ブログ『鍼道 一の会』

『鍼道 一の会』は、「福祉への貢献」を目的に、「伝統医学」を規範に、「鍼灸」を手段に、「大阪市」を本拠地に据え、活動を続けている団体です。

性を養う(2)谷神第二


 養生篇第二は谷神と題されています。

 谷神とは文中に出てくるように、身体の神である心を養う事です。大體第一は総論であり、ここから各論に入っていきます。

 先ずは老子の道経から神についての定義がなされ、史記を引用して形神を安定させることの重要性を語り、抱朴子を引用して神と形との関係性に言及し、養生要集、鉅鹿で実際の神の養生の仕方について記載しています。

 最後の延寿赤書と聖記経には、道経の考え方を主体とした三魂七魄や三丹田について書かれていますが、延寿赤書は内丹・外丹の方書だろうと推測できます。

 しかし、聖記経は三藏聖教序并三藏聖記附般若心経なのか調査不足で不明です。


老子道経:養神をしっかりと行う事が出来れば肉体は死んでも幽体として
     生きていられると言っているのではないでしょうか。

     不死を行うには玄牝と言う考えが重要であり、呼吸だけで天地の気
     を出入できれば良いという考え方は、穀気で生きられるのは
     100年、そこから清気だけで生きる為の転化時期が120年、
     清気だけで生きられるようになれば200年は死なないという仙人
     思想に合致します。

     しかしながら、ここでは肉体の有無ではなく、その人の精神の命に
     ついての言及であることに注意が必要です。
     治療においては、声と呼吸の有様を察する標となりますね。


 神とは五藏の神を謂う。

 肝は魂を藏し、肺は魄を藏し、心は神を藏し、腎は精を藏し、脾は志を藏す。五藏の気が尽き傷れば則ち五神去るなり。


 黃帝内景経の心神章第八に書かれていますが、腎と脾は観相学的には下焦に属し、鼻以下は腎、住居の問題がベースです。栄養が過剰になってくると脾胃、食事の問題となって来ることからも、観る人の視点の違いによって微妙に解釈が変化していることを現していることに注意が必要です。

 谷神第二での一番の養生は神であり、その具体的な部分は養生要集と鉅鹿だけです。

 「常に同じ姿勢で溜息をつき、昼夜ぐちぐち言っていれば正気が犯され、邪が来る。」

 「ただ常に心を和やかにし、雑念を持たず、身体を休めること。形(身体)を壊せば先ず先に心、神が乱れており、本性が犯されている事を自覚すべし。」


 「解らない、解決しない事にずっと思いを馳せていれば、ただ寿命を損なうだけでなく、愚かな疣ができ、志を失い或いは恨みが晴れず、酷い場合は本イライラしたり、鬱になったりする。
 これを今の世間では経逸(本を読みすぎることで無くすもの)と言っている。」


原文と書き下し文


 老子道経云、谷神不死。「谷養也。人能養神則不死也。神謂五藏之神。肝藏魂、肺藏魄、心藏神、腎藏精、脾藏志。五藏盡傷則五神去。」是謂玄牝。「言不死之道在於玄牝。玄天也、於人為鼻。牝地也、於人為口。天食人、以五藏從鼻入藏於心、五気精微為精神聡明、音声五性其鬼曰魂。魂者雄也。主出入於鼻与天通気、故鼻為玄也。地食人、以五味從口入藏於胃、五味濁唇為形骸、骨肉、血脈六情、其鬼曰魄。魄者雌也。主入出於口与地通気、故口為牝也。」玄牝之門是謂天地之根。「根元也。言鼻口之門是為乃天地之元気所從往来也。」綿々乎若存、「鼻口呼吸喘息當綿々微妙若可存復若無有也。」用之不勤。「用気當寛舒不當急疾勤労也。」
 老子の道経に云う、谷神は死せず、と。「谷は養なり。人の能く神を養うときは、則ち死せざるなり。神とは五藏の神を謂う。肝藏の魂、肺藏の魄、心藏の神、腎藏の精、脾藏の志なり。五藏尽き傷めば則ち五神去るなり。」これを玄牝と謂う。「不死の道というは玄牝に在り。玄は天なり、人においては鼻と為す。牝は地なり、人においては口と為す。天、人を養うに五気を以てし、鼻より入り手心に蔵す。五気精微なれば精神聡明にして音声五性を為す。其の鬼を魂と曰う。魂は雄なり、鼻より出入りして天と気を通ずるを主どる。故に鼻を玄と為すなり。地は人を養うに五味を以てし、口より入りて胃に藏す。五味の濁辱、形骸、骨肉、血脈、六情と為す。其の鬼を魄と曰う。魄は雌なり、口より入出して地と気を通ずるを主どる。故に口を牝と為すなり。」玄牝の門、これを天地の根と謂う。「根は元なり。鼻口の門を言う。これ乃ち天地の元気の従いて往来する所なり。」綿々乎として存するがごとし。「鼻口の嘘吸喘息、当に綿々微妙にして、存するべきがごとく、復たあるなきがごときなり。」これを用うれども務めず、と。「気を用うるは当に寛舒なるべく、当に急疾勤労すべからざるなり。」


 史記云、人所以生者神也。所託者形也。神大用則竭、形大労則弊、形神離則死。故聖人重之由是観之神者生之本也。形者生之具也。不先定其神、而曰我有以治天下、何由乎
  史記に云う、人の生くる所以のものは神なり。託する所のものは形なり。神、大いに用うれば則ち竭き、形、大いに労すれば則ち弊れ、形神離れて則ち死す。故に聖人はこれを重んず。これに由りてこれを観れば、神は生の本なり、形は生の具なり。先ず其の神を定めずして、我は以て天下を治むるありと曰うは何の由ぞや、と。



 抱朴子云、夫有因无而生焉。形須神而立延。有者无之宮也、形者神之宅也。故譬之於堤、堤壊則水不畱矣。方之燭、燭麋則火不居矣。身労則神散、氣竭則命終。根抜、蝎繁則青、青去木矣。器疲、欲勝則精霊離逝矣。
  抱朴子に云う、それ有は无に因りて生じ、形は神を須ちて立ち延ぶ。有は无の宮なり、形は神の宅なり。故にこれを堤に譬うれば、堤、壊るれば則ち水留まらず。これを燭に方ふれば、燭麋くれば則ち火居まらず。身労すれば則ち神散じ、気竭くれば則ち命終う。根抜けて蝎繁ければ則ち青々なるもの木を去る。器疲れ、欲勝てば則ち精霊離れ逝くなり、と。




 養生要集云、穎川胡昭孔明云、目不欲視不正色。耳不欲聴醜穢聲。鼻不欲嗅腥氣。口不欲嘗毒刺味。心不欲謀欺詐事。此辱神損壽又居常而嘆息晝夜吟嘨于正来耶矣。夫常人不得無欲又復無事但常和心、約念、靖身、損物先去乱神犯性者、此即書神之一術也。
  養生要集に云う、穎川の胡昭、孔明が云うに、目不正の色を視るを欲せず、耳醜穢の声を聴くを欲せず、鼻腥気を嗅ぐを欲せず、口毒刺の味を嘗むるを欲せず、心欺詐の事を謀るを欲せざる。これ神を辱しめ、壽を損す。復、居常に
して嘆息し、昼夜吟嘨すれば、正を于かし邪を来す。それ常人は無欲なるを得ず、又復無事なるを得るも、但だ常に心を和し、念を約し、身を靖かにす。物を損えば、先ず神を乱し性を犯すことを去るべし。これ即ち書神の一術なり、と。



 又云、鉅鹿張臶子明曰、思 念不欲専亦不欲散、専則愚惑、散則佚蕩。又讀
書、致思、損性尤深。不能不讀當讀己書解者已書。不解而思之不已、非但損壽或中戇疣、失志、或悵悦不治、甚者失性世謂之経逸。
  又云う、鉅鹿の張臶子明曰わく、思念は専らなるを欲せず、亦た散なるを欲せざる。専らなれば即ち愚惑し、散ずれば則ち佚蕩す。又、書を読みて思いを致すは、性を損なうこと尤も深し。読まざること能わざれば、当に解れる所の者を読むのみにて已むべきなり。解せざる所を、而もこれを思いて已まざれば、但に寿を損するのみならず、或いは戇疣に中りて志失い、或いは悵悦して治まらず、甚だしきは性を失う。世にこれを経逸と謂う、と。



 延壽赤書云、三魂名爽霊、胎光、幽精。七魄神名尸苟、伏矢、雀陰、呑賊、非毒、除穢、臭肺。五藏神名赤子、字朱霊。肺神詰華、字虚成。肝神龍煙、字含明。腎神玄冥、字育嬰。脾神常在、字魂庭。
 延寿赤書に云う、三魂の名を爽霊、胎光、幽精、七魄の神の名を尸苟、伏矢、雀陰、呑賊、非毒、除穢、臭肺という、と。「已上の名を夜半五更に誦すること両遍すれば、魂魄、形神を離れざるなり。」
 五藏の神を名づけて、心の神を赤子、字は朱霊。肺の神を詰華、字は虚成。肝の神を龍煙、字は含明。腎の神を玄冥、字は育嬰。脾の神を常在、字は魂庭と為す、と。「已上の神名、日別にこれを誦すれば、神、形を離れざるなり。」




 聖記経云、人身中有三元宮也。両眉間却入三寸、為泥丸宮、此上丹田也。中有赤子、字元先、一名帝卿、人長三寸紫衣也。中心為絳宮、此中丹田也。其中真人、字子丹、一名光堅、赤衣也。臍下三寸為命門宮、此下丹田也。其中嬰児、字元陽、一名谷玄、黄衣也。皆如嬰児之状。凡欲拘制魂魄、先陰呼其名、并存服色令次第分明。
 聖記経に云う、人の身中に三の元宮あり。両眉の間に当たりて、却き入ること三寸なるを泥丸宮と為す。これ上の丹田なり。中に赤子あり、字は元先、一名帝卿、人長三寸にして紫衣なり。中心を絳宮と為す。これ中の丹田なり。其の中の真人、字は子丹、一名光堅、赤衣なり。臍下三寸を命門宮と為す。これ下の丹田なり。其の中の嬰児、字は元陽、一名谷玄、黄衣なり。皆嬰児の状のごとし。凡そ魂魄を拘制せんと欲すれば、先ず陰かに其の名を呼び、併せて服色を存じて次第に分明ならしめよ、と。