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ブログ『鍼道 一の会』

『鍼道 一の会』は、「福祉への貢献」を目的に、「伝統医学」を規範に、「鍼灸」を手段に、「大阪市」を本拠地に据え、活動を続けている団体です。

性を養う(3)養形第三①

 養形第三の始めは、<黄帝内経・素問 四気調神大論篇第二>からの抜粋です。

 ここから始めに出てくる養生要集の部分までが、養形篇のダイジェスト的な役割を担っています。

 即ち、形を養う事の大まかな指標について、内経では四時(四季)に合わせた生活の話を出しています。

 聖記経では、1日、一ヶ月、1年、100年、1000年の道について触れ、養生要集では、楽と苦についての分別を自分で意識的にバランスを取る事の重要性について記載されています。

 最後は見た目として現れた姿、形は見えない内の部分の反映であって、形が精華であるので、どちらも大切です。

 一般的に容姿、形ばかりを気にするのは返って容姿にも心にも逆効果なので注意してくださいと言ってくれています。

  素問には次のように書いている。

 「春の三ヶ月は古いものから新しいものが生まれていく為、發陳と呼んでいる。

 天の気と地の気が共に生まれ、この交流によってあらゆるものが発生、発展していく。

 例えば種が厚く古い殻を破って発芽するように。

 夜が更ければ寝て、朝は早く起き、全身を使ってできるだけ身体を動かす。

 髪も伸びていくのでできるだけリラックスできる格好をして、やりたいことをやりやすくできるようにする。

 この時期は生まれたものを殺さないように、与えることがあっても奪うことはないように、誉めることはあっても罰することがないようにしましょう。

 これが春気に応じた養生の道である。」


 「夏の三ヶ月はあらゆるものが大いに茂り、繁栄するので蕃秀と呼んでいる。

 天地の気が交わって、あらゆるものが花を咲かせ実を実らせます。

 夜が更けたら寝て、朝は早く起き、太陽の日差しを嫌がらずに、怒る事を慎み、咲いた華や実りのように自分の心にも志(目標)をしっかりと実現させるために動きましょう。

 気を体外に出し、自分の外に愛情を求めるように行動しましょう。これが夏気に応じた養生の道である。」


 「秋の三ヶ月はあらゆるものを包みながら平均的にするので容平と呼んでいる。

 天の気は急に変化し、地の気は明るくなる。早めに寝て朝早く起き、鶏と共に起きるくらいが良い。

 心を落ち着かせて平穏にし、秋の気の流れをゆっくりと受け入れ、秋の収斂の気を利用して心も引き締める。

 志は外に出し過ぎないようにし、その分内で肺の気を使って練り込んでいく。

 これが秋気に応じた養収の道である。」


 「冬の三ヶ月は自分の持っている気を外に出さずに門を閉じ、温めて貯える時期なので閉藏と呼ぶ。

 水が凍り、地が乾いて裂けるような季節である。

 熱を持った自分の気、心を余り外に出して乱すような事をしないようにする。

 夜は早く寝て、朝は遅く起き、必ず日光を待つ。

 コタツでまるまっているかのように身体も心も気を内に秘め、深い考えがあるように、そして又自分に徳が備わっているように重々しく振る舞う。

 寒さを避け、温かくし、皮膚を外に晒さないようにして、気をしまい込む。これが冬気に応じた養藏の道である。」


 四季の陰陽の気のバランスが万物の根本的な気となる。

 この為、聖人は春夏には陽を養い、秋冬には陰を養って、その根気に順っているのである。

 つまり万物と共に自然の流れに沿って、心身を浮いたり沈んだりさせているのである、と。

 聖記経には、次のように書いている。
 1日の養生の道は朝は満腹にし、夕方には空腹になるようにする。

 一ヶ月の養生の道は月の満ち欠けに随い、1年の養生の道は夏に痩せて冬に太るようにすること。

 100歳になる為の養生の道は、食べる米の量を減らすこと。

 1000歳の養生の道は生涯独身を守る事で精を漏らさないようにすること。

 これを行う事で、長生きをして世の姿を見ることができる。


 養生要集には次のように書いている
 青牛道士は「人は安楽を望んではいけない。楽をしている人は、寿命を長く保てない。ただし強健であっても自分の気力以上の事をしてはいけない」と言っている。

 重いものを持ち上げたり、強く引っ張ったり、地を掘ったり、物事を疲れるほどやって休息しなければ、筋骨は疲れ果てるだけで回復できない。

 しかし、労苦が多いのは、遊んで楽しみに更けることよりも良い事ではある。

 朝から晩まで仕事があって、足を休ませなければ気持ちがよい。しかし、疲れてしまったと感じたら、休息すること。

 休んだ後で又仕事をすれば、導引をやっているのと同じである。流れている水が汚れず、戸枢が腐らないのは、いつも動いているからである。

 又次のようにも書いている。
 中経の説には、「人は毎日しばしば鏡を覗こうとする。これを「存形」と呼ぶ。

 これは形が精神と共に存在するので、鏡に映るのである。

 形があっても心が共に無ければ鏡に映った自分を認識できないし、魂魄だけでは鏡には映らない。

 つまり、鏡に映すというのは自己の存在確認、自己認識である。それなのに、自分の容色を愛し、それに執着して鏡を見るのは鏡を見ないよりも悪い。」


 原文及び書き下し

 素問云、春三月此謂發陳。天地倶生、萬物以榮。夜臥蚤起、廣歩於庭。被髪緩形以使志生。生而勿煞、与而勿奪、賞而勿罰、此春氣之應也、養生之道也。
  素問に云わく、春三月、此を發陳と謂ふ。天地倶に生じ、萬物以て栄ゆ。夜臥し早く起き、広く庭を歩む。髪を被き形を緩くして以て志をして生ぜしむ。生かして殺すこと勿かれ、与えて奪うこと勿かれ、賞して罰すること勿かれ、これ春気の応、養生の道なり。



 夏三月此謂蕃秀。天地氣交、萬物華實。夜臥蚤起、母厭於日、志莫怒使英華成秀使氣得泄若所愛在外。此夏氣之應也、養生之道也。
 夏三月、此を蕃秀と謂ふ。天地の気交わりて、萬物華實す。夜臥し早く起きて、日を厭うことなく、志をして怒る莫からしめ、英華の秀をなさしむ。気をして泄を得せしめ、愛しむ所、外にあるがごとくす。これ夏気の応、養生の道なり。


 秋三月此謂容平。天氣以急、地氣以明。蚤臥蚤起、与鶏共興。使志安寧、以緩秋形、収斂神氣、使秋氣平。母外其志、使肺氣精。此秋氣之應也、養収之道也。
 秋三月、此を容平と謂ふ。天気以て急となり、地気以て明となるなり。早く臥し早く起き、鶏と共に起く。志をして安寧ならしめ、以て秋形を緩やかにし、神気を収斂して秋気をして平ならしむ。その志を外にすることなく、肺の気をして精ならしむ。これ秋気の応、養収の道なり。

 冬三月此謂閉藏。水氷、地圻。母擾于陽。蚤臥晩起、必待日光、使志若伏匿、有私意、若己有徳。去寒就温、母泄皮膚、使氣極。此冬氣之應也、養藏之道也。
  冬三月、此を閉藏と謂ふ。水氷り、地裂く。陽を乱すことなかれ。早く臥せて遅く起き、必ず日光を待つ。志をして伏隠するが如く、私意あるが如く、既に徳あるが如くす。寒を去り、温かきに就き、皮膚を泄らすことなく、気をして極めしむ。これ冬気の応、養藏の道なり。

 夫四時陰陽者萬物之根氣也。所以聖人春夏養陽、秋冬養陰、以順其根、故与萬物沈浮於生長之門。
  それ四時の陰陽は萬物の根気なり。この故に聖人は春夏に陽を養ひ、秋冬に陰を養ひて、以てその根に順う。故に萬物と生長の門に浮沈するなり、と。

 聖記経云「宇治本无、医本在」、夫一日之道、朝飽暮飢。一月之道、不失盛衰。一歳之道、夏痩冬肥。百歳之道、節穀食米。千歳之道、獨男無女是謂長生久視。
  聖記経に云ふ。それ一日の道は朝には飽きて暮れには飢ゆ。一と月の道は盛衰を失わず。一歳の道は夏に痩せて冬肥ゆるなり。百歳の道は食米を節穀し、千歳の道は独男無女なりとす。これを長生久視といふなり、と。


 養生要集云、青牛道士云、人不欲使樂。樂人不壽。但當莫強健為其氣力所不任。挙重、引強、掘地、若作倦而不息、以致筋骨疲竭耳。然過於労苦、遠勝過於逸樂也。能從朝至暮常有所為、使足不息、乃快。但覚極當息。息復為乃与導引無異也。夫流水不垢而戸樞不腐者、以其労動之數故也。
  養生要集に云ふ、青牛道士が云わく、人楽ならしめんと欲せざれ、楽なれば人寿ならず。ただ当に強健なりとも、その気力の任せざるところを為す事なかるべし。重きを挙げ、強きを引き、地を掘り、もし倦なりてしかも休まざれば以て筋骨の疲竭を致すのみ。しかれども労苦に過ぐれば、遙かに逸樂に過ぐるに勝る。よく朝より暮れに至るまで、常に為す所ありて、足をしてやすまざらしむれば、乃ち快なり。ただ極みを惡墓結えれば当に休むべし。休みて復た為せば。乃ち導引と異なるなきなり。それ流水は垢つかず、而して戸枢の朽ちざるは、その労働のしばしばなるを以ての故なり、と。

 又云、中経曰、人常欲數照鏡。謂之存形。形与神相存、此照鏡也。若務容也。自愛翫不如勿照也。
  又云う、中経に曰く、人は常にしばしば鏡に映らんことを欲す。これを存形と謂ふ。形、神と相存してこれ鏡に映るなり。務めて容色自ら愛翫するは映すことなきにしかざるなり、と。