馳騁遊観、戈猟原野以致放狂之失。謀得戦勝兼弱取乱、以致驕逸之敗。蓋賢聖戒失其理者也。然此養生之具、譬猶水火不可失適及為害耳。

 又云う。彭祖が曰く、重衣厚褥すれば、身体は苦に堪えずして、以て風寒の疾を致す。

 厚味、脯腊、酔飽、厭飫は、以て居損の禍を致す。

 淫声、哀音に心を移し耳を悦ばすは、以て荒耽の感を致す。

 馳騁、遊観、原野に戈猟するは、以て発狂の失を致す。

 戦勝を得んことを謀り、弱を兼せ、以て驕逸の敗を致す。


  蓋し、賢聖はその理を失わんことを戒む者なり。

 然り、この養生の具たる、譬えば猶水火の失すべからざるが如し。適々反って害を為すあるのみ、と。