ブログ『鍼道 一の会』

『鍼道 一の会』は、「福祉への貢献」を目的に、「伝統医学」を規範に、「鍼灸」を手段に、「大阪市」を本拠地に据え、活動を続けている団体です。

活動報告ー12月 臨床医学講座

 今期第9回目の「鍼道 一の会」東洋臨床医学講座は12月16日、いつもの大阪医療技術学園専門学校 の教室をお借りして開催いたしました。

 今年は暖かいためか、年末という気があまりしませんが、何かとあわただしい中、講座終了から早10日が過ぎてしまいました。

 

 今回の時事講義は、かねてより予告していました「呼吸法」です。

 筆者金澤は「喜びとやすらぎの呼吸法」と題しました。

 自身に何かを取り入れること、例えば食べることって、喜びですよね。

 そして出すこと=排泄は、やすらぎをもたらします。

 呼吸も同じです。

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 「呼吸」、これはなかなか奥の深いテーマでして、単に息を吐いたり吸ったりする生理機能にかかわることだけを指すのではありません。

 神道や禅、ヨーガをはじめ、世界各地で呼吸の重要性が説かれていることは皆さん既にご存知だと思います。

 

 ”息が合う”とは、こころや気持ちが通じ合ってひとつになることを表現していますし、”阿吽の呼吸”とは、気の交流によって互いの意識や行動がぴたりと噛み合う状態を表現しています。

 

 また、黄帝内経・素問では<患者のために息を平らかとし、医は病まず>という言葉があります。

 「息を平らかにする」とは、精神的にも肉体的にも穏やかで万全の状態になること。そして人を癒す医療者は、健康でなくてはならないと言っています。

 

 

 今回は、治療者自身のために、以下の二つの方法を取り上げました。

① 膈を開く呼吸法

 東洋医学における「膈」とは、

 消化器官が無い清らかな部分(上焦)と、食べたものを消化したり排泄したりする、清濁入り混じった部分(中焦・下焦)の仕切り板のようなもの。さらに、清らかなものしか通さないフィルターのような機能を兼ね備えたもの。

 と、説明できます。

 ゆえに、何らかの要因によってフィルターの目詰まりを起こしてしまう場合があります。

 この呼吸法は、膈を開いて気血の通りをスムーズにする目的で行います。

 

② 丹田に「気」を落とし込む呼吸法

 永松副代表による身体学においては基本中の基本になりますが、「臍下丹田」に気を納めること。それに特化した方法です。

 古神道やヨーガ、道教的にも用いられていますが、それらをさらに簡素化して、いつでも、どこでも、誰にでも行えるようにしました。

 

 

 普段ほとんど無意識的に行われている「呼吸」に意識的になることで、今 現在の自分の状態に気づくことが出来ます。

 自分自身の手を、胸や腹に当てて呼吸をしてみるだけでも何かが感じられると思います。

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 また相手の身体に触れながら呼吸を観察していますと、相手の「気の重心」がどこに偏っているのかを知ることが出来ます。

 さらに、経験を積めば身体の状態や精神状態までも読み取れるようになります。

 

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 呼吸法を行う前に、顔面の気色や脉、腹部の状態をあらかじめ観察しておき、後に再度観察すると、皆さんもれなく気血の通りが良くなっていることが確認できました。

 

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 そして最後に、呼吸に意識を向けながらの瞑想(呼吸瞑想)をみんなで行いました。

 ポイントは、呼気と吸気がそれぞれ切り替わる瞬間です。

 課題は、「私は誰か?」です。

 理屈ではなく、感覚で。

 終了後には参加者全員の感想をシェアし合いました。

  • 自分の心の中の雑念の多さに気がついた。
  • 何かが身体の上に抜けて行きたがってると感じた。

 など、ご自身と向き合って得られた気づきが寄せられました。

 中には、自分がこれまで持っていた「神」という概念が、ガラリと変わったとおっしゃる方もいらっしゃいました。

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 参加者のみなさまのこころとからだに、今後どのような変化が訪れるのかが、とても楽しみです。

 

 そして午後からは、臨床実技です。

 今回は、めずらしく稻垣座長がモデルとなりました。治療は学生の稲垣さんが担当しました。f:id:ichinokai-kanazawa:20181217105811j:plain

 

 金澤は、顔・舌・脈・お腹→背中と切して、もう一度仰向けになってもらい・・・とやっているうちに、もうすでに鍼が必要のない状態にまで良くなっている事があります。

 治療は、鍼灸だけで行うとは限りません。

 本当に上手に触れて差し上げると、ただそれだけでも「気」は本来あるべき方向へと動き出します。

 今回、鍼をしなくても、膝の痛みが無くなった方もいらっしゃいました。

 四診の過程においてすでに治療は進行しており、実際に鍼するときには、「効くべくして効く状態」に持って行くのが理想的です。

 これは「鍼道 一の会」の鍼の流儀でもあると、筆者金澤は感じています。

 

 今回は2018年最後の講座でした。

 今年一年の締めくくりとして、金澤、永松、稻垣の3人がそろって、それぞれの思いを語らせて頂きました。

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 以下、「鍼道 一の会」年会員用サイトで述べましたことをシェアします。

 

 鳥たちの群れは、まるでひとつの生き物のように姿を変えながら飛びます。

 群れの先頭は、その時々で入れ替わります。

 群れは「個」の集まりですが、彼らは「俺が!私が!」と先頭を争うようなことはしません。

 個として存在していても、それぞれが繋がっていて、それぞれの「ぶんざい」を意識することもなく調和の世界が保たれています。

 

 古代の人間社会も同じだったと思うのです。

 統(す)べる命=皇(すめら)が命は、「おれがおれが」ではなく、自然とそうなる役割のものが長になっていたと思うのです。

 長は長で、下々のものがあっての自分と言う事をわきまえていたので、政(まつりごと)は誰もが納得するものであったのだろうと思います。

 我々の身体に置き換えると、足の指一本でもかけがえなく大切ですよね。

 そんな感覚だったと思うのです。

 時代が下ると、様々な知識や技術が入ってきます。

 それにつれて次第に我欲も強まってきたのでしょう、おそらく。

  そして個々のつながりである霊性も薄れ、自らの「ぶんざい」も感じられなくなり、次第に争いごとが増えていたのではないでしょうか。

 現在の我々の社会も、争いごとが絶えませんね。

 並行して、病も複雑化、増加の一方です。

 このような現代であるからこそ、人が自分の霊性に目覚める”宗教医学”としての鍼灸の重要性が高まっていると、金澤は個人的に感じています。

 現世利益的な医療も必要かもしれません。

 ですがそれよりも、病的な状態から抜け出す過程において、治療者にも患者にも 共に霊的成長が訪れる、そのような関係性こそが何よりも大切だと感じています。


 ご参加くださいました皆様、長時間お疲れさまでした。でも、楽しかったですね。

 会場をお貸しくださいました 大阪医療技術学園専門学校 関係者の皆様、本日もありがとうございました。

 

 そして2018年、お世話になりました皆さま、本当にありがとうございました。

 2019年が皆様にとって素晴らしいものとなりますよう、お祈り申し上げます。

 

 長文になりましたが、最後までお読みくださりありがとうございます。

 

「鍼道 一の会」代表 金澤秀光

 

  (次回基礎医学講座は 2019年1月13日、臨床医学講座は1月27日です。)

 

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