ブログ『鍼道 一の会』

『鍼道 一の会』は、「福祉への貢献」を目的に、「伝統医学」を規範に、「鍼灸」を手段に、「大阪市」を本拠地に据え、活動を続けている団体です。

瞑想するということ(3)





 瞑想を通じて、自分の感情や浮かんでくるイメージの中に素直に入っていくと、自我意識の根底には、不安と恐れが存在することが自覚できる。

 この不安と恐れは、自分が世界から分離された状態‐孤独として意識されることから生じる。

 瞑想を通じて自分自身と向き合えば、自分自身を観察するものと、されるものが存在する。

 誰でもが、簡単に体験できることである。






 観察するものと、されるもの。

 自分自身の意識が、すでに分離された状態なのである。

 この、分離された観察するものと、されるものとの間には、葛藤‐争いが生じる。

 この自我意識が、目の前の現実に投影され、自分とは分断された油断のならない世界として、あたかも現実かのように映し出すのである。

 衝動的事件の背景にある自意識などは、その端的な例である。


 そして自我は、自我を守ろうとして思考を始める。

 小さな出来事に、思考を働かせれば簡単に大きくできる。

 小さな傷を、いとも簡単に大きくできるのも、この思考である。

 ただ、「悲しい」

 ただ、「腹が立つ」

 たったこれだけのことが、自我の正当性‐思考を通じて戦う相手を多く作り出す。

 そして正当性‐思考は、糊と化して過去の出来事に執着するようになる。

 すると過去の出来事が頭から離れなくなり、苦しみとして自覚される。

 思考は、分離と執着を促す。

 

 思考が作り出す平和は、幻想のように一時的に感じさせるだけ。

 歴史的に、戦争が繰り返し行われてきた訳である。

 





 この、自我が作り出す世界を、やめさせようとせずに「ただながめる」

 瞑想した結果を期待せずに、「ただながめる」

 期待さえ、自我が欲する。


 ( 筆者 : 金澤秀光 )



 次回の養生講座は5/23(土)・6/27(土)

 永松先生による「気を意識した体の使い方」です。

 筆者金澤による呼吸瞑想は次回6/13(土)です。


 どなたでも自由にご参加いただけます。

 ご興味を持たれた方、参加希望の方はいおり鍼灸院までお問い合わせください。