ブログ『鍼道 一の会』

『鍼道 一の会』は、「福祉への貢献」を目的に、「伝統医学」を規範に、「鍼灸」を手段に、「大阪市」を本拠地に据え、活動を続けている団体です。(当ブログ内の一切の著作権は一の会に在ります。流用される方はご一報ください。)

四季と人体(7)五節句ー七夕の節句

      

 

 今回のテーマは7月7日、「七夕の節句」についてお話させていただきました。

 

 「七夕」とは、その言葉の通り、「7月7日の夕方」のことを指します。

 別名、七夕祭、星祭とも呼ばれています。

 もともとは「シチセキ」と発音していたそうですが、「棚機(たなばた)」の風習と重なり、「たなばた」と発音するようになったと言われております。

 

 古来の七夕は秋の季語。

 旧暦の7月7日は、2021年(令和3年)の8月14日、24節気に当てはめますと、立秋と処暑の間。

 7月の別名、文月の語源は、七夕の短冊に願いを書いたところから、文をしたためる月と言われるようになったとの説があります。

 

 この頃の外気と身体のベクトルのおさらいです。

 

【夏】

 成長化収蔵の「長」外へ外へと陽気が発散するイメージ、外界で強まる陽気の影響を受け、身体の上下のベクトルもまた、上へと登りやすくなるイメージです。

 

【秋】

 農作物が収穫されていく季節。身体のベクトルは内向きに。収斂、引き締まるイメージです。

 外気が内向きになり、ベクトルも全体に下向きとなります。

 

 このような季節の節目に、昔の人々は、どのように過ごしていたのでしょうか。

 季節の行事にそのヒントは隠れています。

 

 現在行われている七夕のお節句、大きくわけると、3つの行事が1つになったものと言われています。

 

1つは、中国の「牽牛星(けんぎゅうせい)と・織女星(しょくじょせい)の星祭の伝説」

2つめは、そこから派生した中国・唐代の「乞巧奠(きこうでん)」

3つめは、日本在来の「棚機(たなばた)姫信仰」の3つのお祭りが集合した形といわれています。  (「陰陽五行説」)

 はじめのふたつが中国から伝わり、3つめの日本在来の信仰と交わった形になります。

 

 牽牛と織女のお祭りはみなさんもご存知だと思います。

 年に一度、彦星と織姫が天の川を挟んでに出会うという伝説です。

 

 乞巧奠の風習はこの伝説の織姫にあやかって派生したもので。7月7日の晩にお供えものをして、星を祭り、裁縫や習字、詩歌の上達を願う行事です。

 こちらは中国の唐代、玄宗皇帝・楊貴妃の時代にはじまったと言われています。

 乞巧奠の「乞」は「願う」、「巧」は「巧みに上達する」、「奠」は「まつる」、という意味で、織姫にあやかって、機織りや裁縫、習字や芸事の上達を星に祈る行事だったといわれています。

 

 この2つの行事が、日本にもとからあった、「棚機(たなばた)つ女(め)」の伝説と結びつき、奈良時代に宮廷や貴族に広まり、のちに庶民の行事として広がっていきました。

 

 棚機(たなばた)姫信仰とは年神を迎えるため、水辺にはたを織る小屋をつくり、巫女さんが機(はた)を織り、村の穢をはらい、その年の豊作を祈るという、水による禊の行事でした。7日7日は水に関する行事が多いのも特徴です。

 「穢」ケガレをはらう。邪を取り除くことで心身を清めることを意味する行事だったのですね。

(ケガレは「気が枯れる」の意、という説もあります。)

 これが、時期的に、お盆の前にケガレを祓うという、という先祖祭りともつながっていきました。

 

 七夕の飾りにも色々と意味がありますので、動画で説明させていただきました。

 

 中国では、乞巧奠に、豆、スイカ、うり、豆からつくられる月餅などを食べていたとの記録があります。また、小麦に米粉をくさえて作った、索餅というものをお供えに使っていたそうです。

 これが鎌倉時代に日本に伝わり、宮中では、索餅(さくぺい、さくべい、むぎなわ)を献上すると、熱病をもたらす鬼や厄災を退け、1年間無病息災で過ごせるという儀式となったそうです。

熱病をもたらす鬼…邪気、暑邪とか熱邪といったものでしょうか。

 そこには、例えば「瘧(おこり)」という病気が含まれていました。それが、広義に、外邪全般を指すようになったというところかもしれません。

 

 この索餅、「糸まきからはずした糸」のイメージだそうで、これが転じて、素麺を献上する儀式となりました。

 索餅と同じ、小麦を使った素麺を「糸」に見立て、宮中では、孝謙天皇の頃(755年)から始められたそうです。

 その際、7本の針に、陰陽五行説の五色(ごしき)青・赤・きいろ、白、黒の糸を通して、針仕事の向上を願いました。

 他には、ほおずきの根「酸漿根(さんしょうこん)」を煎じて飲む風習などもあったようです。

 

 さて、【7~8月の養生】についてです。

 

 まずは、いつもどおり、避けるべき邪気について検証してみましょう。

 夏まっさかりということで、他の季節と比べると圧倒的に、暑邪・熱邪の影響が高まることが考えられます。汗をたくさんかきますので、発汗過多から、陰血不足。

 気虚傾向になる方は衛気不足で、外邪に対する防御力が全体的に落ちているかもしれません。

 熱がこもりやすい体質の方は内熱傾向が顕著になることが考えられます。

 残暑の場合は、これに気温変化や、乾燥の影響を考えます。

 

 現代の事情を考えますと、冷たい飲み物や、アイスクリームなどの影響による寒邪、湿邪の影響。

クーラーの影響による、風邪・寒邪の影響も考慮した方がよいかもしれません。

 

 外は猛暑で、腠理(そうり)が開き、汗をたっぷりかいて、お留守になった体表にクーラの風寒邪が悪さをして体調を崩すなど、季節の影響に加えて、いまの暮らしに寄り添う養生を考える必要がありそうです。もちろん患者さんが元からもっている体質にも左右されます。

 

 お天気としては、台風の影響が考えられます。風・湿・熱邪。気機の乱れによる体調不良も考えられます。順風は夏~秋ですので、南から西の風、台風は逆風になります。

 

 これらを踏まえまして、養生のテーマは清熱・利水・気虚陰虚の回復、としてみました。

 

 熱や湿気がこもらない衣類や履物を選ぶ。

 クーラーや冷たい食べ物や飲み物をなるべく避ける。

 消化のよいものを選び、脾胃をいたわり、水はけをよくする。

 身体にこもった熱や湿気を出してくれる食べ物(スイカ、胡瓜など旬のもの)を選ぶ。

 夜はしっかりと寝て気血を養う。   

 

 私の思いついた養生は、基本的には、あまり昔のひとと変わらない感じになりました。

 みなさんならどう対処なさいますか? またお聞かせくだされば嬉しくぞんじます。

 

※ 「瘧」については、勉強会中に、稻垣先生が補足を加えてくださいました。

以下、資料からまとめなおしたものになります。

 

【瘧(おこり・ぎゃく)】

①《隔日また周期的に起こる》間欠的に発熱し、悪寒(おかん)や震えを発する病気。主にマラリアの一種、三日熱をさした。えやみ。わらわやみ。瘧(ぎゃく)。《季 夏》1)

② 現存する日本最古の医書『医心方(いしんぽう)』では「わらはやみ」の和名がつけられている。童病」の意。2)3)

 

【参考】

1) デジタル大辞林

2)『日本国語大辞典 第13巻 第2版』小学館国語辞典編集部編集 小学館 2002

3)『医心方 巻14 蘇生・傷寒篇』丹波康頼撰 槇佐知子全訳精解 筑摩書房 1998

 

【文責 川村 淳子】

四季と人体(6)五節句ー端午の節句

 

  

 

              【文責 川村 淳子】

 

 今回のテーマは5月5日、「端午の節句」についてです。 

 「端午の節句」の起源は「端午節」という、中国の行事です。

 端午という文字を分解してみますと「端」=「端っこ」=「端め(初め)」、そして「午」=十二支の「午(うま)」を意味します。

 また、「午」は数字の「5」とも同じ発音です。

 つまり「端午」とは、もともと「月のはじめの午(うま)の日」のことで、古くは5月以外の月の5日にも使われていたそうです。

 陰陽思想の「陽」である奇数が重なった日を選び、陽が陰に転じることを避ける「避邪」の思想が加わり、季節の変わり目に旬の植物から生命力をいただき、邪気を祓うという「節句」の行事が行われるようになった、というところは他の節句と同じ流れになります。

 

 古来中国ではこの日に菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)などの薬草を摘んだり、蓬で作った人形(ヒトガタ)や飾りを家や門に飾る風習があったようです。

 また、菖蒲湯や菖蒲酒を飲んで邪気を祓い、季節の変わり目の体調不良に備えていました。

 

 この風習が平安の頃、日本に伝わり、貴族から民間に浸透していきました。

 これが日本にもともとあった「さつき忌み」という行事と結びついたものが、日本の端午の節句の原型といわれています。

 「さつき忌み」という行事は、田植えの際に早乙女(きよらかな若い女性)が心身を清める行事です。

 いまは「こどもの日」「男の子の節句」という印象が強い「端午の節句」ですが、当時はさまざまな意味や養生のための知恵が重ねられた行事であったことが伺えます。

 

 この季節の具体的な養生のポイントとしては、「夏バテ対策(これから季節的に暑くなる)」「食中毒の危険」「梅雨」「田植えに備える(多忙期の前に)」というところでしょうか。

 

 旧暦ではこの季節は梅雨の時期にあたります。

 「梅雨入り」による外湿の影響による体調変化は見逃せません。

 

 また、「五月晴れ」は、もともと6月(陰暦の5月)の梅雨の合間の晴れ間をさす言葉でした。

 昼は気温が上がり暑邪の影響、朝・晩は冷え込み、逆に寒邪の影響が懸念されます。

 

 日本の梅雨はとにかく湿度が高いことが特徴です。

 外湿の影響により、内湿が盛んになると、湿気が苦手な脾の作用が低下します。

 当時の風習、この季節の飲食を調べておりますと、「健脾化湿」のワードが浮上いたします。

 古来の人たちが、田畑の世話が忙しくなる季節の前に、養生に工夫をこらしていたことが読み取れるのではないでしょうか。

                           

              【文責 金澤 秀光】

 

 筆者がブログ「鍼灸医学の懐」で手掛けている著者・原南陽の「叢桂亭医事小言 巻之二」<傷寒>でも、五節句本来の意味合いが語られています。

 節句の行事は、疫病をはじめとする様々な災いを避けようとする当時の人々の思いが込められたものだったのですね。

 当時の人々が行っていたこれら行事は、現代人の目には迷信のように映るかもしれません。

 内経医学においては、病は鬼神によるものでは無いことを前提に説かれた医学であると筆者は理解しています。

 このあたりのことは、「鍼灸医学の懐」<素問・移精變氣論篇第十三>に目を通していただければ、おおよそのことは理解していただけるのではないかと思います。

 ただ我々があえて『四季と人体』というテーマを取り上げ、語りたいことのひとつに、当時の人々が自然と関わるそのまなざしです。

 自然観はすなわち、人体観であるからです。

 内経医学で説かれていることをしっかりと理解し、臨床で用いるにはこの自然観・人体観が軸となります。

 当時の人々の生活と意識は、人間を取り巻く様々な目に見えるもの・見えないものとのつながりを肌感覚で感じながらのものであったであろうと想像しています。

 我々現代人は、科学的な認識手段を手に入れています。

 またこの医学においても、中医学という論理性の高い認識手段を手にしています。

 それらを学ぶ過程で、論理ではとらえることのできない大切なことを、知らず知らずに手離してしまっているのかもしれません。

 いや、忘れ去っているのかもしれません。

 そのような思いを抱きつつ、古代の人々の思いや大切な感性を自らの中に再発見しながら本来の人間性を取り戻し、臨床に役立てていこうとする試みでもあります。

 

12月6日 鍼道 一の会 基礎医学講座 リモート講義

『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。

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経絡学 事始め

  

 

 

 この動画の内容は、五月にリモートで行いました第1回、一の会 基礎医学講座の内容の一部を再録したものです。

 今期講座の開始に際しまして、稻垣座長が「一の会」の今後の取り組み、目指している指針を明確に語っています。

 我々は古典に立脚し古典を踏まえながらも、いくつかの固定化した概念にあえて疑問を投じ、仮説を立てながら臨床で仮説を立証していく立場を取っています。

 まさしく、アップデートする鍼灸医学。

 

 また鍼灸学校で習う東洋医学概論や近年広く流布している唯物論的な中医学に対しては、平面的ではなく立体的な内容にしながら、日本医学に書き換える必要があるとまで考えています。

 また鍼灸家にとっての根幹である「経絡」においても、<気血流れる経絡>や<気血の流れの方向性>など、固定化された概念に対してアンチテーゼを行っています。

 奇経八脈においてもしかりです。

 この点に関しては、稻垣・江見の両先生が明確に語っておりますので、ぜひご覧頂ければと思います。

 また経筋と経脈との矛盾なき論理的整合性を決着させる必要があります。

 なぜならば、流注の流れが真逆であるからです。

 さらにまた、正経と井熒兪經合の五兪穴の流れもまた逆です。

 

 十二経脈と奇経八脈との関連と位置づけと意味づけ。

 

 ざっと列記しただけでも、今後の鍼灸臨床家の持つ未解決の課題は山積みです。

 これらの課題が克服・整理され、臨床家の胸の内にしっくりと来るようになれば、理論に裏打ちされた臨床技術は飛躍的に向上するであろうと期待しております。

 歴史的な流れを追いながら、我々はより実践的で効果的な鍼灸医学の向上を目指して、今期も日々臨床を通じて実践しながら、講義を行っています。

 

 東洋医学の基礎から、もう一度学びたい

 

 本格的に東洋医学を学びたい

 

 自信をもって治療を行いたい

 

 そのような思いをお持ちの方々、どうぞご連絡ください。

 

 

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肝の臓象ー結語

 中医学では、肝気鬱結という概念があるが、そもそも肝の臓は鬱するのが肝の仕事である。

 なぜならば、昇発するためには一旦溜める=鬱することが必要であるからである。

 天人相応的に考えると、腎陽によって蒸された気が立ち上るのはいわば自然なことで、発するためには鬱する必要があるのは当然の理である。

 肝の臓象は葉に象られているが、肺の臓も同様に葉に象られている。

 葉は、風によって揺れ動く。

 いわば、受動的な臓腑である。

 肝と肺の臓腑をイメージの中で実際に動かしてみると、真逆になることがわかる。

 つまり

 呼気時=肺葉閉(肺宣散)ー肝葉開(肝昇発)

 吸気時=肺葉開(肺欝)ー肝葉閉(肝鬱) となる。

 これらのことから、肝気鬱結とは、肝の臓ひとりの仕業ではなく、肺の臓との関係性の中で生じる現象であることが分かる。

 さらに、これらを統べているのは君主之官たる心の臓である。

 こころの平穏、やすらかな呼吸が、気の通暢に重要なことは、万人の経験するところだと思う。

 このように関係性を広げていけば、肝気鬱結というひとつの現象にも様々な原因があり、対処法もまた大衝穴や肝兪穴に鍼をすれば解決するといった、単純なことでは済まないことが理解されると思う。

 このことは、他臓についても同じことが言える。

 このように多岐にわたる複雑な関係性の中から、問題解決となる1点に焦点を合わせるには、まずは臓象学をイメージとして意識になじませて実際に動かし、人体内でうごめいてる気・血・水の異常を様々な認識手段を用いてとらえて一鍼を下すのが肝要となってくる。 

【概要】

 「干」は、象形文字で方形の盾であり、「ふせぐ」「おかす、みだす」の意味である。肝は将軍の官であり、防衛機能の中心的機能があり、その性質は剛猛である。

 衛気は気の防衛機能を指した用語であるが、衛気の防衛機能は、腎陽を元に、水穀の精微と脾腎の気によって生成され、肝の昇発作用によって肺に達し、肝の疏泄作用によって宣散され全うされる。

 また肝は肺と同様、葉に象られていることより、肝以下の臓腑の影響を受けて機能することが理解される。

 また臨床上よくみられる外感病に際しては、気滞表証を意識して弁証する必要がある。

 心神は表の意識、肝魂は裏の意識で、魄肺の呼吸機能は意識・無意識の両面性を持ち合わせており、肺は意識・無意識の枢であるとも考えられる。

   

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 肝者.罷極之本.魂之居也.<素問・六節蔵象論篇>

 罷とは、疲れてやる気がなくなることを意味し、罷極とは、疲れ切って弛緩した状態を指す。

 肝は、緊張と弛緩という陰陽転化の働きの根源であり、潜在意識・無意識である魂の居すところである。

【位置】

 九椎下 筋縮

 

【形状と臓象】

 臓象図では、肝葉は左三葉、右四葉として描かれており、左右が不均衡であるがゆえに、精汁を蔵した胆の腑が均衡を維持するうえで重要となるのである。

 また肝葉は肺葉に比べて肉厚であることから蔵血を連想することができ、さらに左が三葉であることから血虚は左に現れやすく、昇発の力も右に比べて劣ることが分かる。 これは、命門学説※と符合する。臨床においても、肝鬱気滞の初期の反応は、左不容~章門、左天枢に実の反応が現れやすく、絶対ではないが肝血虚は左肝兪、左太衝に虚の反応を生じやすい傾向にある。

 

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 一方、肺は、左右四枚均等であることから、肺は左右均等に宣散・粛降を行い、肝が左右・上下・内外の気機を調節し、胆が錘となって左右の不均衡の幅が一定限度を超えないように制御している。

 肺も肝もともに葉に象られており、ともにその時々の状況変化に応じて自在に機能することを象っている。

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※ <難経・三十六難>「腎両者、非皆腎也、其左為腎、右為命門」

 

a.  震・雷  f:id:ichinokai-kanazawa:20201110151703j:plain  巽・風 f:id:ichinokai-kanazawa:20201110151734j:plain

 震・雷の卦は、一陽が上から降りて来て雷、一陽が上に抜けようとする震とも解される。肝に象れば、昇発の気に合致する。

 また巽・風の卦は、上の二陽が一陰を運ぶ姿になり、肝が脾気の清陽の気を上焦に昇らせる象と解することも出来る。

 

【五行属性】

1.五方・東、五季・春 五能・生

 肝は五方・東、五季・春であり、一日では夜明けから日の出時の朝に相当する。いずれも陰気が退き、陽気が盛んになり始める時期である。人体においても、五能・生の作用で、衛気が上焦に上ることで朝の目覚めが訪れる。

 

2、五竅・目 五液・涙

 目は肝血を受けて視ることができる。肝の経絡は、頏顙(こうそう=口蓋垂)から目の裏に流注しており、手少陰流注もまた咽から目の裏に至って足厥陰と交会している。

 五労においては、「久しく見ると心を傷る」とされており、目は心肝が主に主っている。

 涙は、肝の主る津液であり、涙は目を潤す働きの他、目に熱を帯びた場合、冷却の働きがある。

 七情が高ぶると、肝の昇発作用により津液が持ち上げられ、心神が緩むことで涙があふれることとなる。

 

3、五志・怒

 怒りは、急激な昇発作用を引き起こすので、上逆症状を引き起こしやすい。昇発するためには、一旦気を溜め込むことが必要である。その際、期門穴で肺気によって気滞を生じさせる。この気滞の程度と邪気の種類によっては、重篤な疾患を引き起こす。

 

4.五味・酸 五能・生

 酸味は収斂作用があり、五能・生とは陰陽関係にある。酸味である芍薬などは、陰血を五臓六腑に収斂させる作用があるので、芍薬甘草湯など養血柔肝に用いられる。

 

5、五労・久歩傷肝

 腎気によって立位が可能になれば、肝が左右交互に気血を巡らすことで歩行が可能になる。その際、胆の腑がバランスを調整する。久しく歩けば肝血が障害され、過度になると腎精にまでその累が及ぶこととなる。

 

6、五主・筋 五神・魂

 筋とは、竹が腱、月は肉の形、力は力こぶの形を表す会意文字である。肉づきの肥痩は、脾の状態を現すが、その動きの機能面に定位すると筋の概念となる。

 五神・魂は、心神・肺魄によって意識的に学習・経験したことを潜在意識に落とし込み、自動的に機能する働きがある。主に日中は心神が旺じ、夜間は肝魂が旺じ、互いに陰陽消長関係にある。

 

【主な経穴】

・募穴・・・期門 肝により上昇して来た気は、一旦この部で肺気によって抑えられ蓄えられて発する。

・原穴・・・太衝

・絡穴・・・蠡溝

・郄穴・・・中都

・背兪・・・肝兪 九椎下 筋縮穴

 

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胆の臓象

 胆の生理機能は臨床上、非常に重要であるにも関わらず、中医学的解釈は極めて西洋医学的であり、鍼を握るものにとっては、あまりにも心もとない薄っぺらな内容である。

 一の会では、気機を主る中心的な臓腑としては、肝の臓よりもむしろ胆の腑を重要視している。

 胆の腑の臓象図は下図にあるように、あまりにも簡素に過ぎるが、その簡素さゆえに自由な発想とイメージがしやすいという面もある。

 胆の腑の生理機能と、足少陽胆経の流注・傷寒六経=少陽病位を重ねて眺めて観る。

 またさらに開・合・枢理論の枢を意識して重ねて眺めて観る。

 胆募穴=日月は昼夜・陰陽であり、京門は腎の募穴である。さらに足臨泣は、帯脉の主冶穴である。

 これらはいったい何を物語っているのか。

 また <素問・陰陽応象大論>では、「左右は陰陽の道路である」と記されている。

 益々以て、意味深長である。

 ざっと書き連ねてみたが、胆の腑の意味するところは、紙面では書き切れない広さと奥深さがある。

 

【概要】

 膽は、「月(からだ)+詹(=儋 担いがめ)」の会意形声で、胆汁を入れた担(にいな)いがめのことである。肝胆は互いに相照らしあいながら、身体の左右上下の気機の調節をする。

 胆は奇恒の腑(脳・髄・骨・脉、子宮)のひとつであり、腑は「寫而不蔵」であるが、胆は「蔵而不寫」である。<素問・五蔵別論11>

 このことから、いわゆる胆嚢の精汁は中医学のいうところの消化のためではなく、一定の重さを維持して左右の調節をし、大きく左右に振れにくくするためである。

 また、「胆は中正の官、決断焉より出ず。」<素問・霊蘭秘典論八>で記されている「決断」とは、単に精神的なことだけでなく、肉体の生理機能にまで範囲を広げて理解すると、より臨床像が明確になる。

 肺葉の動きは心の蔵が軸となり、肝葉の動きは胆が軸となって決断をし、腎に支えられた胆は、枢軸の機能がぶれないようにしっかりと保持する。

 精神的には心胆は「きもだま」と訓読みし、肝(きも)っ玉が太いとは細かいことにとらわれず、物事に動じずどっしりとした人物を形容する場合に用いられる。

 一方、心肺は、一時も留まること無く揺れ動いているが、腎と胆は心神の安定になる錘(おもり)の役目をする。

 さらにまた昇降出入左右など、気機の切り替わるタイミングは、胆がこれを行う。

<素問・六節臓象論>「凡そ十一臓、決を胆に取るなり」※参考資料あり。

 また胆の腑に貯蔵されている精汁は、肝腎の精によるものであり、加齢によって肝腎の精血が低下すると、胆の生理機能も衰え、身体平衡機能の低下や心神が不安定になりやすくなる。

【位置】

 十椎下 中枢穴 文字通り、中焦の枢である。

 

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【形状と臓象】

 胆の臓象図(肝の臓象を参照)からは、肝葉に包まれるように下にぶら下がっていることから振子が連想され、その時々に応じて左右前後に揺れながらバランスを保つ機能を現している。

 

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【主な経穴】

・募穴・・・日月

・原穴・・・丘墟

・絡穴・・・光明 文字通り、目の疾患(心・肝)に有効。

・郄穴・・・外丘

・背兪・・・胆兪 十椎下 中枢穴

 

※参考資料 素問・六節蔵象論

 

心者.生之本.神之變也.

其華在面.其充在血脉.爲陽中之太陽.通於夏氣.

心なる者は、生の本、神の變なり。

其の華は面に在り、其の充は血脉に在りて、陽中の少陰(太陽)と爲す。夏氣に通ず。

 

肺者.氣之本.魄之處也.

其華在毛.其充在皮.爲陽中之少陰(太陰).通於秋氣.

肺なる者は、氣の本、魄の處なり。

其の華は毛に在り。其の充は皮に在りて、陽中の太陰を爲す。秋氣に通ず。

 

腎者.主蟄封藏之本.精之處也.

其華在髮.其充在骨.爲陰中之太陰(少陰).通於冬氣.

腎なる者は蟄を主り、封藏の本、精の處なり。

其の華は髮に在り。其の充は骨に在りて、陰中の太陰(少陰)と爲す。冬氣に通ず。

 

肝者.罷極之本.魂之居也.

其華在爪.其充在筋.以生血氣.其味酸.其色蒼.此爲陰中(陽中)之少陽.通於春氣.

肝なる者は、罷極の本、魂の居なり。

其の華は爪に在り、其の充は筋に在り、以て血氣を生ず。其の味は酸、其の色は蒼、此れ陰中(陽中)の少陽と爲す。春氣に通ず。

 

脾胃大腸小腸三焦膀胱者.倉廩之本.營之居也.名曰器.能化糟粕.轉味而入出者也.

其華在脣四白.其充在肌.其味甘.其色黄.此至陰之類.通於土氣.

凡十一藏.取決於膽也.

脾胃大腸小腸三焦膀胱なる者は、倉廩の本、營の居なり。名づけて器と曰く。能く糟粕を化し、味を轉じて出入する者なり。

其の華は脣四白に在り。其の充は肌に在り。其の味は甘、其の色は黄、此れ至陰の類なりて、土氣に通ず。

凡そ十一藏、決を膽に取るなり。

 

 

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四季と人体(5) 五節句ー弥生の節句

  

 

 今回は3月3日、弥生の節句について川村淳子先生が、内経医学の自然と人間との関りという視点から講義してくださいました。

 3月3日といえば、女の子のお祭り・ひな祭りがピンと来られる方も多いと思います。

 元々は紀元前300年頃、中国で行われていた「上巳節(じょうしせつ)」が起源だそうで、これが遣唐使によって日本にもたらされ、元々日本にあった「祓いの神事」と結びついたのだそうです。

 祓いの神事には、皆様もご存じのように草・藁・紙を用いた人形を身体にこすりつけて厄を祓うということが行われていました。

 これが起源となって現在のお雛祭りへと発展していったのだそうです。
 このお雛様、男女が座る場所は左右のどちらなのか。

 ここから陰陽論、そして黄帝内経・素問の四気調神大論生気通天論の世界とオーバーラップしてきます。

 男女は南を向いて座る訳ですが、太陽の昇る東が陽で男性が座り、太陽が沈む西に女性が座ります。

 西洋はなぜかこの逆で、近代においては来賓国事の関係から西洋式に男女が座るようになったそうです。

 またこの弥生の節句の時期に吹く春一番は、強い東南からの風で急激な気温上昇となります。(順風)

 そしてその後に、北西から吹いてくる寒のもどりによって急激に気温が下がります。(逆風)

 このような急激な気温変化で体調を崩す人が多かったのでしょう。食べ物にもいろんな意味合いと工夫がされていたようです。

 東洋医学的にも、気の浮沈に従って動く邪気ですね。これは冬の間に潜んでいたものが表に出てくるのですね。

 現代病である花粉症や、春に悪化する喘息やアトピー性皮膚炎などは、この自然界の気候変化と密接な関係があります。

 この講義では、楽しみながら一般教養の内容を学びつつ、内経医学の病理観も学べるという、一石二鳥となるものでした。

 

 第六回 基礎医学講座 リモート講義

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腎の臓象

 基礎医学講座で、臓象学を講義している江見先生のイメージでは、腎の臓はダンベルが想起されるという。

 一身の重心が丹田であることを思えば、至極当然なのであるが筆者はやはり三才の大地がイメージされる。

 そして腎の陰陽の消長を考えるときに、天の気との関係性が重要となって来る。

 それはとりもなおさず、保腎の養生には、天の気が鍵となるということでもある。

 <素問・陰陽応象大論>では、腎の陰陽の消長を七損八益として記されている。

  この七損八益は、すでに<素問・上古天真論>で述べられており、それに先立ち以下のように記されている。

 『恬惔虚無.眞氣從之.精神内守.病安從來.』
 <恬惔虚無(てんたんきょむ)なれば眞氣これに従い、精神は内を守り、病いずくんぞ従い来たらんや。>

 心神の、あるべき在り様を述べてます。

 腎の臓は、心神によって健全に営まれると解釈して運用することができます。

  後述文中の「神主学説」の根拠となるところです。

 これを具体的に臨床で生かしてまいります。

 

【概要】

 臤(けん)の臣は、上を見ている目の形。又(ゆう=手の形)は、上目づかいの瞳に手を入れる形で、神のしもべとすべく眼精を傷つけ視力を失わすことを現している。(形成文字)

 腎は、人体の下焦に位置して一身の元気の源でありながら、上焦の心肺のしもべとして上焦・中焦を支えている沈黙の臓である。

 また腎は人の生長壮老死に深く関わることから、中国養生学では保腎を非常に重要視している。一方、保腎の為には、腎精をいかに保つかという点において、飲食・房事の節制と心神を穏やかに保つことが説かれている。(陰陽平衡)

 これらは、先天の元気‐腎、後天の元気‐肺脾、これら肺脾腎の機能は結局のところ心神が主っていると考えるのが、一の会で提唱している「神主学説」である。

 また保腎を目的とした身体感覚に意識的になることを提唱したのが「一の道術」身体学である。「神主学説」と「一の道術」は、陰陽・表裏関係である。

【位置】

第二腰椎下 命門穴

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【形状と臓象】

 腎は、生命がまさにこれから芽生えようとする、左右二個の豆・卵に象られ、中央は命門穴である。現代的には、蓄電池が連想される。

 また、上焦・中焦には、葉に象られた肺と肝の臓象図があるが下焦には無い。このことは、葉は受動的でありその時々に応じて揺れ動くものであるが、腎の臓象図は膀胱腑も含め、錘のようにどっしりと安定している。

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「腎者.作強之官.伎巧出焉.」<素問・霊蘭秘典論八>

 腎は、国全体がシャキンとする力強さの根源となる役割を担い、他の官に根気と粘り強さが維持できる力を与える役割を説いている。

 心神が細かい技術を根気よく続けようとする場合、この腎が下焦から支えることによって巧みな技が可能になるのである。逆から見ると、細かい作業に根をつめ過ぎると、腎を傷ることになる。

 

a.坎・水 f:id:ichinokai-kanazawa:20201003063103j:plain

 象卦は辛苦に対する意思。上下の陰が中の陽を挟むことから、全てを潤す水と解することもでき、また陰中の陽があるから水は移動することもできると解することも出来る。

 坎は、浅い井戸の意味があり、卦をみると二陰一陽であるため、寒気によって陽気が損なわれやすく、陰気が溢れると浮腫を生じることが解される。

 

 

 

【五行属性】

1. 五方・北、五季・冬 五能・蔵

 腎は五方・北で五季・冬であり、一日では暗黒の陰気が支配する夜に相当する。

 夜間における人体は、五能・蔵の作用で、神明は暗くなり、衛気もまた体内に蔵するようになり、深く弛緩して腎陽・腎精共に体内に潜み養われる。

 したがって、陽気の強い子供や内熱の盛んな者は、夜に熱盛の病変を発症しやすく、また腎陽の衰退しているものは、夜明け前の最も気温の低い時間帯に下痢を起こしやすい。(鶏鳴下痢)

 

2. 五竅・耳 五液・唾

 五竅・耳は、腎精を基にした納気作用によって腎の竅(きょう)である耳が開いてよく音を聞くことができる。加齢によって腎精が虚衰すると、上実下虚となり、次第に腎竅は閉じて難聴となる。 

 唾とは意識的に吐くことのできる水液で、腎の蒸騰作用によって生じる。

 

3. 五志・恐

 古代、神に対しておそれ、かしこまることを恐とし、全身の気が下焦に聚る。恐れが過度になると気が上半身に浮いてしまい、下焦の気が虚となって、腰が抜けたり失禁などを起こす。

 

4. 五味・鹹 五能・蔵

 鹹味とは、いわゆる塩味で、野菜を塩もみすると、水が出て柔らかくなるように、堅く結んだ積聚などを柔らかくし、しかも水液と一緒に下に降ろす作用がある。緩下剤に用いられる芒消は、陽明腑実などの堅く結集した腹部の積聚などに用いられ、牡蛎は頚部リンパ腫やガングリオンなどのしこりなどを解くのに用いられる。

 

5. 五労・久立傷腎

 立つためには、肝気を昇発させ清陽が昇る必要がある。また座位から立位への移動は、気の方向は下から上であることから、久しく立てば上実下虚となって腎気が疲弊し、また津液は次第に下って腎陽を阻むようになるため腎が障害されるのである。

 

6. 五主・骨 五神・志

 骨とは、象形文字では肉付きの骨を意味し、骨は身体の最も深部にあって身体を支える骨格となる。骨が弱ると、足腰が無力となり、立つことが難しくなる。また五神の志とは、心が一つの方向に向かうことであり、根気や持久力、集中力と理解することができる。

【主な経穴】

・募穴・・・京門 (足少陽胆経)

・原穴・・・太谿

・絡穴・・・大鍾

・郄穴・・・水泉

・背兪・・・腎兪 十四椎下 命門穴 帯脉と繋がる。

 

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四季と人体(4)五節句ー人日

       

 我々が内経医学に触れる際には、当時の人の目に世界がどのように映っていたのだろうと思いを馳せながら学び進めるのが、個人的意見ですが順当であるように思います。

 古代人は自然の移ろいに寄り添うように生きていました。

 自然界に逆らっては、生きていけなかったのですね。

 それは素問・四気調神大論生気通天論などに如実に記述されています。

  漢字が成立したのは、およそ3300年前と言われていますが、漢文学者である白川静は、「漢字はもともとその時代の社会的儀礼・加入儀礼の実際に即して生まれたものであり、そのような生活の場から離れて、観念的に構成されたものではない」とその著書で述べています。 <常用字解 [第二版] 平凡社>

 

 当時の生活は信仰と密接であり自然崇拝的であり、直接目に見えない神霊との関係が色濃く反映されていたように感じています。

 科学全盛時代の現代人も、お正月だけではなく折に触れて、神社に参拝しますよね。

 どこかでこのような意識感覚を受け継いでいるからだと思うのです。

 現代にまで受け継がれてきた祭りや儀礼には、本来の意味合いは忘れられているかもしれないけれど、根底にはその呪詛的効力が今なお有効であると感じています。

 『迷信』の、一言では片づけることのできない「なにか」がひっそりと存在しているように思うのです。

 五節句もまた、一年の季節の節目には健康に暮らせるようにという願いが込められた呪術的な儀式の一つとして位置づけることができるかと思います。

 動画の中にありますように、五節句の内、人日(じんじつ)の節句だけは日にちがゾロ目ではありません。

 このことの意味は、七草粥の背景にまで及びます。

  さらにこの七草粥から羊羹(ようかん)の由来にまで話が及んでいます。

 七草は、春の伸びようとする天の気を受けた地気から生じてるものですから、この伸びようとする気を頂く(身体に取り入れる)ことで季節に寄り添おうとしてたのですね。

 栄養学には無い「気」の概念ですね。

 自然界に育まれている人間界。

 自然界を支配している神=法則は、そのまま人体にも生きているのですね。

 このような天人合一思想は、養生学と鍼灸治療学の根幹を成すものです。

 

 この七草を刻む時に七草拍子が唄われるのですが、この中に「唐土の鳥が来る前に」という言葉が出てきます。

 この「唐土の鳥」は渡り鳥と解釈すると、現在で言う鳥インフルエンザなのかもしれません。

 また七草を刻む時の七草拍子に「亢觜斗張(こうしとちょう)」と唱えられるのですが、これは方角を表すと同時に四神を配して結界を張る意味につながります。

 

 鳥は、様々なものを運んでくるので、風の語源にもなっていたようです。

 鍼灸医学でも、風寒・風湿・風熱・風痰など、風に関係した病邪概念がたくさんあります。

 鍼灸医学的に大きく分けると、外風・内風という概念があります。

 外風とは、自然界の風のこと。

 内風とは、人体内部での風のこと。(身体の中にも、風は吹くのですよねぇ~)

 外風も内風も、適度な風は変化を起こしますのでなくてはならないものです。(変化の現れとも言えます)

 ですが過度になりますと、人を激しく傷害します。

 風の無い夏日などは、過ごしにくいですが適度であれば涼しく快適に過ごせます。

 ですが台風ともなれば甚大な被害を生じますよね。

 人体においても同じですね。

 どのように同じなのかは、自然界をよ~く観察すると観えて参ります。

 

 また鳥という文字は風の語源に、そして風はさらに気の語源にもつながっていたようで、川村先生がたくさん調べて語ってくれてます。

 さらに、鳥の中でもニワトリは、夜明けを告げる鳥として一般に周知されていますよね。

 このニワトリ、夜と昼、幽界と現界の境界を告げる鳥として、なんと神社の鳥居の起源にまで話が及びます。

 ここから聖なる場の結界としての鳥居へと変化していったのだそうです。

 中国、雲南省山岳民族アカ族が発祥とのことです。

 動画の内容は、盛りだくさんです。

 楽しみながらご覧くださればと思います。

 

 第五回「鍼道 一の会」基礎医学講座(リモート)一部公開

 

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膀胱の臓象

 膀胱募穴・中極、心募穴・巨闕。

 位置関係を天地陰陽・心腎相交の時空間で観ると面白い。

 大腸募穴2穴・天枢。

 小腸募穴1穴・関元。

 中極と巨闕の間にある天枢・関元。

 これを時空間と臓象をからめて観ると、何かが観えて来ると思うのです。

 もう少し広げて、他の募穴の数(1穴か2穴)と位置関係を重ねていくと…

 臨床の幅が、グンと広がると思います。

 

【概要】

「膀胱者.州都之官.津液藏焉.氣化則能出矣.」<素問・霊蘭秘典論八>

 州都の官とは、周囲を水で囲まれた地方都市を司っている役職で、君主の命によって津液を貯めたり排出する役割を担っている。

 尿は、上焦・中焦から降りてきた水液を腎の気化作用によって尿とし、腎の固摂作用によって漏れ出ないように約束している。

 排尿は、肝疏泄と心神によって行われる。したがって、膀胱の機能失調は、腎陽、肺粛降、肝疏泄、心神に何らかの異常を生じた場合に現れる。

 足太陽の経絡は、多血少気であるにも拘らず、身体背面を睛明穴から至陰に至るまで単独で流注し、しかも十二経絡中最長である。さらには、六臓六腑の名の兪穴が存在していることから、六臓六腑の陽気の状態が現れるので診断意義は大きい。

 同時に足太陽の左右の経絡流注の中心部には督脈が流注しており、腎陽の機能が最も明確に現れる経絡である。

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【位置】

十九椎下 膀胱兪の中央に位置する。

 

【形状と臓象】

 丸い袋のような形で、出口はあるが入口は無い。

 泌別清濁の小腸、粛降の肺、水湿運化の脾、表裏関係の腎とは直接繋がっていない。 これらのことから、膀胱に尿が溜まるのは、三焦を通じて膀胱に滲み込むことを象っていると理解することが出来る。

 

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【主な経穴】

・募穴・・・中極(任脈) 中焦の気が極まる所。

・原穴・・・京骨

・絡穴・・・飛揚

・郄穴・・・金門

・背兪・・・膀胱兪 鳩奇穴 (奇穴)

 

※血会(血の病に使う) - 膈兪 :

 膈兪はここを上下に気血が通るが、陰邪によって気血の流れが阻まれることが多い。膈兪を治療することによって気血が通行すると、あたかも血虚が回復したかのようになる。

骨会(骨の病に使う) - 大杼 :

 骨は腎の主るところで、腎が充実していることによって立つことが可能となる。

 骨・腎が弱ると上実下虚となり立つことができなくなり、この部に実の反応を現すようになる。

 また衝脉は<霊枢・海論33>に「上は大杼に輸し、下は巨虚上下廉に出ず」とあり、大杼=上の後ろ、巨虚上下廉=下の前は、空間的な気の相関関係を示している。

 

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小腸の臓象

 小腸の扱いは、中医学的にはわずかに触れられているのみである。

 しかしながら心の臓との表裏関係に目をやると、それだけでは収まらない重要な働きがある。

 穀道の腑はご承知の通り、胃→小腸→大腸という流れである。

 しかし足陽明に存在する下合穴は、大腸の合・上巨虚と小腸の合・下巨虚とは順序が逆である。

 同様に背部兪穴の大膓兪と小膓兪もまた、順序が逆である。

 さらには、大腸募・天枢と小腸募・関元もまた順序が逆である。

 また大腸の募穴は帯脉上に左右2穴存在するのにも関わらず、小腸の募穴は任脈正中線上に関元1穴である。

 これらの謎を矛盾なく説明することができると、病態把握にも臨床的にもグンと大きな幅と理解が進む。

 

【概要】

 小腸は、胃で腐熟された水穀を受け取り、全く別の性質のものに変える働きがあるので、化物は小腸が主り、また脾気と共に各臓腑に盛り付ける役割があるので、受盛の官と称される。

 

「小腸者.受盛之官.化物出焉.」<素問・霊蘭秘典論八>

 手太陽の流注は下脘穴で小腸に属し、足太陰もまた下脘穴で脾に属す。

 このことから、脾気と心―小腸は、下脘穴で密接に関わる。さらに小腸の上口は下脘穴、下口は水分穴で大腸に繋がる。

 小腸は泌別清濁を行い、清気は脾気と共に上行し、濁気は糟粕として大腸に下降させ、水液は膀胱へと滲みわたせる生理作用がある。

 従って、下脘穴、水分穴付近は、脾気を中心としながらも、上焦―心・肺との関係が色濃く現れるので、意義深いところである。

 また八脉交会穴のひとつ、後谿穴は、督脈主治穴であり、上焦と下焦との関係(心腎相交)が深いことを示している。

【位置】

十八椎下に付着

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【形状と臓象】

 小腸の上口は胃の下口(幽門)と繋がり、下口は大腸の上口と繋がる。膀胱の腑とは、直接繋がっていない。

 

【主な経穴】

・募穴・・・関元(任脈) 関は門に鍵をかけた会意文字。元は本源的・おおもとの意味がある。

・原穴・・・腕骨

・絡穴・・・支正

・郄穴・・・養老

・背兪・・・小膓兪 十八椎下 腰奇穴 (奇穴)

 

 

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意念 中る弾と中らない弾

 意念って書くと、なんか怪しい感じがする方もいらっしゃるでしょう.

 ですが、フトした時に感じる人の視線や何となくピ~ンと来る感じなどは、この飛んできた意念をみなさま、感知してると思うのですよね。

 いかがでしょうか。

 

 このことについて、興味深いお話があります。

 鉄砲の弾よけで有名な合気道術創始者、植芝盛平の逸話です。

 ブログ【ガチで拳銃の弾をよける】

 https://matome.naver.jp/odai/2147109464656702301

 

 相手が銃の引き金を引く前に、光の弾が飛んでくるのでそれをよけると鉄砲の弾が当たらないのだそうです。

 この光の弾、銃を撃つ人の意念ですよね。

 意念が相手に飛ぶのですから、意識・無意識領域に反応する身体が反応するのは、むしろ当たり前ということになります。

 筆者、植芝盛平のように光の弾は見えません。

 ですが相手の意念で身体や心が反応する感覚はわかります。

 筆者だけが特殊なのではなく、このような感覚をお持ちの方は、皆様の中にもたくさんいらっしゃると思います。

 何となく快とか不快とか言った感覚です。

 そうでない方はちょっと意識的になられると、どなたでも感じ取ることができると思います。

 

 筆者の知り合いに、狙うと相手に「ばれる」と言っておられた剣道家の方がいらっしゃいます。

 まさに自分の意念が相手に察知されるということですね。

 記憶は定かではないのですが、宮本武蔵の「五輪の書」にも、相手と向かい合えば、一箇所を観るのではなく全体をぼんやりと観るというようなことが書いてあったと思います。

 オイゲン・へリゲル著の「弓と禅」にも「的を狙うな」とあるのは、それ以上にふか~い意味があるのでしょうね。

 

 相手には、観る側が持ってるものが伝わります。

 双方向・同時にですよね。

 我々は、患者さんを観て病の深浅や治し易いか否かを判断いたしますが、同時に患者さんもまた、我々の人柄や鍼の力量を瞬時に観ようとしますよね。

 

 こちら側が確信に満ちた強い意念を以て鍼をすれば、気は動くべくして動く・効くべくして効くわけですね。

 鍼する前に、すでに決まってる感覚ですね。

 このような感覚で鍼をされてる先生方、たくさんいらっしゃると思います。

 が、書けば簡単ですが、実際は百発百中というわけには参りません。

 そこはなかなかむつかしいものがありますが、そこに工夫と修練、術者の伸びしろがあると思うのです。

 

 そしてそこそこできるようになってきましたら、今度は「狙わない」、意図性を放棄して手の赴くままに鍼してどうなるかに挑んでみたいと思います。

 なかなか面白い世界だと感じております。

 仙術としての鍼。

 

 先にご紹介しましたブログ【ガチで拳銃の弾をよける】の続きに、山梨の漁師、佐藤貞次郎と植芝盛平との逸話が書かれています。

 https://matome.naver.jp/odai/2147109464656702301?page=2

 

 植芝盛平をして、このように言わしめてます。

 「あんたはワシを撃ってやろうなどという気持ちがこれっぽっちもない。

 最初から当たるつもりで撃とうとしている。

 そんな人の鉄砲はよけられない。たいしたものだ」

 

 これは禅的世界に通じると思います。

 夢分流・鍼道秘訣集の意識世界でもある訳ですし、先に書きました「弓と禅」の意識世界でもある訳です。

 こうなると、なかなか標準化して言葉や理で伝えることがむつかしくなりますねぇ。

 型から入って型を破る。

 守・破・離という流れを踏んでいくことになります。

 鍼の世界って、本来はこういう世界だと思うのですが、みなさま、いかがでしょうか。

 

 

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五臓と五神

 

 五臓に内包されているといわれている、魂・魄・意・神・志の五神。

 この五神は、五臓それぞれの生理機能の現れであるのですから、いわば臓象学の範疇に属しますね。

 この五神の働きを、五臓の生理特性を背景に稻垣座長が具体的に解説しています。

 するとどうでしょう、精神の異常がそのまま臓の具体的な病変として把握することができます。

 稻垣座長、明晰ですねぇ~。

 あとは、病邪との絡みですね。

 認知症などの諸問題・諸症状解決の手掛かりにもなるだろうと思います。

 動画内では筆者も発言していますが、ちょっと聞き取りにくいかもしれません。

 今後の改善課題としております。

 皆様のお役に立つことができましたら、幸いと存じます。

 

 

  2020年6月14日 リモートで行いました「鍼道 一の会」基礎医学講座の内容の一部です。

 

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観る側と観られる側

 前回、「見ると変化する経穴」ということを書きました。

 なぜこのような現象が起きるのかを続けて書いて参りたいと思います。

 

 この原理は、非常に簡単なことであります。

 私たちの日常でも、だれにどのように見られるかによって、気持ちや態度を変えませんでしょうか。

 会社の上司や学校の先生と接する時と、家族や気心知れた友人と接する時とでは、気持ちも態度も意識的・無意識的であっても変わりませんか?

 身体も全く同じです。

 

 身体は、意識領域と無意識領域との合流点です。

 心が動けば、身体も必ず変化=動きます。(逆もしかりです)

 たとえそれが微妙なものであってもです。

 鍼は、どちらかといえば無意識領域から意識領域に働きかける道具だと考えております。

 ですから、前提として術者と患者さんとの関係性、これが最も重要です。

 お互いの信頼感の度合いですね。

 そしてひとつには術者が、どこを観ているか。

 肉体を見ていながら内面の気を観ているのか、部分を観ているのか全体を観ているのか、この逆もしかりです。


 もうひとつは、どのような背景・世界観を術者が持って観ているか。

 これは何をどの程度勉強して自分のものにしているかですね。

 学んだことがこなれてる程度でもいいと思います。

 

 これらが両者の間の気の流れに大きく作用し、変化の度合いや様も異なってくることになります。

 そして両者の間には、意念が飛び交いますね。

 この意念を意識すると、その変化にも気づくことができます。

 この意念とは…

 

 つづけますね(笑)

 

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見ると変化する経穴

 臨床に携わっていると、触れるだけで相手が次々と変化していく状況を体験されてる方も多いと思います。
 触れて変化が遅いところや変化しないところが目付どころとなったりするのですが、それはさておいて。
 
 ある時、足三里の左右差の大きな方がいらっしゃいまして、足三里の緩い方(虚側)をじっと見てると次第に充実してきて左右差が無くなったという現象に気が付いたのです。
 それで触れる前にじっと見つめるということを実験的にはじめたところ、次々と同様のことが起きてくるようになったのです。
 
 そこで毎週1回行ってる、大阪医療技術学園の教員養成科で学生たちと一緒になって実験したところ、やはり同じ現象が確認できたのですね。
 教員養成科では、虚側の湧泉穴を選んでみんなでジッと見てたのですが、見事に充実してきまして左右差が無くなっております。
 
 さて、このような現象、どうして起こるのでしょうねぇ。
 「気の世界」から眺めると、不思議でもなんでもなくって、むしろ当然のことが起きてるってことになります。
 
 続きます…(笑)
 

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四季と人体(3)五節句

    

  

 

  今回は五節句と避邪について。

 節句は、節供ともいわれ、神と共に食す行事食の意味合いがあるそうです。

 神道で神と人が一緒になって自然の気を取り入れる「直会(なおらい)」という行事がそうですね。

 人が無病息災で生きていく願いと季節の節目に行う行事。

 そんな目には見えない「気の世界」を大切にしたいですよね。

 

 

 この動画は、2020年7月12日 「鍼道 一の会」基礎医学講座の内容の一部です。

 

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