ブログ『鍼道 一の会』

『鍼道 一の会』は、「福祉への貢献」を目的に、「伝統医学」を規範に、「鍼灸」を手段に、「大阪市」を本拠地に据え、活動を続けている団体です。(当ブログ内の一切の著作権は一の会に在ります。流用される方はご一報ください。)

心の臓象

 先天の元気は腎に蔵されていると言う。

 <素問・宣明五気篇>では、心は神を蔵すと記されている。

 さて、この神をそのまま中医学的に解釈しても良いのだろうか?

 

 素問・上古天真論では七損八益論が展開されているが、これは腎を太極軸にして論じられたものである。

 いわば、三才思想(天・人・地)を地である下から上を観て俯瞰した論である。

 地である肉体は、腎によって終わりがあることは周知のとおりである。

 物質的後ろ盾を無くした神気はいったいどうなるのであろうか。

 むろん、肉体からはその兆候は消えるが。

 地から上を観るのであれば、今度は天から下を観ればどうなのだろう?

 このあたりのことは、すでに稻垣座長が示唆に富む内容をすでに一部公開しています。

 五行と気味 

 易経 繋辞上伝では、「陰陽測らざる、これを神と謂う」 <陰陽不測之謂神>と記されています。

 さて、これを実際の臨床に用いて有益ならしむるには…

 

 

【概要】

 五臓六腑には全て官職名がつけられており、心は君主の官であり、神明を主り他臓との関係性の象徴的存在である。心神は、太陽のように生命を明るく輝かせる中心的な働きを担っている。神明とは、広義では生命の輝きそのものである。

 臓象図では、心の臓は他の四臓と系で繋がっており、心の臓の状態は、全体の関係性で成り立っていることが理解される。

 

【位置】

 胸椎第五椎下 神道穴

 

              f:id:ichinokai-kanazawa:20200730112330j:plain

【形状と臓象】

1.心の文字は象形文字で、このことからも古くから解剖が行われていたことが推測される。その心の臓は万国共通のハート型であり、脾・肺・腎・肝に通じる釣り糸が描かれている。

 とりわけ肺系・肺管と心系は直接繋がっており、心肺機能は天の気と密接な関係にあることが分かる。

 また心は肺葉の下に錘のようにぶら下がっており、環境変化に応じて肺が行う正常な機能を調整している。

f:id:ichinokai-kanazawa:20200730112147j:plain

b.「心者、君主之官、神明出焉」<素問・霊蘭秘典論篇> 

 「心者、五臓六腑之大主、精神之所舍也」<霊枢・邪客七一>

 心は一国で例えるなら君主であり、神明とは広義においては生命の輝きのことであり、狭義においては精神・意識状態のことである。

 君主が混迷すれば臣下は乱れ、臣下が従わなければ君主は成り立つことができない。

 この関係は身体にもそのまま当てはまり、心神が混迷すれば他臓に影響して様々な病変を引き起こし、他臓の変動や病邪が心神に影響して精神異常を引き起こす場合があるので、標本を正確に弁別しなければならない。

c.「心主身之血脈」<素問・痿論四四>

 この場合の血脈とは、いわゆる血管のことであり、血脈は心の臓の延長である。従って、脈動には神気が通じて現れているので、脉が表現している神気を読み取ろうとする意識が大切である。

 「心藏脉.脉舍神」<霊枢・本神八>

 

d.「諸血者 皆属於心」<素問・五蔵生成論十> 

   「脈者 血之腑也」<素問・脉要精微論十七>

 全身の血流調節は心気がこれを執り行うのであるが、肝疏泄・蔵血など血に関する他臓との協調作用を意識すると良い。また血管は、血の袋であるということである。

 

e.心悪熱 離・火 f:id:ichinokai-kanazawa:20200730112440p:plain

 象卦は麗(つ)く=付く。日月は天に付き、草木は土に付いて天下を化成する。離火は明智であり、人間の正しい理性こそが天下を治め身を治めることを現している。晴れ渡った空の太陽のイメージである。

 また離火 の爻をみると、一陰が上下二陽で挟まれた卦である。中心の一陰が心血であり、上下の二陽が心陽とみると、心気が亢ぶると化火しやすく、心血は傷れやすいことが分かる。

 また、化火すると心陽は下って腎と相交し腎を温煦することが出来ず、腎陰は心陽を得ることができないので心に昇ることが出来なくなり、心火はさらに亢ぶり悪循環に陥る。(心腎不交)

 治療において寧心安神するには、清熱と補血の両面があるが、どちらを先に行うかは病理機序によって判断する。

f.心の赤化作用

 心は穀気に神気(心陽)を加味し、血に気化させ全身いたるところに流注させる。
 母乳は、赤化する前の穀気と理解することができる。

 

【五行属性】

1、 五方・南、五季・夏 五能・長

 心は五方・南、五季・夏であり、一日では日中(11時から13時)に相当する。いずれも、陰気は退き陽気が最も盛んな時期である。人体においては五能・長の作用で心身の活動性が高まり、衛気もまた体外に張り出す時期でもある。

 

2、 五竅・舌 五液・汗

 舌には、足太陰、足少陰正経・経別、足太陽経筋、手少陰絡脉が流注している。舌は消化器の一部でもあり感覚器官でもあり、言語発声機能をも兼ね備えたものである。これらの機能を全うするには、五臓六腑が調和して円滑に行われる必要がある。飲酒が過ぎると目つきが弛み、舌のろれつが回らなくなるのも、心神が熱によって侵されたためと捉える。

 また過度に心神の緊張状態が続くと、舌先が赤くヒリヒリと痛んだり痺れたりする者の多くは、心熱・心火によるものである。

 また汗は津液・血の化したものであり、過度な発汗は陽気を損なうという面と陰気を損なうという両面がある。いわゆる過度の心神の緊張による冷や汗は、容易に心血を損ないやすい。

 

3、 五志・喜

 喜は緩の作用があるので鬱した諸気を解放し、気滞を解消して気機を伸びやかにさせる作用がある。喜が過度になると、注意力が低下し心神は散漫となる。

 

4、 五味・苦 五能・長

 苦味は固を主り、弛んでいるものを引き締める作用がある。(燥かす説有り)五能は長であるが、苦味とは陰陽関係となる。

 

5、 五労・久見傷心

 肝の五竅は目であり、目は血を受けてその機能を全うする。久しく見ると心を傷るとは、目の深部には、足厥陰と手少陰が流注していることから、見る集中力を長時間維持すると心肝内熱から血虚に移行しやすいことが理解される。

 

6、 五主・血脈 五神・神

 血脈は、心神が伸びやかであれば精血は充実し、その流れもまた流暢となる。さらにいわゆる血管は心の臓の延長であり、末梢における動脉の拍動状態には、精血と神気の状態が如実に表現される。末梢の一部分に全体が投影されると考える東洋医学独自の脈診術に、一定の根拠を与える。

 

『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

五行と蔵象について

 

 

 五行が最も早く表れたのは、尚書(書経)・洪範であるとされている。

 (おおよそ紀元前5世紀以降の書であるとされている)

 

 以来、世界のありとあらゆる現象の奥に潜む気の働きをとらえるためにこの五行論が、いわゆる百家争鳴のように用いられ論じられてきた。

 

 鄒衍(すうえん 前305頃から前240頃の人)に至って、ようやく五行論として整理され、現在我々が知りうるものとなったわけであるが、その原点である尚書・洪範に立ち返り五臓とその臓象を論じて臨床につなげようとする試みである。

 

 五行については、すでに語りつくされてると思います。
 すでに出来上がったものをそのまま用いるのではなく、原点に帰り当時の人の目に世界が、人体が、どのように映っていたのか、というところから臓象を眺めてみます。
 東洋医学の臓は、まぎれもなく五行的概念で人体の気を占った?ものだとも言えると考えています。
 既成の概念にとらわれない、自由な感覚で「気」をとらえようとする試みでもあります。
 

 その端緒を江見木綿子先生が解説してくださいました。

 皆様のご興味をそそるものでありましたら、望外の喜びです。

 

 2020年6月14日 第2回基礎医学講座の一部公開動画です。

  於:一の会 鍼灸院 リモート講義

 

『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

五行と気味

            

  

 五行とは、みなさまご存知のように、木・火・土・金・水ですね。

 そして四季を通じて天の気は、生・長・化・収・蔵します。

 一方、地の気である、酸(収)・苦(降)・甘(緩)・辛(散)・鹹(軟)は、天の気と真逆に作用します。

 

 なぜ天の気と地の気は相反しているのか?

 

 気味の前段階である地の気の基本的な意味を、稻垣座長が「気」の概念できれいに整理して講義しています。

 

 精神性を追求する宗教家が、なぜ菜食にこわわったり小食・粗食にするのか、その根拠となる考え方とも言えます。

 

 治療家として感性を高めるひとつの方法として、食を正すことはとても有効です。

 筆者も、3か月間、禁酒の上に玄米粥と菜食のみで過ごし体重は激減しましたが、五感はとても鋭敏になったという経験があります。

 精神性は…(笑)

 

 口にする五味は、生薬を吟味するときにはとても重要です。

 さらに方剤構成からは、治療戦略が見えてきます。

 これからの将来、稻垣座長の個性あふれる生薬学、方剤学の講義がとても楽しみです。

 

 地の気である五味を、このような視点でとらえたものは他にはないでしょう。

 このような発想から生薬学・方剤学を眺めると、これまでにない世界が広がると思います。

 2020年6月14日 第2回基礎医学講座の一部公開動画です。

  於:一の会 鍼灸院 リモート講義

 

『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

脾の臓象

  脾の臓は、後天の元気の源であるため非常に重要な臓であるが、卦を見ると坤地f:id:ichinokai-kanazawa:20200727070141j:plainである。

 このことから脾の臓に陽気は存在せず、常に心腎の陽気によって生理機能が営まれていると理解することが出来る。

 つまり、円滑な心腎(神志)相交によって受動的に生理機能が作用しているということである。

 このように文章化すると、あたかも脾気という独立した「気」が存在しているかのようであるが、分けて分けられないものを認識する際に、どうしても一旦は全体から切り離して論じざるを得ないのである。

 実際の臨床においては、脾気に問題が生じた場合、天地陰陽の相交の流れの中で問題の本質を捉える必要がある。

 いってみれば、心腎の相交状態の現れが、脾気だともいえるのである。

 口に何を入れるのかは人間の意志であっても、喉を通過した後は天地陰陽の神なる働きに任せるしかないからである。

 この神に下す鍼は、大自然の理に従う鍼であってこそ通ずるのである。

 

【概要】

 卑は会意文字で、小さな匙を手に持つ姿とされている。大きな匙を持つ姿は、卓で「すぐれる、たかい」であり、卑はそれに反して「いやしい、ひくい」の意味となる。

 中焦・脾胃は、自ら低くして飲食物の清濁が入り乱れる身体中央=中焦に位置し、他臓に穀気を分配している。また脾は肝と協調して清陽を昇らせ、胃は腎納気を後ろ盾とした和降作用により濁気は下降する。

 また脾は、天・人・地の中央であり、天気と地気が交流する場である。従って中焦の脾胃と肝胆は、上焦・下焦の気の交流の枢となる。(脾主昇、胃主降=昇清降濁)

 脾は胃と協調して飲食物から穀気を生成し、主に肺へ穀気の運化と津液運化が行われるので気血生化の源と称されている。

 

 「臓腑経絡詳解」<岡本一抱>では、脾胃を石臼にたとえ、下の石を胃とし上の石を脾として取っ手を手足としている。(脾主四肢)

 手足(取っ手)をしっかり運動させると、飲食物の消化を促すことになり、逆に手足が重だるいなどの症状は、脾胃の機能低下もしくは水湿が邪気となって脾気を阻んでいると考えることができる。(下図)

 

        f:id:ichinokai-kanazawa:20200713092207j:plain

 また岡本一抱の臓象図は、胃の上にあって揉む図となっている。

 反対に、石臼の穴に入れる穀物が多すぎたり、また水分や油分が多いと石臼は回りにくくなるので、手足が重く感じるようになると連想することが出来る。

       

【位置】 

 十一椎下 脊中穴に付着

  

【形状と臓象】

 

a, <刀鎌の如し>

 薄く平べったい形状であるが、この形状からは、脾の臓の機能をイメージすることは難しい。

             f:id:ichinokai-kanazawa:20200713092239j:plain

 上図・石臼のイラストのように、脾は四肢と関係が深く脾がしっかりと動くことで胃もまた正常に機能する。従って適度な運動は胃の受納・腐熟・和降作用を促進し、運動不足になると胃気の停滞を来して食欲が減退する。

 

 

f:id:ichinokai-kanazawa:20200713092304j:plain

 

c. 坤・地 f:id:ichinokai-kanazawa:20200727070141j:plain

   象卦は順で万物を生み出す母なる大地である。天・乾の創造・造化に従って成長化育する。三爻の全てに陽が無いことから、脾が機能するためには、上焦・中焦の陽気に頼ることになる。

 

b, 「脾は燥を好み湿を悪(にく)む。胃は潤を喜び燥を悪む>

 脾の臓は陰気が多いので、過剰な水分は脾気を損ないやすく、梅雨などの外湿の影響を受けやすい。

 反対に胃は陽気が強いため、防衛力と異化作用にすぐれているため燥を嫌う。したがって、傷寒六経の陽明病では、潮熱、口渴、便秘(実秘)などの燥熱の状態が中心となる。

 

c、脾統血

「脾蔵営」<霊枢・本神八>とあり、営血を生成する外に、脈外に漏れ出さないように腎の固摂作用と共に統血・摂血する。

 

d、「諸濕腫滿.皆屬於脾.」<素問・至眞要大論篇 七十四>

 湿は天の六気中、寒と共に陰邪であり、湿症・水症が現れれば、外因・内因の如何を問わず、先ず脾の状態を伺うことを述べたものである。

 

【五行属性】

 

1. 五方・中央、五季・土用、五能・化

 脾は、五方では中央に位置し、後天の元気の中心となる。

 土用は、各季節の変わり目に相当するが、五行論的には、春夏と陽気が長じ、秋冬で陽気が衰えるその間の夏の土用(長夏)に配されている。

 一日では、13時から17時に相当する。

 また五能のうちの化とは、異なる性質に転化することを意味し、変とは動きのことである。脾は、飲食物を精気と糟粕に化し、精気は臓に、糟粕は腑に受け渡すことから、気血生化の源と称されており、時間軸においても陰陽が転化する枢に位置する。

 

2. 五竅・口 五液・涎

 口は、口腔全体を指し、口腔は内臓腑の延長であり、口内の味覚と機能は、脾の臓に直結している。

 涎とは、無意識に自然と湧き出てくる津液のことで、脾気の昇清作用によって生じる。脾気の昇清作用が失調すると、口乾と同時にめまいや口乾が生じやすいのはこのためである。

 

3. 五志・思慮

 思慮は結ぶ作用があるので、適度な思慮は冷静沈着な行動を促すが、過度になると気が結んで動けなくなる。気が結ぶと肝疏泄と拮抗して肝脾不和となって直接心神に累が及び、長期化すると心脾両虚へと移行する。

 

4. 五味・甘 五能・化

 脾は四方の中央であり、すべての飲食物には甘味が備わっている。適度な甘味は緩める作用があり、肌肉はそのため柔軟さを保つことができる。甘味が過度になると、脾気滞となり水湿の停滞を生じ、さらに内熱を生じて肌肉も緩んで動き難くなり、情志も鬱して伸びなくなる。

 また消化に際しては、五能・化して陰陽転化するには、動きを遅くする必要がある(腐熟作用)が、過度な甘みは停滞を助長するので痞えを来しやすくなる。甘味の緩める作用は、急迫する症状を緩め、また過度な緊張や寒邪による拘攣・拘急を緩める。甘草、大棗、黄耆、地黄などが補気補血薬として湯液処方に用いられているのは、そのためである。

 

5. 五労・久座傷脾

 座位は、立位と臥位の間であり、手足を動かすことなく久しく座すると、脾気滞を起こしやすい。脾は中焦に位置し、胃と協調して昇清降濁を行う必要があるため、運動することにより手=上焦、足=下焦に気が昇降させる必要がある。(脾は四肢を主る)

 適度に運動を行えば、脾気がのびやかとなり食が進むが、久座すると脾気が鬱し、食が進まないだけでなく水湿の邪を産生して脾気虚へと移行し、そこに心神の鬱滞が長期もしくは急迫すると、肝脾同病から心脾両虚に至る場合がある。

 

6. 五主・肌肉 五神・意智

 肌肉は、皮毛の下部であり汗の源である営血が豊富で、外界の衝撃が臓に及ばないための緩衝帯ともなるため、柔軟性に富んでいる。肌肉の肥痩は、脾気を反映しており、また皮毛にも反映される。

 肌肉に水湿が停滞すると浮腫みが現れ、熱が鬱積すると痒みを伴って皮毛を赤く隆起させ、掻爬して出血を見ると軽減する。湿と熱が結んで湿熱となって肌肉に停滞すると、掻爬によって体液が出ても、痒みは治まらず反って悪化するようになる。さらに熱痰となると、島のように部分的に赤く腫れるようになる。

 

『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

四季と人体(2)24節気

 

  

 昔の人は季節の変化をあらかじめ知るために暦を使っていました。

 暦の有益な使い方は様々ありますが、我々東洋医学を行っている者にとっても必要不可欠なものです。

 季節の移ろいや天気の状態によって体調や病気・症状が様々に変化する方が実際にいらっしゃるからです。

 人の身体が季節の気の変化についていけなかったり、過剰に反応して体調を崩してしまったり病気になってしまうことを、古人は経験から知っていたのです。

 この暦を上手に使って、季節の変化に寄り添うように衣食住に工夫を凝らし、快適に過ごすだけではなく健康的に豊かに生活していました。

 東洋医学では、自然界の気の変化を的確に捉え、人体の生理的変化との調和を図ることによって、病気を未然に防ぐことが出来る養生法も考え出されています。

 自然を大宇宙、人間を小宇宙として捉える認識方法があります。

 大自然を神とするならば、人間にも同じ神が宿っています。これを内なる神と呼んでも良いと思います。

 このような思想を東洋医学では「天人相関」「天人相応」「天人合一」と称します。

 

 ところで古人は自然の気の変化をどのようにとらえたのでしょうか?

 まずは四季の移ろいによる気の変化を図に表わして説明しています。

 養生の基本、治病の基本を読み取ってくださればと思います。

 今回は、川村 淳子先生が冬至・夏至の二至と、春分・秋分の二分、立春・立夏・立秋・立冬の四立の八節から二十四節気に至るまでを解説してくださってます。

 どうか、みなさまのお役に立ちますように。

 ちなみにこの動画は、2020年7月12日 「鍼道 一の会」基礎医学講座の内容の一部です。

 

f:id:ichinokai-kanazawa:20200713153204p:plain

 

 

『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

胃の臓象

 内経医学では、「胃の気」を重視しているが、中医学ではその概念がすっぽりと抜け落ちている。

 「胃の気」に関しては、「一の会」四診実技理論の教科書で詳述しているので、いずれ公開したいと考えています。

 経絡的には、足陽明胃経上に大腸・小腸の下合穴が存在している。

 このことの意味を臓象と重ねてみると、臨床の幅が大きく広がると思います。

 外界としての天の気の接点となる肺の臓。

 地の気の接点となる胃の腑。

 ともに防衛作用が強いために陽気もまた盛んであり、衛気と胃の気の関係もまた非常に密接であり、臨床的にも重要な視点を与えてくれる。

 胃の気の盛衰は、直接生命にかかわってくることを十分にわきまえて置く必要がある。

 

【概要】

「胃者.五藏六府之海也.水穀皆入于胃.五藏六府.皆稟氣于胃.」<霊枢・五味篇五六>

 胃の腑は、地気・濁気である飲食物が最初に納まる所であり、外邪の侵入を防ぐために非常に陽気の強い腑である。(多血多気)

 中医学の『胃気』とは、受納・腐熟・和降作用を指すが、内経医学では、『胃の気』の有無を非常に重要視しており、『胃の気』は、後天の元気であり全身をあまねく循っている。

 胃の気は、切り花のように根が切れてもすぐに枯れないように、胃の気が切れてもすぐには死に至らない。

 しかしながら重病に相対しては、四診を通じてこの胃の気の有無を判断することが予後を判断するうえで非常に重要になる。

【位置】

 十二椎下、無名穴に付着する。

 

【形状と臓象】

 胃の文字は、田と月の会意文字である。古い文字では、田を胃袋として中に物がある形に描かれており、飲食物を容れる袋であることが分かる。

 大腸・小腸が管であるに対して、胃が袋であることの意味は、受納と腐熟が主な機能であるためである。さらには、袋であるため和降の失調を来しやすいことも理解される。

 また六腑はすべて和降するが、腑の始めである胃の腑の和降作用が失調すると、他の部の全てが失調する。

f:id:ichinokai-kanazawa:20200704181219j:plain

 

a.艮・山 f:id:ichinokai-kanazawa:20200704181302j:plain

 艮卦の意味するところは、止まるである。胃は受納した飲食物を腐熟させるために、一旦留めおく必要があることを示している。従って、嘔吐・宿食・呑酸など停滞する胃の病症がより現れやすくなる。

 

『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

大腸の臓象

 肺と大腸は表裏関係であることは、どなたも十分ご承知のことだと思います。

 では、上焦に位置する肺の臓と、下焦に位置する大腸の腑の生理的整合性をどのように捉えるかが重要なことになって参ります。

 しかも手の陽明大腸経は主に、上焦に流注していながら、募穴・天枢穴は帯脉ラインに位置し、腰陽関と大膓兪は下焦に位置しています。

  天地相交ですね。

 このことの意味を具体的に認識する着眼点が、治療家の力量になって参ります。

 さて、謎解きのための資料を開示いたします。

 

【概要】

 大腸は、表裏関係の肺と強調して、主に飲食物の残渣の排泄と肌表の機能調節を行う。

 大腸の陰気は、手太陰肺経が①水分穴・天枢穴の中焦を流注していることから、主に脾胃との関係が深い。

 大腸の陽気は、陽関穴・大膓兪が下焦に位置していることから、腎の陽気との関係が深いことが分かる。

 大腸と小腸の臓象図が左右に曲がり折り重なっているさまは、②肝胆の左右の疏泄作用によって正常な機能が全うされることを連想させる。

 

【解説】

① 水分穴:文字通り腸胃の津液に関係する重要穴所であり、大腸と小腸の繋ぎ目である。すなわち大腸の上口であり、小腸の下口である。

下脘穴:胃の下口と小腸の上口であり、ここで足太陰は脾に属し、足陽明はこの部で脾を絡う。

  難経腹診では、臍上の下脘穴から滑肉門穴、天枢穴あたりを脾に配当しているが、一定の根拠がある。

② 肝胆の疏泄作用によって正常な機能が全うされる:大腸募穴:天枢 帯脈ラインに属する。

帯脈主治穴:足臨泣  足少陽胆経・開合の枢。

 

 

【位置】

 十六椎下、腰の陽関穴に付着している。

 上焦と下焦、肺と腎の関係が深いことが分かる。

 

          f:id:ichinokai-kanazawa:20200629190924p:plain

 

【形状と臓象】

<素問・霊蘭秘典論八>「大腸者.傳道之官.變化出焉.」

 腑は、ひとつながりの管であり、口腔、食道、胃、小腸、大腸と飲食物が変化しながら伝わり降り、糟粕はその最終段階で魄門(肛門)を通じて排泄される。

 これらのことは、足陽明胃経上に、大腸①下合穴=上巨虚、小腸下合穴=下巨虚が存在しているのが意味深長である。

 

   f:id:ichinokai-kanazawa:20200629190829j:plain

 

「腎は二陰に開竅す」

 大小便が正常に排泄されるためには、腎陽の気化作用と肺気の粛降作用、胃の和降作用が強調して働くことが重要であることを示している。

 さらに大腸の魄門は外界との境界であり、非常に衛気と陽気の強いところであり、大小便が漏れ出ないように腎の固摂作用によって約束されている。

 大腸は、臓象よりも経絡流注が重要で、「多血多気」の経絡流注から上下・表裏との関係が深いことが理解される。

 大腸の腑は下焦に位置し、経絡は主に上焦に在ることから、天地陰陽の交流(相交)の在り様を理解することが出来る。

 

【解説】

下合穴:<素問・六節蔵象論九>

脾胃大腸小腸三焦膀胱者.倉廩之本.營之居也.名曰器.能化糟粕.轉味而入出者也.

脾胃大腸小腸三焦膀胱なる者は、倉廩の本、營の居なり。名づけて器と曰く。能く糟粕を化し、味を轉じて出入する者なり。

 

『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

肺の臓象

 肺の臓は、植物の葉に象られています。

 葉と言えば、風で揺らぎます。

 風と言えば、肝の臓ですね。

 風は、寒熱の気が交流する際に生じます。

 まるで連想ゲームのようですが、このように気の動きを先ずはイメージできるようになることが肝要です。

 また『気一元』的に観ると、肺気という独立した「気」というものは存在しません。

 上焦に至った「気」が、場所によってその作用と働きが変化するので、肺気や衛気、心気とかに便宜上名称を変えるに過ぎません。

 すべては、全体性の中でその流れを捉えることが、臨床的には必須の視線です。

(時空間的に捉える)

 そして臓象学によって、気血の生理作用を理解し、具体的に人体に表現されてる微細な変化を捉えて鍼を施します。

 微細な変化をとらえるには、四診理論と実技が必要となって参ります。

 さあ、先ずは肺の臓象を読んで下さればと思います。

 

【概要】

 肺は形声文字で、市(はい)は草木が伸びて茂り、揺れ動くことをいう。また市(いち)は、象形文字でもあり、人が多く集まる場所に、高く標識を立てた形に象る。

 したがって肺は、人体中最も高位に位置し、その時々の状況に即応して常に変動している臓である。(葉が風に揺れているイメージ)

 また気管・肺・鼻・皮毛などは外界と直接接しており、非常に陽気が強く防衛力もまた強いところである。

 反面、風寒・風熱・風湿などの外邪は、位置的にまず肺がこれを受けることになる。

 さらに肺は意識・無意識領域に渡る感覚器でもあり、内外環境の変化に応じて呼吸の深浅・遅速、腠理の開閉などを行い、全身の気機を肝の臓と協調して行う。

 

「肺者、蔵之蓋也」 <素問・病能論四六>

 肺の臓の別名は「華蓋」と称され、華とは、菊のように中央がくぼんだ花のことである。肺の臓は、他臓を上から覆うようであり、下位の臓腑の変調は全て肺の臓に現れるので、「標本」の標となりやすい。

 例えば脾に生じた津液や痰は、肺に昇って停留し、喘息などの肺の病症を生じることになる。このことから「肺は貯痰の器、脾は生痰の源」と称され、標本と病因病理が理解されよう。

 また肺は、経絡流注的にも理解されるように、中焦の気を受けてその機能を全うし、呼気・宣散は肝疏泄、吸気・粛降は腎納気によって営まれる。

 肺の気は、すべて中焦・下焦からこれを受けて機能し、下焦の気は上焦・中焦の気を受けて機能する。このように生命は天地六合※・陰陽が相交して営まれており、上・中・下焦は独立して別々に機能しているのではないことを十分理解しておく必要がある。

 

※六合:東西南北に上下を加えた空間

 

<主な生理機能>

宣発と粛降の舞台となる。

気を主る(天の気の取り入れ口。呼吸を通じて気機を調節する)

肺は水の上源・通調水道

百脈を朝じる

治節を主る

天の気の取り入れ口

 

【位置】

 胸椎第三椎下の身柱穴に着いている。

 

【形状と臓象】

 a. 左右四葉計八葉

 葉に象られていることから、内外環境の変化を受け、敏速に機能することが連想される。また左右四枚均等であることから、肺は左右均等に宣発(宣散)※粛降を行い、肝胆が左右・上下・内外の気機を調節する。

※宣発(宣散):宣は広く行きわたらせ、発は外へ発散して布くことである。人の気配であるとか汗など、津液を適時散布する機能。(上へ、外への気の動き)

 

      

     f:id:ichinokai-kanazawa:20200628071938j:plain

 b. 「肺者、蔵之蓋也」

 蓋(がい)とは文字通りフタである。岡本一抱(1655-1716)は、肺の臓を鍋の蓋に例えており、中焦から昇ってきた穀気が、蓋である肺葉で水滴となって粛降※し、一部は蓋の穴から出る湯気のように腠理から宣散され体外に排泄されると解説している。(図h-1)

         f:id:ichinokai-kanazawa:20200625103546j:plain

※粛降:粛とはつつしむ、引き締める、静かの意で 降は降ろす。

 宣発とは逆の気の動きであり、下降する腎の蔵精・納気作用、胃の和降作用、大腸の伝導作用などの働きと協調する。(下へ、内への気の動き)

 

c. 肺は水の上源・通調水道

 下位から昇ってきた湿気は肺で津液となり、粛降して腎の臓にまで下降する。また肺から取り入れられる天空の気(空気)の強い推動作用で、全身の津液を通じさせる。何らかの原因で、肺の水道通調作用が失調すると、顔面・手指を中心とした上半身に浮腫が現れやすい。

 

d. 「それ肺の臓、橐籥(たくやく)の如し」<臓腑経絡詳解・岡本一抱>

 橐籥とは、火力を強めるために風を送る道具のことで、いわゆる「鞴=ふいご」である。神気や手足を強く早く動かすには、血を気に変化させることが必要である。(気化作用)そのため肺は、ふいごのように深く早く呼吸し、推動作用の強い天空の気を全身に回らし、気化作用を促進する。(図h-2)

 

        f:id:ichinokai-kanazawa:20200625103939j:plain

e. 「諸気膹鬱皆属肺」<素問・至真要大論七四>

 肺は高位に位置しているため、下位に生じた諸々の気はすべて肺に昇り聚る。(肺は、百脉を朝す)(参考資料-三才と五臓配置図参照)

 肺に至った諸々の気は、何らかの原因で呼吸が浅くなると、よく気滞(鬱)を生じる。呼吸運動は、意識・無意識の両域にまたがっていることから、自覚的なストレスは意識的に深呼吸をすることで解消することができる。しかし、無自覚なストレスでは長期間に渡って呼吸が浅くなり、推動作用の低下から気滞を生じ、病的状態に陥りやすくなる。

 また呼吸運動は、肝疏泄、腎納気が主っているため、心身の状態をよく反映する。

 

f. 肺管九節

 九は陽数の極みである。肺管九節としているのは、常に外気が出入りしているため、非常に陽気(衛気)が強く、しかも節であることから、熱によって弛まないことに象っている。従って咽喉から気管にかけては、内熱が盛んであれば炎症が起きやすく、邪熱が一気に肺から肺管に衝き上げてきた場合、肺気が臓と気管に充満して鬱し、呼吸困難を来しやすい。

 

  1. 八卦…兌・沢 f:id:ichinokai-kanazawa:20200625104148j:plain  乾・天 f:id:ichinokai-kanazawa:20200625104240j:plain

 乾・天の象卦は止むことの無い健やかな作用・働きで、万物創造の大いなる根源であるから、天の気を取り入れる呼吸がイメージされる。天から見ると健やかな呼吸は、人の成長老死に深く関係することになる。

 また兌・沢の象卦は少女が口を開いて喜ぶ様子で、肺の宣散・宣発作用がイメージされる。

 また卦は二陽一陰で、下に旺盛な陽気が多いが一陰が三爻に位置するので、表面は常に潤っているが乾きやすい傾向を表している。肺は、外界と接するところは適度に潤すが、乾燥と熱に傷害されやすいことを示している。

 

h.  「肺は、相傅の官、治節出ず。」<素問・霊蘭秘典論>

 相傅(そうふ)とは、君主に仕える宰相のこと。宰とは、古代においては、首長が包丁を用いて獲物を切り分け、大人・子供の身体の大きさや状に応じて公平に分け与える役目を意味する。

 治節の節とは、すべての動きを規定することであり、全身の気機※を規律正しく治めることである。

 総じて肺は、その時々の状況に応じて呼吸を調節し、タイトに、しかも今現在最も必要としているところに気血を巡らす働きをする。

 

※気機:昇降・出入・左右の気の動き

 

【五行属性】

1、五方・西、五季・秋 五能・収

 肺は、五方・西、五季・秋であり、一日では夕暮れ時(15時から17時)に相当する。 

 いずれも、陽気が潜み、陰気が盛んになり始める時期である。人体においては、五能・収の作用で衛気が徐々に体内に潜むことで眠気が訪れ、あくびは大きく天の気を吸い込むことで、推動作用を高め、陽気を循らそうとする動作である。

 また人体の陰陽消長は、左右差があることを示しており、<難経>腹診における、左・東・天枢穴=肝、右・西・天枢=肺に一定の根拠を与えるものである。

 

2、五竅・鼻 五液・涕

 肺気は、中焦・下焦の気を受けてその生理機能を全うすることができる。涕(てい)※=鼻水は、中焦の穀気の一部であり適度であれば粘膜を潤すが、津液が過剰であれば中焦から上昇して鼻水としてあふれ出す。また外感病などにより、腠理が閉じたり冷えると、行き場を失った過剰な津液は肌表や鼻に聚る。

 また鼻には足陽明を始め、手足の陽経が複雑に流注しているため、鼻の症状は、問診その他の所見を合算して、しっかり病因病理を捉える必要がある。また粘膜は肌肉に相当するので、中焦・肝胆・脾胃の状態が現れやすいことも承知しておくべきことである。

※。涕(てい)は、泣くこと、なみだの意であるが、肝に涙とあるので鼻水と解釈した。

 

3、五志・悲

 悲は消の作用があるので、悲しんで落涙が適度であれば七情の鬱積を消し去ることができる。しかし過度となると気を散じて意気消沈し、鬱すると肺気を傷り、全身に影響することになる。

 

4.五味・辛

 辛味は発散作用があり、五能・収とは、陰陽関係にある。辛味の発散作用は、麻黄・桂枝など、発汗解表薬として湯液処方に用いられている。

 

5、五労・久臥傷肺

 肺は、天位に位置するため、立位であれば粛降が容易である。長時間の就寝は、津液が下行し難くなり、津液が上焦で鬱して肺気を破りやすい。腎不納気などの虚喘となれば、寝ていることが出来なくなり、座位での呼吸が楽なのはそのためである。

 

6、五主・皮毛 五神・魄気

 皮毛は、直接外界と接するため、衛気の盛んなところである。皮毛は、脾の摂血(摂汗)と腎の固摂作用(陰気)と、肝の疏泄作用(陽気)との陰陽関係により、環境変化に対応して衛気の巡りを調節する。

 皮毛は全身を包む袋であり、気が出入りする場でもある。さらに皮毛は、身体の形を維持するだけでなく感覚器でもある。この皮毛の感覚は五感(視・嗅・味・聴・触覚)との関係が深く、また個体感覚の基となり自我の形成との関係が深い。

 そして皮毛は、外界の変化に即応して起毛し衛気の保持などの調節をする。

 五神・魄気は、<霊枢・本神第八>「並精而出入者.謂之魄.」とあり、この場合の精とは物質的なことを指しており、肉体を基盤として生じたり消えたり(出入り)する五感のことである。

 五感は、心に通じると意識的、魂に通じると無意識的となり、肉体は意識的・無意識的に外界の状態に反応しながら、正常な生理機能を営む。

 

『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

 臓象とは

 臓象とは

 東洋医学における五臓の概念は、いわゆる「臓器」とは全く別のものであり、「気」を象徴的に描いたものであり、実体の無いものであるという点を、まずはしっかりと認識する必要があります。

 黄帝内経を読み解き臨床に応用するには、すでに易学陰陽学説五行学説を知っておく必要があるのですが、すでに公開しているものに順次書き加えて参りたいと思います。

 ところで東洋医学の五臓の概念とは、いったい何であるのか。

 ここでは、陰陽五行論で著された臓象の意味する所に限って簡述します。

 

 1.五行とは
 五行とは、四時(春夏秋冬)の時間的変化に伴って大地に現われる事象を、五つの要素(木火土金水)に分類し体系づけたものです。

 従って五行論は固定的に捉えるのではなく、変化を具体的な現象で表現したものとして捉えることが目的であるため、五行論的法則性に準じながらも拘泥することなく、その時々の状況に応じて自由自在に使いこなすことが要点となります。

 

 2.気象と臓象
 「気象」とは、視覚では直接捉えることのできない「気」が、具体的な象(かたち=形)に現れることを指しています。

 例えば目には見えず感じることしかできない天の六気(風寒暑湿乾燥火)は、具体的に雲、雨、雪、雷など、目にすることのできる現象を生じます。これらを気象と称します。

 私たちは具体的に生じた雲の動きや形状、肌で感じる風の強さや気温変化から、傘が必要であるか否かなど、天の気の動きや変兆を事前に察知して対処します。

 これを医学に応用し、身体が表現する様々な現象と術者の五感を通じて得られる気の変兆(臓腑の寒熱・虚実)を捉え、鍼を施します。

 また臓とは、精気を堅く漏れないようにしまい込んでいる気を象った概念(臓気=収斂・固摂)です。

 そして易学・陰陽論・五行論を用いて天人相応させ、自然界と相関しながら生命が変化する具体的な象(かたち)を通じて、正気の状態を認識するために創造されたものが『臓象学』です。

 

 3.解剖学的臓器との違い
 <黄帝内経・霊枢>の『腸胃篇』や『平人絶穀篇』では、胃腸の長さや臓器の重さなどを細かく記載していることから、当時すでに解剖が行われていたことが窺えます。

 ところがその後、解剖学が展開されず発展の形跡がないのは、すでに生命が存在していない死体をいくら詳しく調べても、そこに生命の本質を見いだせないと古人が悟ったからではないでしょうか。

 古人のまなざしは、「生命の本質」そのものを直観的に捉えることにこそ、その意識が注がれたと考えています。

 江戸時代末期に、杉田玄白らが解剖を行い『解体新書』を著しています。当時の医師たちは、実際に腑分け(解剖)した際、この内景図・臓象図とあまりに違うことに驚いたことが知られています。

 このことは当時から、この内景図・臓象図本来の意味を深く理解する医師がいかに少数であったかということを示しているのではないでしょうか。

 

 4.内景図・臓象図とは
 本来、気一元である人間の存在を、五行論を用いて5つに分類して認識したものが五臓概念です。

 その五臓の機能をイメージしやすいように、写実的解剖図を参考に、臓象として書き換えたものが、現在伝わっているあの奇妙な形をした内景図・臓象図です。

 同様に、実写的な解剖図とは異なった東洋医学の内景図・臓象図は、その位置と形を通じて表現されているものにこそ、大きな意味があり鍼灸医学の礎とすべき要があります。

 従って五臓は、あくまで人体の生命現象を五つの要素に分類して認識したものなので、拙ブログにおいて、イメージとして五臓概念が心に浮かべば幸いです。

 生命とは、すなわち「神」であり「気一元」です。「気」が流れる温かい身体こそ、生命の本質が具現化したものと考え、論理を構築したのが東洋医学です。

 われわれ鍼灸師は、鍼と灸を道具として「気」を動かし、導き、気の偏在(表裏・寒熱・虚実)を整えるのです。
そして生命本来の輝きを取り戻し病を治し、生来の楽しみに導くのが東洋医学本来の目です。 

 

 さて、これから順次「鍼道 一の会」六臓六腑の臓象を公開して参りたいと思います。 

         f:id:ichinokai-kanazawa:20200625054120j:plain

『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

四季と人体(1)導入

 この度、「鍼道 一の会」基礎医学講座の内容の一部を公開いたします。

 内経医学は、天人合一・天人相応思想がその基本中の基本でありまして、伝統医学に法ってこの医学を行おうとするに際しては、暦は必須のものとなります。

 この暦を元にしてあらかじめ予測を立て、実際に術者の五感で自然界の気の変化を感じ取った上で病人の変化を捉えます。

 治病とは、病人の気の流れを自然の気の流れへと回復させることです。

 その暦の基礎を、誰にでも受け入れやすく、しかも理解しやすく川村淳子先生が説いてくださってます。

 これからシリーズで、みなさまに順次公開してお伝えいたします。

 どうか、みなさまのお役に立ちますように!

                     代表 金澤 秀光

 

 

 【動画内容】(川村 淳子先生)

 それでは、24節気のおはなしをさせていただきます

 

 今も昔も、日本人は季節の変化に寄り添いながら暮らしてきました。

 日々の暮らしの中に溶け込んでいる風習には、春・夏・秋・冬の季節ごとの行事やお節句があって、私たちはそれを今でも身近な文化として、大切に受け継いでいます。

 幼い頃から親しんだこれらの風習は、暑い寒いといった体の感覚だけではなく、私たちに季節の変化を感じること、自然に親しみ寄り添う方法を、ゆるやかに教えてくれています。

 

 みなさんは、志村ふくみさんという染色家の方をご存じですか?

 

 志村ふくみさんは、自然の植物を煮出して、その色を糸に染めて、着物などを仕立てていらっしゃる方なんですけれども…。一目見たら引き込まれてしまうような、きれいな色を染め上げられるんですね。

 

 その方が本に書かれていたことなのですが…。桜の花の色、あの淡いピンク色を出すのに、桜の花を煮出して染めても、その色にはならないのだそうです。

 

 桜の花びらで染めた糸は、新緑の緑色になる。

 これ、すごい不思議だなあ、て思ったんですけれども。

 では、桜のピンク色を出すためには、桜のどの部分に染めたら、どうしたら、いいのかなあ、って思いまして。

 

 …みなさんは、どう思われますか?

 桜の木のどこかの部分を使ってピンク色に染めるってなったら、どの部分を使ってみようと思われますか?

 

 そうです、志村さんは、桜の花のピンク色を出すことにも成功されてるんですね。

 

 正解はですね、私、びっくりしたんですけども、冬の丸坊主になった木の幹。

 冬枯れの桜の木の皮、樹皮を煮だして、染めたら、この春のピンク色が

出るのだそうです。

(※ ベストは、桜の花のつぼみが芽吹く、その直前ぐらいのタイミングだそうです。

そのあたりの樹皮や枝からは、ほんとうに美しい桜色を紡ぐことができるそうですよ。)

 このお話をきいて、すごく私はびっくりしたのですが…。

 

 私はこのお話を聞いて、冬の桜の木がすごく好きになったんですけども、冬の桜の木の中は、もう、春のあの桜色でいっぱいなんだなぁと思って。

 この樹の中にね、桜の花の色がいっぱい溜まってきて、春先に、こうふわーっとピンク色があふれ出すような感じで蕾が芽吹く…。

 あれは、突然出てくるわけじゃなくて。

 ずーっと、冬の間にためてためて準備してきたものが、滲み出すようにこう、ふわーっとあふれるんですよね。それが一気に花開いたのが桜の花なんだろうなあ、と。

 ちゃんと草も木も知らない間に次の季節の準備をしてるんだなあ、と思って。

すごく素敵だなーって思ったお話なのです。

 

 ところでお話は変わりますが、日本人ってなんでこんなに四季を大切にする民族なんだろうなって思うのですが、皆さまはどう思われますか?

 これについては、大きな理由を二つあげることができると思います。

 

 日本人が四季を大切にする大きな理由。

二つとも、とてもシンプルなことなのですが…。

 

 一つ目は、四季がはっきりしてること。

 緯度や経度の事情により、他の国よりも四季がはっきりと感じられる国であるということが挙げられるかと思います。

 

 もう一つは、日本の主食が関係いたします。

 お米を育てる文化、農耕社会だからですね。

 

 農耕社会というのは、人々の暮らしそのもの、それがもう生活のベースであり、生活の基盤で、当時の人々にとって、お米は採れなかったら生きるか死ぬかみたいな問題に関わります。これはもう、命そのものが関わっていたということ。

このように考えていきますと、四季を大事にすることは命を大事にすることにつながってくる。

 

 つまり、田畑の状態を左右する季節の変化を知ることは、生死に関わる大事なこと。

日本人にとって、それを知るためにの目安になるものも、当然大切にしてたわけですね。

 

 ここで繋がりますよね。

 いつ種を植えたらお米が育つのか。

 刈り取りの季節はいつ頃になるのか。

 この季節の移り変わりを図るための物差しとして生み出されたのが暦、今でいるカレンダーでありこれから説明させていただく季節の区分である24節気だったんですね。

 

 では、みなさまは、二十四節気。この言葉をご存知でしょうか。

 二十四節気は、季節を表す暦の言葉なのですが、一緒にみてまいりましょう。

     f:id:ichinokai-kanazawa:20200621165930j:plain

 まず夏至・冬至はご存知だと思います。

 夏に最も昼の長い日を夏至、最も夜の長い日を冬至と言います。

 昼と夜の長さが同じ時を春分。

 秋の昼と夜の長さが同じ日を秋分と言いますね。

 この四つの春夏秋冬、4つの季節の真ん中に置くことで、まず一年を春・夏・秋・冬の4つの季節に分けました。

 それをさらにこれをまた6等分することで一年を合わせて24分割して、季節の変化の物差しとしたことが、二十四節気の成り立ちになります。

 

 この暦は、日本では平安時代から使われていたと、私が読んだ資料では書いてありました。

 元々は中国の春秋戦国時代の黄河流域今の華北地方、農業の目安として中国で古い時期から使われていたと言われてるみたいです。

 日本も昔から暦はあって日本書紀に、百済から暦の博士を招いて

暦を入手しようとした記録が残っております。

  f:id:ichinokai-kanazawa:20200621170010j:plain

 

 そして夏至・冬至・春分・秋分この四つを合わせて二至二分(にしにぶん)という言葉で呼んでいます。

 これは春夏秋冬の中心に置かれていて、この仕組み自体は、古代中国で、今から3000年以上も前からあったと言われています。

 

f:id:okayu99:20200621153826j:plain

二至(夏至・冬至)

 この図をご覧になってくださいね。

 まずこれを1年としたら半分に分けます。

 夏至と冬至を軸にして2至で半分。

f:id:okayu99:20200621154046j:plain

四季 = 二至(夏至・冬至) +  二分(春分・秋分)


 

 これに加えて、春分と秋分の2分でさらに割ることによって、4分割にします。

 これで、春・夏・秋・冬、「四季」となりました。

 

 次に四立(しりゅう)を加えます。

 これも聞きなれない言葉かもしれませんが、中身は多分ご存じだと思います。 

 立春・立夏・立秋・立冬この四つを合わせて四立と言います。

 立春は、春の始まり、言い換えると、冬至と春分の間を表す言葉です。

 立夏は、夏の始まり、春分と夏至の間、

 立秋は、秋の始まり。夏至と秋分の間、

 立冬は、冬の始まり。秋分と冬至の間、をそれぞれ表しています。

 

 二至二分に、四立を合わせ、これを「八節」と言います。

 すこし、続けざまに知らない言葉が出てきて混乱されるかもしれないです。

けれども、中身はそれぞれご存知の言葉だと思います。

 先ほどの4分割した、夏至・冬至・春分・秋分、これを、合わせて二至二分。

 これをさらに細かく分けるため、春夏秋冬の始まりの言葉であるこの四立を合わせまして、八節と呼びます。

 

 さて、図を見てみましょう。

 

f:id:okayu99:20200621155200j:plain

八節 = 二至二分(夏至・冬至・春分・秋分) +  四立(立春・立夏・立秋・立冬)

 先ほどの二至・二分で割った四分割して割った四季。

 それに四立を足します。

 それぞれの中間に立春・立夏・立秋・立冬。

 四季の始まりであり、次の季節との真ん中の境目にある

言葉を入れてちょうど八分割。これで八節ができあがりました。

 

 1節は45日。

 これを15日ずつに三分割さらにして「24節気」が生まれました。

 

f:id:okayu99:20200621155718j:plain

24節気

 ちょっと細くなるんですけど、先のこの図を大きくしてさらに細かく三分割に分けます。

 なんでこんなに細かく分けるのかなと思うんですけど、農作業の目安にするには、もっと細かな暦が必要だった、ということなのでしょう。

これをもっともっと細かく分けた、「七十二候」という言葉もあるんですけども、それはまた改めて説明させていただきますね。

 

 

 暦が季節・自然の動きを知るためのツールである、というとことを知っていただいた上で、最後に人間サイドの生活について少し考えてみたいと思います。

 

 人にとっての生活は「衣食住」が基本ですね。

 これに対して季節の変化が影響するということを、まずちょっと書いてみたいのですけども、

 衣というのは季節の温度変化。

 食は先ほどの農業。

 住はそのまま住むところですね

 

 これに対して日本人はどんな工夫をしてきたかと言うことを考えてみましょう。

 まず「住」についてです。

 農耕民族である日本人は遊牧民と違って住む所っていうのはそんなに移動することはできないんですね。

 暑くなったからといって、北の方に移動してしまったら、田んぼを放っていかなきゃいけない。それはできないから、住は変えられないものとして工夫する。

 まず冬、これは温めればいいけど、夏ですね、問題は。

 日本は湿気と暑さが大変な国でしたね…。

 それを何とかしなきゃいけないってことで、どちらかと言えば夏に重きを置いた住居に工夫がこらされました。

 例えば、木造建築をあげることができるかと思います。

 風を通しやすく、湿気を逃しやすい、障子や襖や土の壁。

 紙・木・土を使ったおうちを建てて、そこに住むことにしたんですね。

 

 この生活についての「住」以外の、残りの二つ、「衣」「食」については、季節と一緒に変えていける部分なんですね。

 例えば季節の旬のものを食べたり、衣替えをしたり、具体的に言うとそういう形で季節に合わせて工夫しやすいところ。

 例えば、下駄とかスリッパとか、ああいうものを、夏に履きますよね。

 こういったものは、下焦から湿を逃すのに最適である。

 東洋医学の視点から、わたしたちが見るとそういう風に捉えることができるのではないでしょうか。

 

 つまり変えられないことに対しては、できるぶんの工夫をして、そのままに。

それ以外の変えられるところを自然界の変化に応じていくスタイル、というのが、

日本の文化のベースになっている…ということが言えるのではないかと思います。

 

 それでも、生活スタイルを調節しても、身体の生理機能が季節の変化に応じられなかった場合には、病気になるわけですね。

 こういう事を昔の人たちは体験から知っていたのだと思います。

 

 日本の文化には、私たちに身近なところで言うと、お節句などがあります。

 これは後々、詳しくご説明したいと思ってるんですけども、節句は季節の変わり目。

 ちょうど節目になる時に、人の体が調子を崩しやすいっていうを昔の人達はよく知っていて。これは、身体の調子を崩しやすい季節の節目を越えて、次の季節を迎える準備をするっていうことを行事に落とし込んだ文化なんですね。

 行事に参加する人たちは、意味が分かってなくてもいいのです。病気の知識がなくても。文字を知らなくてもいい。子供たちやおとしより、働き盛りのおとなたち、みんなが楽しく行事に参加することで、みんなの命を守っていく。

これは、昔の人が生きるために生み出した生活の一つの知恵だったと言えるんじゃないかなと思います。

 昔は、今よりも子供が亡くなったりとか、人が死にやすい環境だったので、健康に生きるための術を伝える行事であったのだと思います。

 

 話は元に戻りますが、四季のある日本に住んでる以上、季節の変化による体調不良はその暦が重宝された昔の時代も今の時代も本当は変わらないんじゃないかなって思います。

 

 これから私たちは、季節によって特有の病気があること。

 人によっては体調を崩しやすい季節があることを勉強してまいります。

 

 これらは自然界の気の変化についていけなかったりとか過剰に反応すること

で起きてしまう現象ですね。

 

 つまり、これを防ごうと思ったら、逆のことを行えばいいんですよね。

 自然界の気の変化と人体の生理的変化。

 これについては、今日、午前中に江見先生がお話の中で、仰ってましたよね。

 春夏秋冬の人の身体と気の向き。

 あのイメージを思い出していただけたらいいなって思うんですけども、外側の…環境の変化と自分の身体の中の変化。

 その調和を図れば問題が解決するんじゃないか。

 季節の変化による体調不良がもっともっと防げるんじゃないかっていう風に思うんですね。

 

 

この季節による身体の変化と四季の変化、外気の変化と自分の中の気の変化の調和を図れば問題は解決するんではないか。

 この自然界の変化を大きく捉えようとするのが四季であり、二十四節気なのですから。

これらを意識しながら皆さんと一緒に勉強することで、まずは、自分自身の体調の変化を整え、他人の体調の変化に気付き、そして、病を治すことにつなげていけたらいいなと思っております。

 

 以上で二十四節気の説明を終わらせていただきます。

 どうもありがとうございました。

 はい、終わりですよ。

 

『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

局所治療をしない理由

 この投稿は、2020年5月に行いました「鍼道 一の会」基礎医学講座で、筆者・金澤がお話しした内容です。

 表題は、「局所治療をしない理由」としておりますが、症状は表に現れて来た現象に過ぎないわけです。

 現象を引き起こした原因というものが、必ず存在するわけです。

 我々は、その真の原因を四診を駆使して見つけ出し、病因の根になっているところに1本の鍼を用いて解決を図るのです。

 ですから、腰が痛いからと言って、腰に鍼をするなどということは、「鍼道 一の会」では、ありえないことなのです。

 こういった考え方を、公開してます動画や、その内容をテキスト化した以下の文面から読み取って頂ければと思います。

 

 

 

 

動画内容のテキスト 

 

 この前、現象と本質についてっていう、話が出来ませんでしたので、今日はそのことについてその話をさせていただきたいと思います

  現象と本質って言うと言葉は難しいですけれど、言葉を変えますと

 症状と病根。

 専門用語でしたら標本。こういう言葉になりますかね

 

 東洋医学の世界観をある程度きちっと自分の中でイメージできたり、身につきますと、世の中の現象も全て繋がってますから目に見えない本質も理解することができます。

 ちゃんと見えますよっていう、こういうお話だったと思うんですね。今日の最初の自己紹介の時にお話ししたと思うんですよね。

 

 我々たとえばその…宇宙…いきなり堅い話ですけど、世界の三大謎ってこの三つなんですよね

 宇宙とは何なのか

 物質、生命とは何かって、こういうね、人類の三大謎って言われてるんですけれども、これの解明の方法論としては今は科学が中心なんですよね。

で、科学的な手法でかなりのことはわかってますよね

 

 この宇宙の始まる前とか今宇宙は、どんどんどんどん広がっててある時には収縮に転じるんちゃうかとかね

 物質も原子分子から素粒子の世界にまで、何も無いとこから急にポッと出てきたり突然消えたりするんですよね。

 そういうものと、あとは生命ですよね、遺伝子のレベルまで解明が進んでいるんです。

 

 けれどもこれはあくまでもね、現象の仕組みを説明しただけでその本質的に、じゃあ宇宙ってなんやのん、

 物質って何ですかとか

 生命ってなんなの?っていう答えにはなってないんですよね、どうでしょうか。

 

 そらすごいなと思いますよ。物質って素粒子なんや、何もないとからポッと出てきたりするわけでしょう。

 

 ねっ、それはすごいんですね。生命も遺伝子って習いましたけどあんまり覚えてないんですけどね。言葉だけしか覚えてないんですけど、すごいなと思うんですよね。

 

 じゃあ、我々の世界観では、この宇宙、物質、生命って、これ何かっていったら、これなんですね。

 気一元の世界である。

 

 宇宙も生命も物質も全て気の一つの現象でしかないぞ

 あらわれでしかないよっていうこと言ってるんね。

 じゃあ、『気』てなんやねん。

 こういう話になってくるわけですね

 

 そうしたら、『気』は、生命そのものであるわけですし、

 物質そのものでありますし、

 宇宙そのものであるって、

 分かったか、分からへんか、あの~分からん話しになってくるんですけれども、結局、宇宙っていうのは宇宙も物質も生命もこう常にこう、今日の座長の話じゃないですけれど循環して生々流転して一時も休みませんよね。

 常にこう動いてるもんなんでこう言う現象として表してるもの、現象を通じてその気の動き、気の状態を直感的にパッと捕まえよう、また直観と言えばまたちょっとこう、怪しげなことになるんですけれども主観ですよね。それぞれの持ち得てる主観で捉えようやないかと。

 

 それじゃああんまりやからその主観っていうことに対して一定の筋道をつけよう。これが東洋医学の理論やと思うんですよ。ここまでどうでしょうか。

  難しい? なんか反応してくれへんかな。

 僕もこない言うとるけど、突っ込まれたらねぇ、ちょっと、どうかなというとこもあるんですけどね。

 

 東洋医学では、自然と人間の関わりにについていろんな見方があるんですけど、ひとつにはね、『天人合一』こういう言葉があるんです。

 天人合一とか天人相応っていう言葉があって、天って言うのは自然界宇宙のことですね。

 宇宙の原理と人体の生命の動きは同じ原理ですよ、だから相い応じてますよ、ってことを言う訳ですよね。

 

 だから我々の医学の基本は自然界の気の動きと、人間の体の気の動きは同じなんで、だから天の気の変化つまり、例えば四季ですよね。

 春、夏、秋、冬の気の変化に相い応じて生きましょうね、とかね、自然界の気の変化に応じて人間の気の動きも変化するんですよっていうこと言ってるわけなんですね。

 

 たとえば、具体的に言うと暑かったら気が浮きますよね。盛んにになりますやん。

  そしたら人間の脈も浮いてきてちょっと盛んな、盛んになるような打ち方しますよ。 

 冬やったら静かになりますやん。

 でギューと寒いから、締まったような感じに自然界の気がなるので、人間の脉も体も全部そうですよ、

 脈もギューッと締まったような脈になりますよっていうことを昔の人は素問・霊枢にはそういうふうに書いとるわけですね

 

 だから顔の気色にしても脈診にしても病症にしてもこの自然界のこの気と相い応じていない、

 もしくは応じてるか応じてないか、こういうとこらへんが結構大事になってくるんですね。

 

 たとえば今日、僕の住んでる泉北大阪南部はちょっと外へ出ましたらちょっと梅雨みたいにムーっとしてるんですよね。

 

 京都の患者さんとちょっとやりとりしてまして、患者さんから今日は何か痰が湧きますっていう連絡が入ったんですね。

 だからこれ気候とっぱり関係してるなってのは、ここで、僕なんかはやっぱりそうやなあと。

 いうてみたらは湿度高いわけですから現代科学的な説明すると体から蒸気が、こう出て行きにくい。分かりますかね

 皮膚からね、ワーッと汗が出にくいような感じですよね。

 

 そしたら体に体液がたまるじゃないですか。

 でね、体に熱持ってたりするとその熱が体液をネチャッとさせるように、煮詰めるようなイメージ。ほな痰が湧きますよね。

 

 だからまーやっぱりこの泉北だけじゃなくって京都も湿気高いんかなあなんて

ちょっと思ってたんですね。

 

 こういうのが僕らの医学の基本になるわけです。天人合一とかね。

 そしたら皆さんが学校で習った上焦、中焦、下焦ってありましたね。

 

 これは天、人…天・人・地っていうふうに、これ天が上焦ですよね。

 人が中焦で、地っていうのが下焦になるわけですからこれを三才思想というわけです。

 

 これもやっぱりまず天人合一。

 これを天・人・地の三つに分けてちょっと認識してみようかないか。

 でこの天・人・地の間に、この今日の経絡でしたら縦ですよね。

 天・人・地の縦のラインでどういうふうに気が変化して巡ってるのかって、これ三才思想なわけです。こういうふうに見て行くわけですね。

 で、今度左右の問題になってくるとこれまたちょっとややこしいんですけど、太陽は、南向いて立ちましたら太陽は左手から上がってきて右手に進みますよね。

 東から昇って西に沈む。そしたらここで陰陽が消長するわけですね。

 

 消長ってのは左からこうずっと陽気が昇ってきたら、左に陽気が長じる、伸びるわけですよね。

  左側からこういう風に行くと、左側が消えるわけですよね。

 陽気が右側に陽気が盛んになって、全体として夜になったら消えるわけですよね。なんか、イメージわきます?

 

 こうやってこうやって陰陽というのは増えたり減ったりこうするわけで、この陰陽の消長が上下でも起きますし、左右でも起きますし、ありとあらゆるところに起きますよ。

 こういうのは、いわゆる陰陽論になってくるわけですね。

 まず天人合一、天・人・地。この間に流れる気を捉まえるのに、今度は気一元やったんやけども

 この気一元を、じゃあ、二つに割ってみよう、そして二つに割ったら陰と陽っていうふうに名前つけよう。そういうふうになったわけですよね。

 そしたらこれは、陰と陽の二つに分けましたけれどもこれを五つに分けてみようとしたら、これ五行論になるわけですよね。

 

 五行論と陰陽論というのは本来、別のもんなんやけど途中からうまいこと理屈が合うように合体さしたわけですね。

 これは、五行論って言うたら五つやのに三陰、三陽いうたら、はや六つになるやないですか。

 で、これをどんなふうに、じゃあ認識すれば矛盾なく三陰、三陽として見れるんやろうっていうふうになってきたら、今度は別の概念で三陰三陽ですから2で割れるじゃないですか。

 ねっ、そしたら一つの空間っていうものがあってそれを例えば前と後ろで二つじゃないですか

 前を三つで割ったらええやん。2つで割ってもええし、三つで割ってもええわけです。

 で、これは自由自在に見てるところが、ここがややこしいとこやねん。わかります?

 

 例えばねちょっとねこれちょっと例えが良いか悪いか、合ってるかどうかもちょっとわからへんねんけど。

 稲垣座長って言ったら一人の人間やんか。

 一人の人間なんやけど、これは座長として見てみたらどうなんや。

 教師として見てみたらどうなんや。

 全然評価がちゃうでしょう。

  旦那さんとしてみたらどうやねん。

 これまた違うと思いますよ。

 

 でも稲垣順也っていう人間は一人じゃないですか。

 みなさん、同じことやってると思うんですよ。

 

 その一人の人間を認識する時に男性としてみた場合、人間として見た場合、先生としてみた場合。

 それぞれこうこう、同じ稲垣順也っていう人間に対して、当てる焦点が違いますでしょう。

  分かりますかね。当てる焦点が全然ちゃうやんかね。

 

 それと同じように、人を見る時に陰陽論でみようか、五行論でみようか、いや三陰三陽でみようかということで、それぞれ実は視点が違うねんね。

 これを一つのものとしてまぜこぜにしてしまうと、もうぐちゃぐちゃになってしまうねんね。分かったようで分かれへん。

 これはまたね、これから江見先生がちゃんと説明してくださると思うんですけれど、奇経八脉も奇経八脉でひとくくりのもんじゃないんです

 これも一つ一つ独立したもんなんですね。

蹻脉は蹻脉。維脉は維脉。帯脉は帯脉。

 という、それぞれ独立したもんで、俗に言われているひとくくりのもんじゃないんやでということ。これはまた今後ね、江見先生が皆さんに分かりやすくお話してくださると思います。

 

 で、これをですね陰陽論のね、じゃあ内経なんかではどんなふうに書いてるんやろ。

 ちょっと古典から見ていきましょうか。

 まず、陰陽応象大論第五。最初の方ですね。

 ちょっと見ていきましょうか。

 この中にね、こんなこと書いてあるねん。

 漢字難しいけどね、こんなん慣れるからね。

 

 ゆえに、清陽は天と為し、濁陰は地と為す。

 

 これ、天地が出てきますよね。地気、大地の気は昇って雲となるんや。

 天の気は、雲って言うのは天気が現れたもんやで。

 これダーって読むとね、

 ゆえに清陽は天と為し、濁陰は地と為す。

 地気は上りて雲と為し、天気は下りて天と為す

 雨は地気より出で、雲は天気より出ず

 

 簡単なことなんやけど、分かったかったようで分からへんでしょう?

 ねっ、だから雲って言ったらどこにあるかと言うたら、僕らの身体で言うたら上焦にあるわけですよね。

 で、上焦の雲の出所は、大地、下焦から出た気が天の上焦に行くと雲となるんや。

 で、この天の気、上焦の気がヒューッと降りてくると雨となるんや。ねっ。

 

 ということは天気というのは、下焦まで降りて来るとおしっことか津液になるんや。

 粛降みたいなイメージですかね、肺気粛降みたいな。

 雨ってのはね、これも解釈の仕方ですよね。雨ってのは天から降りてきたんやけど、元々地気から出て雲って言うのは、天気の作用によってできたもんやで。

 こうやってやってみるとやね、胸の状態、上焦の状態を見ると下焦の状態が分かりますよね。

 たとえばね、雲の状態を見ると大地の状態が分かりますやん。

 

 だからこう大地の状態がむっちゃ暑かったら、入道雲になるしみたいな。

 でもそこには天気の状態も現れてるんやけども、雲そのものは大地から昇っていったもんやんか。

 暑かっても入道雲になってなかったら地気はそんなに暑いないんやとかって、わかるじゃないですか。

 これをもっと拡大解釈すると咳が出てるとか呼吸が苦しいとか心臓がこう、動悸打つって言ったら、これ上焦に現象が出てますよね。

 この現象は上に出てんねんけども、下の状態はどうなんやろうって見るのが東洋医学なんですよ

 

 今度は反対に腰が痛いとかそれからおしっこ出る時にね、膀胱炎で痛いとかね、それから生殖器の問題とかね、こうやって下半身に出る病の時は、じゃあ、上焦の状態は、一体どうなってるんやろって、見るのが東洋医学。

 要するにね、全部見るやってね。

 

 その際に今ここで書いてる上下の気の交流っていうことを見なさいよっていうことをここで書いとるわけですよね。

 で、ここで書いてないのは、天地であって、ここに人(じん)が入ってないですよね。

 人ですね。これは素問の最後の方に書いてあります。これまたいずれやりましょう。

 

 とりあえずまずね、上下の気の交流を見ましょうよっていうことを書いとるわけですね。

 

 で、ここで簡単に人の生理のことも書いています。

 清陽は上竅に出で、竅(きょう)っていうのは、穴って意味です。

 で、上の穴なんですから、目・鼻・口・耳のことですね。

 清陽っていうのは上竅に出て、濁って重たい陰気は下竅、前陰と後陰に出ますよ。

 そしてまた上竅だけじゃなく清陽は腠理(そうり)に発しますよ。

 腠理ってのは、肌のキメのことですね、毛穴とかね、そういうものでええと思うんです、衛気のことやと。

 濁陰は五臓に走る。これは精気のことですね。

 で、また清陽は、四肢を実しですから、今日の経絡ですよね。

 体幹部から四肢の方へ精気を充実させるのは、これは、清陽ですよ。

 で、濁陰は六腑に帰す。帰りますよって。

 まっ、消化作用を行うべき物質的な基盤になるっていう。まあ、これは僕の意訳なんでね。

 

 これはあのあれですよ、ブログ「鍼灸医学の懐」に、これ載せてますんで、読んで頂けたらなと思います。

 まあこういうふうにね、これ簡単な生理です。

 

 またこれを細かく細かく五行に切ったりとかね、経絡で、じゃあみよう。臓腑で見てみようとかね。

 また様々な視点を用いて気の状態気の動きを見てどこの気が動かないのか、どっちに偏っとんかとかね、こういうことを見て行って、その症状とか現象を通じてどうやったらこう、正常な気のルートに戻って行くんやろ。

 座長のようにこう、脈を精密に診てその脈を通じて現れてる気の偏在。

 こっちはえらい出て、ここはようさんあって、こっちはえらい少ない…でと。

 この多い少ないを生じてるのは、どこなんやろってところを探してそこに1本鍼を打つわけなんですよね。

 

 ねっ、だから基本はこういうことこういうことがベースにあって、で稻垣先生もこういう思想のもとで鍼をやってる。

 方法論としては脈診っていうことやってはるわけなんやね。中心にやってはるわけなんです。

 で、もうちょっと違う視点で見てみましょうか。

 これ生気通天論やったと思うんですけど、これね、また同じように読んでみましょうか。

 天地なるものは、万物の上下であるぞ。そうやね。

 もう天より高いものはないよね。

 大地より低いものがないので、我々人間にとってはこの世に存在する万物の全ての上下や。

 陰陽ってのは血気の男女である。

 女性は生み出すわけで男は一生懸命働かなあかんのでしたよね。

 

 ここね、これすごい大事な、これ尾関先生が今日言ってた軸、軸一本ではあかんのですよね。色々様々にこう動いたりせなあかん。

 上下の話をしましたやんか。ねっ。

 今度、絡脉っていうようになってきたら今度、左右横の関係になってくるので、この左右のなるものは、陰陽の道路であるぞ。

 これね、僕も長いこと分からへんかったんやけど、結局陰陽の消長のことやろうと思う。

 僕はどうやって訳してるんやろね、そやね。

 人が南面して立ったら東は陽です。さっきの話ですよね。

 で、この陰陽の道路の軸になる所ってあるんです。いっぱいあるんです。

 たとえば今日尾関先生が話してはったね、衝脉って言うのは、身体のこの、百会と会陰をつなぐ、この中心が衝脉でしたよね。

 この前のこの中心っていうたら、任脈ですよね。後ろの中心って言えばこれ、督脈でなわけです。

 この任脈・督脈というのが左右の気の左右、左右を通って行くわけんんですけども、こういうところ辺が、陰陽の道路の枢。

 枢ってのは、枢っていう言葉は難しいんだけど蝶番(ちょうつがい)って分かります?

 あの扉のね、蝶番。開いたり閉じたりするこのここね、軸。これが任脈・督脈になりますよ

 こういう枢っていうのがいっぱいあってこの枢がうまく働かないで、今日江見先生が一源三岐って言ってましたよね。

 源は一つで三つに分かれてますよ。江見先生がチラッと言ってましたよね。

 これは一源というのは衝脉で、ちがう、腎の気でこれが、衝脉、任脈、督脈の三つに分かれてますよって言うことを、江見先生がね、三陰三陽のとこでちょっと言ってたんですよ。

 こういうことなんかも、えーどう言うたらええんやろなぁ、現象と本質、症状と病根、こういう病根を捕まえる時にこういう方法論を使ったりするわけです

 

 だからこの認識論ていうのはたくさんありまして、その一つの理論で済めばそれはもうそれでいいわけです。

 でも見る視点を変えないと、どうもこの起きてる現象がわからへんっていう時は、次々とこの尺度を変えていくわけですね。

 最終的には僕も尾関先生も多分、稻垣座長もやっぱり、この気一元で行きたいと思うんですけどね。

 どうやろ?僕なんか目指してんのも、ぱっと見たら、あっ、これや!って分かるようになりたいな思ってるんやね

 で、患者さんも僕の顔をパッと見たらもう半分治ったみたいな。

 で、もう鍼する前から治るべくして治る、みたいな。

 そういうとこがまあ、僕が目指してるところであり、理想の鍼の状態です

 

 ということでまぁざっと現象と本質。

 今起きてるコロナの問題も社会現象です。けれども、この裏にいったいどんな力が働いてるんやろ、な~んて僕らは考えるわけです。ねっ。

 

 今、経済が沈滞してますけども、世界中のそれぞれの中央銀行が物凄い市場に金を出してますよね

 そしたらこんだけお金を世の中にジャブジャブになるぐらいお金を入れたら通常はインフレになりますよね。

 

 お金の価値が下がってまうやん。お金が、バァーっと増えんねんから。

 せやけど、これは多分デフレになるやろ。

 こんだけお金を世の中に撒いてるのに、お金の価値がますます上がるやろうと。

 なんでそういうことになるんかって言うたらお金の量でインフレになるデフレになるじゃなくって、お金を手にした人の気持ちがどんな気持ちなんかで決まるわけですよね。

 

 これから先が不安やと思ったらお金使わへんやないですか。

 そしたら物の価値が値段がどんどん下がって、お金の価値が上がっていきますよね。

 

 インフレっていうのは未来は明るいぞ、おい食おうぜ飲もうぜ、あれ買おうぜってなるわけですからみんなが物を買うわけでしょう。

 そしたらみんなが欲しい欲しいって言うてんねんから、物の値段は上がって行くじゃないですか。

 ほな金の価値は相対的に下がっていくやないですか。

 て、って言うふうに、この現れる現象って、裏には気の問題っていうのは必ず潜んでるんですよ。

 だから東洋の考え方ってのはすでに起きてる現象の裏にはなんか気があるぞ。

 こんなふうに見ていきますので、東洋医学を勉強したらそれを日常のご主人との関係、お子さんとの関係対人との関係とかね、もちろん自分自身の健康管理とかね、そういった様々な分野に、どんどん応用して自分のイメージで体にじっくりとこう、なじんでんでいくように日々学んで頂けたらなと思います。

 私からは以上です

 何かご質問がありましたら、またご感想がありましたら、どうぞチャットの方に書き込んでください。

 ありがとうございます。

 

『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

効能はツボ(経穴)に在らず

 

 

5月10日より、オンライン講座という形ではありますが、今年度も『鍼道 一の会・東洋医学講座』を開始することが出来ました。

 

『鍼道 一の会』の長期的な目標の一つには、「鍼灸に関する普遍的な法則の発見と報告により、業界に対して貢献する」というものが有ります。

 

ただ、それを成し遂げるためには、会の中で共有しておくべき鍼灸観が有ると私・稻垣は考えておりましたので、初回の冒頭は、以下のような話をしてみました。

 

それは、「『背中を押す』という行為が『応援する』というような意味を持つためには、前提として、押される相手が直立二足歩行で、意識的、あるいは無意識的に、前進したがっていなければならない」という話です。

 

他方で、もしその相手が、プールでクロールを行っている途中の人であったとしたら、その時、「背中を押す」という行為は、一体どのような意味を持つでしょうか?

それは、相手を水の底に沈めて、その泳ぎをむしろ妨害するような効果を発揮してしまいますよね。

 

今度は、もし相手が、二足で直立していたところ、突然、後方へ倒れ始めたとしたらどうでしょう。

「背中を押す」という行為は、相手の体を支え、負傷を防ぐ効果を発揮するかも知れません。

けれど、もし相手が前方へ倒れ始めていたとしたら、「背中を押す」という行為は、むしろ、負傷を増悪させる原因となってしまいますね。

 

どこかのツボに鍼やお灸をして身体各所に起こる反応も、これと同じことだと稻垣は考えます。

鍼やお灸によって望ましい効果を得られるかどうかは、鍼や、お灸や、ツボに備わっている効能が一方的に決めることではなく、それを受ける人やツボが「現在どのような状態にあり、そこから更にどのようになろうとしているか」が左右することである、と。

 

もちろん、人体の構造や、ヒトという動物の生態や、現代人の生活習慣などの影響により、多くのケースでメリットを得やすいツボというのは存在すると思います。

同時に、少ないケースでしかメリットを得られないツボというのも存在するでしょう。

一方で、そのようなメリットを得にくいツボを巧みに押さえていかなければ治せないという人も、きっと存在するのです。

 

そういった中で、目の前の人にとって必要なツボを、確率に頼ることなく、的確にあぶり出すには、どうすれば良いのでしょうか。

稻垣なりの解答は、先に書いた通りです。

目の前の人が「現在どのような状態にあり、そこから更にどのようになろうとしているか」を、“ 鍼灸にとって必要な形で ” 明らかにすること……それが第一に必要なはずなのです。

そのための方法論は、「鍼灸に関する普遍的な法則」のベースとなっていくことでしょう。

 

今年度も、私・稻垣は、「鍼灸のための診察術」の完成度の向上に努めてまいります。

 

『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

抗体依存性感染増強(ADE)に関して思うこと

 

medical.nikkeibp.co.jp

 

2度目の感染時や、ワクチン接種後の感染時に、かえって重篤な症状を引き起こす「抗体依存性感染増強(ADE)」。

 

こういうことも知ってしまうと、人によっては、「ワクチンの完成まで耐えても、結局はロシアンルーレットを引かなければならないの?」などという感想を持って、ますます怖くなるでしょうか。

 

けれど、この現象、東洋医学をやっている者としては、原理が分かりやすいので、単純に興味深いと思いました。

 

簡単に説明すると、感染後の発熱中に放散し損ねて(閉じ込めてしまって)生まれた、あるいは、感染前から持っていた、体内でくすぶり続けている熱(エネルギー)のせいで起こることだと言えそうです。

 

アナフィラキシーショックや、薬剤アレルギーに対する解釈も同様。

アナフィラキシーショックだって、全員がなる訳ではないですもんね。

 

『長沙腹診考』という本によれば、江戸時代、とある子どもの目力の異常な強さを“心火”の有る証拠と見て、「天然痘にかかる前に“三黄瀉心湯(三黄丸)”などを飲ませ、胸の奥の熱を冷ましておいた方が良い」とアドバイスした医者が居たそうです。

その後、薬を飲まされなかった子どもは、翌年に流行した天然痘でとびきり高い熱を出し、亡くなってしまったそうですが。

 

人体には、刺激に対しての反応に違いを生み出す要素が何かしら在って、東洋医学は昔からそこに着目し、疫病による被害を抑えようとしてきたのですね。

 

( 鍼道一の会 東洋医学講座 座長・稻垣 順也 )

 

『鍼道 一の会』は、自由自在に気を扱える、プロの鍼灸治療家を目指す集団です。

 ご興味のある方は是非、『場の気』を感じにお越しください。

  『鍼道 一の会』についてのお問い合わせは、事務局 大上(おおがみ)まで

  詳細はこちらへ↓

「疫病について その3」

→ 「疫病について その1」 - ブログ『鍼道 一の会』

 

→ 「疫病について その2」 - ブログ『鍼道 一の会』

 

の続きです。

 

 シリーズ最後の投稿になります。

 ご覧いただきありがとうございました。

 

 おまけ画像。日本江戸末期。 『安政箇労痢流行記』(安政5年刊行)

 (安政:1855年〜1860年。江戸幕府将軍:徳川家定。安政時代は、開国による政治的な混乱、台風や大地震に津波、疫病の流行が次々と続いた。それに伴い衛生の意識も向上、以降、予防についての知識が広がっていくことになる。)

 

f:id:okayu99:20200420092415j:plain

安政箇労痢流行記(国立公文書館所蔵)

「疫病について その3」

 その後に登場したのが、先に述べた呉有性である。

 呉有性は、それまでの関係論説を総括すると同時に臨床観察と考察を重ね、『温疫論』を著した。

 その中で、温疫の原因は「癘気」という異常な戻る気(特殊な病原体。戻気・雑気・異気・疫気とも称している。)であるとし、それを六淫や時気と明確に区別した。その内容について簡潔にまとめると、以下の通りである。25)26)27)28)

 

①疫病は「癘気」が引き起こす。

②癘気は物質である。ゆえに薬品による治療が可能である。

③癘気には強烈な伝染性があり、口鼻を通って体内に侵入し、その結果、感染する。

(感染経路に関する記述。経口・経鼻感染することを意味する。)

④癘気に感染後、実際に発症するかは、癘気の量、毒の力、人体の抵抗力による。

⑤大流行するものとそうでないものがある。

⑥癘気によって発症した疫病には、地域的・時間的(四季による盛衰・発症からの時間経過など)に一定の特徴がある。

⑦癘気には様々な種類があり、それが引き起こす病も多種多様である。

⑧人の感染症と、動物の感染症は種類の異なる癘気によって引き起こされる。

⑨天然痘・丹毒なども、実は癘気によるものである。

⑩疫病治療に対する基本原則は「客邪(癘気のこと)早逐を尊ぶ」ことである。

 (早急に癘気を取り除くことが大事である)

 

 以上のように、呉有性は当時、癘気(すなわち今でいうウィルスや細菌などの病原微生物)について、その特徴を正確に把握していた。

 その上で、過去の治療法ではその時代に流行していた伝染病を治せないとの認識を持ち、それまで古法(傷寒論)に使われていた治療法との比較、分類、考察、治療を重ねた。

 それらの内容は、後の温病学の発展の基礎となった。彼は具体的な治療として、それまで辛温解表(温めて発汗させる治療法)が行われていた熱性疾患の患者に対し、「梨汁・蓮根汁・蔗漿(さとうきびの汁)・西瓜などを与え、徹底的な清熱を行なった。」29)

 また、「人の虚実を諒かあきらかにし、邪の軽減を度り、病の緩急を察し、邪気の膜原より離るるの多募をはかりて、しかる後薬空しく投げざれば、投薬して大過不及の弊なし」30との指摘は、現代の医療にも通用するものであるといえる。

 

【参考文献】

25)吳又可:溫疫論

https://www.theqi.com/cmed/oldbook/book52/index.html (参照 2020-1-22)

26) 呉有性:温疫方論. 上,下巻,1790

https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ya09/ya09_01099/index.html

(参照2020-1-6)

27)木村照(著):漢方医学からみた小児ウイルス疾患,小児耳 Vol.8,no.2,1987,p24-25

28)傳維康(著),川井正久(訳):中国医学の歴史,東洋学術出版,1997,p448-452

29)木村照(著):漢方医学からみた小児ウイルス疾患,小児耳 Vol.8,no.2,1987,p24-25

「疫病について その2」

→  「疫病について その1」 - ブログ『鍼道 一の会』

  の続きです。

 

  当時といまは、衛生環境も医療施設も大きく異なります。

 しかし、地形や、気候、風土に関しては、変わらない部分もあります。

(武漢も大きな河の合流点にある都市です)

 大きなイメージで捉えるといまの状況との共通点がみえてくるかもしれません。

 

 画像はおまけ。日本の江戸時代(文久2年)に疫病の予防について書かれたもの。(文久:1861年〜1864年。将軍は徳川家茂)

 黒船来航(1853年)から10年、それまで鎖国していた日本にも外国由来の病気(コレラ、梅毒など)が入り、流行を繰り返していた時代です。

 コレラは港のある長崎から広がり、文久2年には、麻疹にコレラ、と疫病が大流行しました。

 

f:id:okayu99:20200420093711j:plain

『視聴草(続8集の3)』『疫毒預防説』(国立公文書館所蔵)

 

 

「疫病について その2」

 

 呉有性は紅蘇省の出身、16世紀80年代から17世紀60年代を生きた医師である。

 正確な生没年については不明であるが、中国,清朝の正史(国家において正式に編纂された歴史書)である『清史稿』の記載10)11)、そして、彼の著書である『温疫論(1642)』の各巻頭に「延陵 呉有性 又可甫 著」、各巻末に「崇禎壬午(一六四二)仲秋 姑蘇洞庭 呉有性書於澹澹(淡淡)斎」との署名がある。

 これより、「呉の名は有性、字を又可といい、居を淡々斎と号した。出身は延陵江蘇省呉県、今の蘇州)で、その西南にある姑蘇山つまり太湖の洞庭山に住んでいた。本書の成立は序を記した一六四二年である」11)と、推測されている。

 

 当時は明から清へと政権が移行する戦乱の最中であり、また、封建制の統治による搾取が行われ、人々の生活は困窮していたことが予想される。そのような歴史的、社会的背景のもとに、経済的・環境的要因である「明代における揚子江デルタ地帯での人口の集中、商工業と交通の発展は戦乱の影響も加わって同地方に大規模な伝染病の発生をもたらした」12)

 

 この疫病の発生回数については諸説あるが、『明史』の記載によれば、永楽六年(1408年)から崇楽6年(1643年)にかけての大流行は19回にも及び、河北・山東・江蘇・浙江などの各省、広い範囲に被害が及んだようである。11)13)

 続く清代においても、「清初の順治元年(1644年)から同治(1860年)までの二百十四年間に、実に八十回を超える疾病が発生・蔓延したことが知られている。

 その中には、腸チフス・コレラ・赤痢・マラリヤ・天然痘・猩紅熱・麻疹・ジフテリア・ペストが含まれていた。」14)

 これらの熱性の伝染病は以前から「温病」と呼ばれるものであり、それは、温邪・熱邪に由来する多種多様な外感急性熱病の総称であった。

 「温病」は広義において、伝染性のものと非伝染性のものを含むとされているが、この場合、主となるのは前者である。

 

 この「温病」という言葉自体は古くから使われているものである。

 すでに『黄帝内径』の「六元正紀大論」に「溫病迺作」15)との記述を確認することができる。

 その後、『難経』の「第五十八編」にも「傷寒有五,有中風,有傷寒,有濕溫,有熱病,有溫病」16)、すなわち傷寒には五つの種類があり、それが、中風・傷寒・湿温・熱病・「温病」であることが明記されている。  

 漢代になると張仲景は『傷寒雑病論』の「弁太陽病脈証井治上第五」において、「太陽病,發熱而渴,不惡寒者,為溫病」17)、すなわち「太陽病、発熱して渇し、悪寒せざるもの、温病となす」18)と述べ、温病初期の症状の特徴をわかりやすく描いている。

 また、「清熱の方法によって治療することを提起して後世の温病治療学発展のための基礎を固めた」19)

 晋代の王叔和は『黄帝内経』をもとに、温病の種類として温病と熱病を提示、その他、その種類として、温瘧・温風・温毒・温疫の名称及び分類を示した。20)

 また、隋代の巣元方は『諸病源候論』の巻十「温病諸侯」の中で温病が「人が乖戻かいれい(道理にもとる)の気に感じ病を生ず」「病気転じてあい染み易く、乃ちすなわち滅門(一家全滅)に到り、外なる人にも延久す」21と記した。

 隋代以前には、流行性伝染病は、単なる「傷寒」「温病」「流行病」として、六淫(風・暑・火・湿・燥・寒)や時気(気候変化もしくは季節の変化)により発病すると考えられていた。

 これに対し、巣元方は「疫癘」「時気」と呼ばれるものには、流行性・伝染性があるとし、基礎理論に自身の臨床体験を加え、病因学について広範かつ詳細な考察を残している。22)

 宋・元の時代に入ると、劉完素は『傷寒直格』『素問玄機原病式』『素問病機気宜保命集』などの書を著し23)、「それまで外感病初期に習慣的に採られていた辛温解表と先表後裏という硬直的な考え方を打ち破った」。24)

 

→ 「疫病について その3」

 

【参考文献】

10)清史稿/卷502「吴有性,字又可,江南吴县人。生于明季,居太湖中洞庭山。当崇祯辛巳岁,南北直隶、山东、浙江大疫,医以伤寒法治之,不效。有性推究病源,就所历验,著瘟疫论,谓:“伤寒自毫窍入,中于脉络,从表入里,故其传经有六。自阳至阴。以次而深。瘟疫自口鼻入,伏于膜原,其邪在不表不里之间。其传变有九,或表或里,各自为病。有但表而不里者,有表而再表者,有但里而不表者,有里而再里者,有表里分传者,有表里分传而再分传者,有表胜于里者,有先表后里者,有先里后表者。”其间有与伤寒相反十一事,又有变证、兼证,种种不同。并著论制方,一一辨别。古无瘟疫专书,自有性书出,始有发明。」https://www.followcn.com/books/2019/07/07/清史稿-卷502505/

 (参照 2020-1-12)

11)真柳誠:『温疫論』解題,和刻漢籍医書集成 第15号,エンタプライズ,1991 http://square.umin.ac.jp/mayanagi/paper01/uneki.htm(参照2020-1-5)

12)木村照(著):漢方医学からみた小児ウイルス疾患,小児耳 Vol.8,no.2,1987,p24-27

13)傳維康(著),川井正久(訳):中国医学の歴史,東洋学術出版,1997,p448-452

14)傳維康(著),川井正久(訳):中国医学の歴史,東洋学術出版,1997,p541-548

15)中國哲學書電子化計劃:黄帝内経「六元正紀大論」 

https://ctext.org/huangdi-neijing/liu-yuan-zheng-ji-da-lun/zh(参照2020-1-19)

16)中國哲學書電子化計劃:泄傷寒,五十八難曰

https://ctext.org/nan-jing/xie-shang-han/zh(参照 2020-1-19)

17)中國哲學書電子化計劃:傷寒論,辨太陽病脈證并治法上

https://ctext.org/shang-han-lun/bian-tai-yang-bing-mai-zheng/zh(参照2020-1-19)

18)19)20)21)傳維康(著),川井正久(訳):中国医学の歴史,東洋学術出版,1997,p448

22)傳維康(著),川井正久(訳):中国医学の歴史,東洋学術出版,1997,p239

23)真柳誠:『素問玄機原病式』『黄帝素問宣明論』解題,和刻漢籍医書集成 第2号,エンタプライズ,1988

http://square.umin.ac.jp/mayanagi/paper01/liuwansu.html(参照2020-1-5)

24)傳維康(著),川井正久(訳):中国医学の歴史,東洋学術出版,1997,p448